野村克也の新刊『プロ野球重大事件--誰も知らない“あの真相”』(角川one
テーマ21 2月10日刊--2月19日購入)を読んだ。野村はノートか新聞のスク
ラップを参照しているのだろう。話が具体的でおもしろい。
その中に、日本シリーズ「寺田(陽介/世紀の)落球事件」が語られており、懐か
しかった。
というのも私(小学5年生)はテレビで生中継を観ているからだ。
時は昭和36(1961)年10月29日巨人対南海の日本シリーズ第4戦。あらため
て万年カレンダーで調べたら、その日は日曜日だった。場所は後楽園球場。
9回2死まで巨人が2対1でリードしていたが、広瀬の逆転2ランで南海が2対3と
逆転。その裏、巨人も先頭打者が死球で出塁。ここでスタンカがリリーフに登場。
スタンカは坂崎を三振、国松を一塁ゴロに打ち取り、南海は勝利まであと一人に
こぎつけた。そして、次のバッター、代打の藤尾は一塁に凡フライを打ち上げた。
これでゲームセットと思った瞬間、一塁手寺田が落球してしまった。続く3番長嶋
のサードゴロを小池がファンブル、満塁となったのである。後楽園球場は興奮の
るつぼと化した。
次打者4番宮本を2ストライク-1ボールまで追い込んだ4球目、ストライク、バッ
ターアウトと思ったら、主審円城寺の判定はボール。これには、キャッチャー野村
をはじめスタンカ、鶴岡監督も猛抗議。スタンカは手を後ろに組んで抗議したが、
判定がくつがえるはずもない。
試合再開後、スタンカが投じた一球を4番宮本がライト前にヒット、巨人の逆転サ
ヨナラ勝ちとなった。
その瞬間、スタンカは野村の本塁カバーに入ると見せかけて、円城寺に体当たり、
円城寺は突き飛ばされたばかりか南海の選手から暴行を受ける騒ぎとなった。
ちなみに第5戦南海の先発スタンカは巨人宮本にビーンボールを投げ、両軍入り
乱れての乱闘騒ぎとなる。当時の私は大の巨人ファンだったが、プロレスの血ま
みれシーンを見るかのごとく興奮して見ていた。熱い日本シリーズだった。
結局、このシリーズは4勝2敗で巨人が勝利している。
野村克也『プロ野球重大事件--誰も知らない“あの真相”』(角川oneテーマ
21 2月10日刊)★★★★★
2月23日(木)OB練習の折、下田さんを通じて注文した、平野忠彦『私の第四
幕』(世界日報社)を入手。2日間で一気に読み終えた。読みだしたら止まらない。
大変おもしろかった。
平野さんは、畑中先生のお弟子さんということもあり、昔からワグネルとは「タンホ
イザー」で共演していた。そのため、私は平野さんがミュージカルで活躍されてい
ることを知っていたが、今回この本を読んでみて、それは平野さんのほんの一部
であることが分かった。
オペラ、ミュージカルはむろんのこと日本歌曲、作曲家、詩人、お弟子さん、音楽
家、コンクール、映画、スポーツ、自動車等々やや軽めのタッチでさらさらと読み
やすく書かれている。
オペラの話などは、通り一遍のオペラ案内と違い、実体験に基づいているので実
に興味深い。
「波瀾万丈の詩人 三好達治]--萩原朔太郎の妹のことは知らなかった。
平野さんが私より一回り上の寅年(戊寅)であることも初めて知った。
平野忠彦『私の第四幕』(世界日報社)★★★★★
2月23日(木) 文京シビックにおいてOB練習--ファリャの続き。KDさんから佐
藤千夜子のCDをいただき、恐縮の極み。さっそく「波浮の港」を聴いた。この曲は
高校時代、音楽部の先輩(バリトン)が音楽会で歌っていたので懐かしい。佐藤千
夜子の「波浮の港」は思ったよりイン・テンポだった。
「米国式育児法」で寝ていたら、右の首筋から背中ががこってしまった。こういう時
はウォーキングが一番だが、まずはゆっくりとしたストレッチで改善中、である。
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また過分なお気遣いを賜り、こちらこそ恐縮しております。
かつてのNHK連続テレビ小説「いちばん星」は、高瀬春奈から五大路子への主役交代ばかりが印象に残っていましたが、佐藤千夜子の生涯が題材だったと後から気付きました。当時、長嶋茂雄・巨人軍監督が好んで観ていたと野球関係雑誌で述べていた記憶があります。
野村さんの一件、
「円城寺 あれがボールか 秋の空」(詠み人知らず)ですね(笑)。
お若いのによくご存知ですね~(笑)。
「いちばん星」は昭和52(1977)年放送。今から35年前。
寺田落球事件にいたっては51年前の出来事でした。円城寺さんも亡くなられて29年になります。
昨日は某所でお会いし、?10年振りの再会でしたが、クオリティーライフをお過ごしの御様子、嬉しい限りです。
早速、御紹介の当ブログにやって参りました。どの記事を読んでも、素晴らしい内容と質の高い人生に感服で御座います。
その中で「寺田(陽介/世紀の)落球事件」が目に止まりましたが、実はこの試合、私は後楽園球場で実際に観戦していたのです。
その日は、おっしゃるとおり日曜日で、朝、お向かいの家の方が来られ、
「今日の日本シリーズ、行けなくなったので、宜しければチケットを差し上げます」とのことでした。戴いたのは2枚でしたが、当時の私は一級下の小学4年生、弟が2年生であり、母が連れて行ってくれましたが、3人の入場が駄目なら、母は喫茶店で時間を潰すつもりでした。
幸い、子供だったこともあり、3人の入場が許され、白熱した中、試合は9回2死まで進みました。その時点までに印象に残っているのは、初回に南海の3番杉山が右翼に打ち上げたホームランでしたが。
私も巨人ファンでしたから、エンディー・宮本の打席は固唾を呑んで観ていましたが、円城寺主審のボール判定で揉めたことより、寺田陽介選手の落球は鮮烈に覚えています。宮本選手がファウルフライを打ち上げた時点で、ゲームセットと思いガッカリしましたが、次の瞬間、素人でも取れそうなフライを、ベテランのプロ選手が落球したのですから、信じられませんでした。
その後の宮本選手のライト前ヒットですが、胸のすくようなライナーが二塁手の頭上を抜けて行きました。あの時の快音は、今でも覚えています。
その年のオフ、寺田選手は南海を解雇されました。子供心にも、プロの世界の厳しさが感じられました.......。
さて、明日の記事を楽しみにお待ちしております。
51年前の試合を生でご覧になった、歴史的証人ですね~。
これからも時々、お気軽にお立ち寄りください。毎週月曜の更新です。