この歳になってくると、今まで読んだり、聴いたりした本やCD
の中からベスト10(あるいはベスト20)を選んでみようかと思っ
たりする。
読んだ本からたった10冊に絞るのは大変難しいが、小泉信三『海
軍主計大尉小泉信吉』は「当選確実」である(→こちら参照)。
海軍省から戦死の電報が来たとき、私は外出中、妻は老母の許に来客があっ
て手伝いに行って居り、家には娘二人と従姉が一人遊びに来ているのみであ
った。そこへ「親展電報」とあったので、娘等は開封すべきかすべきでない
か、恐れ惑った末開封して兄の死を知ったのである。二十一と十八の少女二
人、父母の帰宅を待つ間の心は、想像すれば哀れというべきであろう。
しばし程経て加代子はまた作った。
我兄よまこと南の海の底に
水漬くかばねとなり給ひにし
「水漬くかばね」という言葉が、特殊のひびきを以て聴かれるようになった。
(『海軍主計大尉小泉信吉』p211)
小泉信三の長男信吉が戦死したのは昭和17年10月22日のことだっ
た。
先日、ブックファースト青葉台店で、半藤一利『手紙のなかの日
本人』(文春文庫、2021/7)を何気なく手に取ったら、その中に
<「サムライたれ」と説く小泉信三>という一文があり、『海軍
主計大尉小泉信吉』の出版「秘話」が書かれていたので、思わず
買ってしまった。
本書『手紙のなかの日本人』より
なによりもまず手紙を、それも全文を引用したい。
君の出征に臨んで言って置く。
吾々両親は、完全に君(注:長男の信吉)に満足し、君をわが子とするこ
とを何よりの誇りとしている。(以下略)(本書p216)
昭和三十年代の初め頃に出版部員であったときに、小泉さんの担当として、
広尾の家をしばしば訪ねることがあった。・・・・・・
そんなある日のこと、広い応接間で原稿の出来るのを待っていたとき、「こ
れでも読んで待っていてくれ給え」といって小泉さんみずから手渡されたの
が、(300部限定)私家版の『海軍主計大尉小泉信吉』であったのである。
一読、大感激したわたくしは、さっそく一膝も二膝も乗り出して「ぜひうち
から本にさせて下さいませんか」と頼み込んだ。小泉さんは「駄目です」と
いったきり、くどく頼み込む隙のない厳しさを示し、とりつく島もなかった。
理由はなんら言わない。しかし「駄目」の一言は圧倒的な重さをもっていた。
(同p218)
注:( )内は私が補ったもの。
小泉信三は、昭和41年5月11日に心筋梗塞で亡くなった。
文藝春秋社から『海軍主計大尉小泉信吉』が発刊されたのは、同
年8月15日である。
半藤一利の本書には、『海軍主計大尉小泉信吉』が発刊されるま
での、小泉信三没後の、さらなる詳しい経緯が書かれている。
半藤一利『手紙のなかの日本人』(文春文庫)
小泉信三『海軍主計大尉小泉信吉』(文藝春秋社)単行本
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