ロシアのウクライナ「侵略」にトランプ米国大統領が仲裁に乗り
出している。
しかし、3月1日(土)、米ウ会談はカメラの前で喧嘩別れ。
ゼレンスキーは、「ハレーション」覚悟で、トランプにひと言言
いたかった?
欧州はゼレンスキーを支持?
先行き(一寸先は闇)はますます不透明に?
アメリカが「仲裁」に入ったことは日露戦争の時もあった。
<日露戦争とアメリカ>
いささか長くなるが、『詳説日本史』2024よりの「一部抜粋」で
日露戦争時の状況を復習すると・・・・・・
〇日清戦争(1894-95)によって清の弱体ぶりを知った欧米列強
は、あいついで中国に進出していった。
〇1900年に入ると、中国では排外主義団体義和団が勢力を増して
各地で外国人を襲い、北京の列国公使館を包囲した。清朝政府
も義和団に同調して、列国に宣戦を布告した(北清事変、義和
団戦争)。
〇これを機にロシアは中国東北部(「満洲」)を事実上占領し、
同地域における独占的権益を清に承認させた。
〇桂内閣はイギリスと同盟して韓国での権益を守る方針をとり、
1902(明治35)年に日英同盟協約が締結された。
〇日英同盟の成立後もロシアは満洲に駐兵を続けたので、日本政
府は対露交渉を続けるかたわら開戦準備を進めた。国内世論も
当初は決戦を好まなかったが、対露同志会などが決戦を声高に
叫ぶ中、開戦論に傾いていった。
〇日本とロシアの交渉は1904(明治37)年初めに決裂し、同年2
月、両国はたがいに宣戦を布告し、日露戦争が始まった。
〇日本は、ロシアの満洲占領に反対するアメリカ・イギリス両国
の経済的支援を得て、戦局を有利に展開した。
〇1905(明治38)年初めには、旅順要塞を陥落させ、ついで奉天
会戦で辛勝し、さらに5月の日本海海戦では、日本の連合艦隊
がバルチック艦隊を壊滅させた。
〇しかし、長期にわたる戦争は日本の国力許すところではなく、
ロシアも国内で革命運動がおこって戦争継続が困難になったた
め、アメリカ大統領セオドア=ローズベルトの斡旋によって、
1905(明治38)年9月、アメリカのポーツマスで日本全権小村
寿太郎とロシア全権ウィッテが講和条約(ポーツマス条約)に
調印した。
〇日露戦争後には日本の満洲進出が本格化し、1906(明治39)年
には、関東州(旅順・大連を含む遼東半島南端の租借地)を統
治する関東都督府が旅順におかれ、半官半民の南満洲鉄道(満
鉄)が大連に設立された。
〇これに対して、満洲市場に関心をもつアメリカが、門戸開放を
となえて日本の南満洲権益の独占に反対し、日米関係が急速に
悪化した。
*アメリカの鉄道王ハリマンから満鉄経営の資本参加を求められ、予備協定
まで結ばれたが、ポーツマス会議から帰国した小村外相の意見によって破
棄する「事件」が起きている。その後、アメリカは満洲のすべての鉄道を
中国(清国)の所有とし、関係列国の共同経営にする案を持ち出す。これ
を日露両国は協議のうえ拒否した。(古屋哲夫『日露戦争』--満洲をめ
ぐる日米対立)
3/1 0:01 NHKニュース
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