小泉信三生誕120年である。それを記念して、5月8日より慶應義塾三田キャン
パスにおいて「小泉信三展」が開催されている。(入場無料)5月10日(土)午前
小雨降る中、早速三田まで足を運んだ。学生時代、大学の図書館で「小泉信三全
集」全28冊(*)のかなりを読んで以来、小泉信三は「私の最も尊敬する人物」
である。
(*)小泉信三の著作は、大きく分ければ、1.古典派経済学(リカアドオ研究)、
2.マルクス主義、3.随筆等になるが、全集でいえば第7巻「マルクス死後
50年」以降をほとんど読んだ。
(小泉信三は「ー」という表記は行わず、常に「リカード」を「リカア
ドオ」、「スポーツ」を「スポオツ」と書いた。ページはペイジ、メール
はメイルであろうか。)
小泉信三は明治21(1888)年に生まれ、昭和41(1966)年に亡くなっている。
私の祖父の世代である。小泉信三、若き日には、「慶應の麒麟児」と呼ばれ、
戦後の言論界では「日本の良識」、没後には「勇気ある自由人」と称せられた。
展覧会は、1「父の影像」、2「よく学びよく遊ぶ」、3「常に学生と共に在る」、
4「善を行うに勇なれ」、5「勇気ある自由人」、6「愛の人」、7「終焉と継承」
の七つのコーナーに別れ、時代を追って回れるようになっていた。
写真も--戦災を奇跡的に免れた家族写真も含め、たくさん展示されていた。昭
和18(1943)年10月16日「最後の早慶戦」、同年11月23日「出陣学生を見送る義
塾教職員 中央が小泉塾長」には涙が止らなかった。
小泉信三は、戦後今上天皇の皇太子時代、東宮御教育参与であったが、昭和25
(1950)年4月24日の御進講覚書が展示されていた。(¥1,500-のカタログには掲
載されていない。)--そこには「よくよくこの君徳といふことについて御考へ
になっていただきたいと存じます」とあった。
また会場では、昭和33(1958)年慶應創立百年記念式典および昭和37(1962)年
体育会創立七十周年記念式典において、小泉信三の行った挨拶等録音が流されて
おり、やや低めの生の声を初めて聴いて大いに感激した。
小泉信三を昔読んだ時に「大人は若い時の気持ちをおうおうにして忘れがちだ」
という趣旨の文章が強く印象に残ったが、「常に学生(若い人)と共にある」と
いう姿勢には<少しでも>近づきたいものだ。
会場2階で小泉妙『父 小泉信三を語る』(慶応義塾大学出版会)を購入、今夢
中で読んでいる。本を夢中になって読むのは久しぶりだ。
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