昭和35(1960)年、時事通信社から発行された、石川信吾『真珠湾
までの経緯』が初めて文庫本(中公文庫)として発売されたので昭
和史の「史料」として購入した。
解説は海軍史研究家戸髙一成氏だ。
石川信吾(1894-1964)は、海軍兵学校、海軍大学卒、参謀畑のエリ
ートだ。昭和15(1940)年、軍務局第二課長に就任し、海軍国防政
策委員会・第一委員会(PTかな?)メンバーとなる。
石川は、後に「(対米)戦争に持って行ったのは俺だよ」と公言して
いたという。
青年将校ならぬ青年士官?海軍の「政治的軍人」?「反省」がない?
大井篤(1902-1994)元海軍大佐によれば、第一委員会メンバーに石
川を指名した上層部(及川古志郎元海軍大臣、岡敬純[1890-1973]
元軍務局長か?)の責任は大きいという。
<本書の目次>
第1章 支那大陸をめぐる日米の争い
第2章 ワシントンおよびロンドン会議の真意義
第3章 日米海軍競争史
第4章 満州事変をめぐって
第5章 ヤマを迎えた1936年
第6章 愚かなる支那事変
第7章 第二次世界大戦の前夜
第8章 欧州大戦の火ぶた切らる
第9章 日本は欧州戦争にかかわらず支那事変に猪突す
第10章 日独伊三国同盟と日ソ中立条約
第11章 太平洋の波高し
第12章 第二次近衛内閣と日米交渉
第13章 独ソ開戦す
第14章 米英の追いこみとさまよう日本
第15章 太平洋戦争の開幕--ハル・ノート前後
終章 十五年後におもう--「むすび」にかえて--
〇戦後15年して石川信吾が自らの思想をまとめた書である。
〇海軍には、元々条約派と艦隊派(→こちら)があり、条約派が予
備役となった経緯がある。
石川信吾は艦隊派の流れをくむと理解すればいいのかもしれない。
〇石川は、さすがエリートだけあって、その主張は見事といえるか
もしれないが、やや視野が狭いというか一面的といっていいだろ
う(もっとむき出しに言えば、エリートのヒトリヨガリ?)。
〇日本は対米英戦争を行って負けた。
石川の類は、他にもいるが、小泉信三いわゆるgood looserとは言
えないのかもしれない。
〇終章「十五年後におもう」には、「アメリカの戦争目的は、支那
大陸に対する『門戸開放、機会均等』政策に堅持することにあっ
た。・・・・・・太平洋戦争の実際の勝利は、・・・・・・(中国の共産化に
よって)ソ連にもっていかれてしまったのである」とある。
これは、奇しくも『第二次大戦に勝者なし--ウェデマイヤー回想
録』(1958)の主張とほぼ同じである。
石川信吾は、はたしてこれを読んでいたか?
〇日米戦争の遠因は、日露戦争後の満洲といっていいのかもしれない。
(『坂の上の雲』の後?)
〇20世紀初期の米国の動き(内政と外交)--とくに対日関係につい
て、あらためて調べる必要があるのかもしれない。
石川信吾『真珠湾までの経緯』(中公文庫)
A.C.ウェデマイヤー『第二次大戦に勝者なし』
NHKスペシャル取材班『日本海軍400時間の証言』
本書にある海軍反省会は、石川信吾の没後である昭和55(1980)年
から平成3(1991)年にかけて行われている。
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