勝手に映画評

私の見た映画を、勝手に評論します。
基本的に、すべて自腹です。

スター・ウォーズ フォースの覚醒 / Star Wars: The Force Awakens

2015年12月23日 | 洋画(アメリカ系)
『A long time ago in a galaxy far far away...』

この言葉で始まる、スター・ウォーズ・サーガの最新作。前作、『スター・ウォーズ エピソードⅢ シスの復讐』から10年。6作で終了と言われたスター・ウォーズ・サーガでしたが、この作品含め、あと3作品制作予定される予定なので、元々スター・ウォーズ・サーガで予定されていた9作品が出そろうことになります。

『スター・ウォーズ エピソードⅢ シスの復讐』から10年?アナキン・スカイウォーカーが何故、そしてどのようにしてダース・ベイダーになってしまうのかの謎が解き明かされた衝撃から10年ですか。そんなに時間が経ったような気はしないんですが、10年経過しているんですねぇ。

今回の新作が、社会現象と言っても過言ではないほどに話題になっているのが、ハン・ソロ、レイア姫、ルークの、レジェンド3人がそろい踏みするからでしょうかね。キャリー・フィッシャーやマーク・ハミルは、それぞれ、レイヤやルークのイメージを壊さないように、結構なダイエットを強いられたようですが(苦笑)。それでも、この懐かしくも、伝説の3人が出るというのは、まぁ、話題になりますよね。

これまでの作品と決定的に違うことが一つあって、これまでの6作品では、監督か製作総指揮にジョージ・ルーカスが関わっていたんですが、この作品では、そうでは無いこと。一応、クリエイティブ顧問と言う形で関わるようですが・・・。上記のようにレジェンドが出るわけですが、監督始め制作陣が変わり、レイやフィンの様な新たなキャラクターも出ることもあり、今までの世界観を引き継いだ“リブート”と言っても良いのではないかと思います。

そういう意味では、始まって暫くは、何となく拭い切れない“違和感”を感じました。今までも、ルークやレイア、アナキンなどの人を描いていますが、この作品のレイやフィンの描き方は、なにか現代劇のような描き方なんですよね~。特にフィンが、ストーム・トゥルーパーに疑問を覚えるシーンなんかは、ジョージ・ルーカスだったら、ああ言う描き方ではなかったんだろうなぁと思いました。

J・J・エイブラムスは人を描き、ジョージ・ルーカスは物語を描くと言う感じでしょうか。ジョージ・ルーカスの時も、様々なキャラ立ちした登場人物たちが居ましたが、それはあくまでも物語を描くためのツールであって、それ自体が描くべき対象物じゃ無いんですよねぇ。それに対して、J・J・エイブラムスの場合は、今回の作品で見られたように、レイやフィンと言う人物そのものを描こうとしていたのだと後で気が付きました。同じ世界を描いた物語なのに、描き方・描く対象が違うと見た側の感じ方も違うんですね。

とは言え、物語が進んでハン・ソロが出てきた頃から、いままでのスター・ウォーズの感じに戻り、その違和感は徐々に軽減。それでも、いつもはセンターに居たハン・ソロが少し脇に退いた世代交代感は否定はできませんでしたね。時代の流れ・世代の交代と言えば、そのとおりなんですが。その代わりに、レイが活躍するさまは、正に・リブート・新作・新時代を感じました。

所々、これまでのスター・ウォーズの作品を髣髴とさせるシーンが有るのは、やっぱり、J・J・エイブラムスの「スター・ウォーズ愛」のなせる技ですかね。だってねぇ、あの終盤のシーンの数々は明らかに・・・。

この作品は、あと残る2作品に繋がる命題を提示した作品だと思います。次が、楽しみです。それと、これまでの作品を改めて見たくなりますね。

タイトル スター・ウォーズ フォースの覚醒 / 原題 Star Wars: The Force Awakens

日本公開年 2015年
製作年/製作国 2015年/アメリカ
監督 J・J・エイブラムス
出演 ハリソン・フォード(ハン・ソロ)、キャリー・フィッシャー(レイア・オーガナ)、アダム・ドライバー(カイロ・レン)、デイジー・リドリー(レイ)、ジョン・ボイエガ(フィン)、オスカー・アイザック(ポー・ダメロン)、ルピタ・ニョンゴ(マズ・カナタ)、アンディ・サーキス(スノーク)、ドーナル・グリーソン(ハックス将軍)、グウェンドリン・クリスティ(キャプテン・ファズマ)、アンソニー・ダニエルズ(C-3PO)、ケニー・ベイカー(R2-D2)、ピーター・メイヒュー(チューバッカ)、マーク・ハミル(ルーク・スカイウォーカー)