6月28日(金)、雨。「雨が降ります 雨が降る」(北原白秋)。
シャッターチャンスとばかり、何枚かアジサイを撮影する。
〇(以前書いたかもしれないが)日々のブログ作成のためでもあ
るけれど、ネタ帳ならぬ「何でもノート」と称するメモ帳を携帯
している。
整理したら、かなりの冊数となった。
私のネタ帳(マル秘何でもノート) 過去7年分
〇友人と電話。
「あたしゃネ~、今や白秋も過ぎ、<玄冬>に入っているよ」
と言いたかったのだが、「玄冬」という言葉が出てこない・・・・・・。
「青春、朱夏、白秋の次は何だっけね~」
「色なんだから『黒冬』じゃないでしょうか?」
〇家のラジオから私の耳に「歌謡曲」が入ってきたのは、三橋美
智也「おんな船頭唄」(S30[1955]、作詞藤間哲郎、作曲山口
俊郎)ごろからだ。
昭和30年代前半は「三橋に明け、三橋に暮れる」と言われた時代
だ。時代が違うとはいえ、三橋のミリオンセラー30曲はすごい!
昭和30年代半ば、小学生の私が歌っていて、いまでも歌える曲は、
・守屋浩「僕は泣いちっち」(S34、作詞・作曲浜口庫之助)
・村田英雄「王将」(S36、作詞西條八十、作曲船村徹)
・北原謙二「若い二人」(S37、作詞杉本夜詩美、作曲遠藤実)
発表当時、浜口庫之助42歳、船村徹29歳、遠藤実30歳だった。
〇たまたまYouTubeで淡谷のり子の「雨のブルース」(SP→こちら)
を聴き、なぜかしらん涙が出てきた。
よく聴くとすごい歌ですね~。
関連図書
田辺明雄『日本の歌謡曲』(S56[1981]、講談社)
「歌謡曲」をテーマにした評論論文の力作。
毎日新聞『あのうたが聴こえますか ~戦後五〇年歌物語~』
(H7[1995]、音楽之友社)
<雨のブルース>(S13[1938]、作詞野川香文、作曲服部良一)
太平洋戦争の末期、国内の基地や前線へ慰問に回っているころだった。白い
鉢巻きをした若い兵隊が客席の隅にかたまっていた。「(平均年齢16歳の)特
攻隊です。途中で命令が下りた時はお許しを」。上官の言葉が舞台に立ってか
らも気になった。なんて時に巡り合わせてしまったのか。動揺を隠しながら歌
い進むうち、一人が立ち上がるのが目の端に入った。若い兵隊は舞台の前まで
来ると、にっこり笑って敬礼した。子供のような顔だった。そうやって一人ず
つ去っていった。
歌うことができなくなった。「すみません。少し泣かせてください・・・・・・」
淡谷さんは客席に背を向け声を出して泣いた。
○6/28(金)日本陸上 女子1500m決勝
田中希美はまったく速い!五輪標準記録を突破して優勝!
ペースメーカーの二人とともに先頭をゆく(黄色のシャツ)。
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