勝手に映画評

私の見た映画を、勝手に評論します。
基本的に、すべて自腹です。

アイヒマンを追え! ナチスがもっとも畏れた男 / Der Staat gegen Fritz Bauer

2017年01月07日 | 洋画(ドイツ系)
「ユダヤ人問題の最終的解決」に関与したアドルフ・アイヒマンを追う、西ドイツ・ヘッセン州の検事総長フリッツ・バウアーを描いた作品。

アイヒマンを巡る作品としては、アイヒマン確保後の裁判を描いた『アイヒマン・ショー/歴史を映した男たち』がありますが、それはこの作品後の世界を描いたものになりますね。『アイヒマン・ショー/歴史を映した男たち』では、ナチスの残党が暗躍する中、どの様に安全に、そして、確実にアイヒマンを裁くのかと言う事が問題になっていましたが、その前段階の捜査の時点でも、ナチス残党の妨害に苦しんていたんですね。

ナチス残党の妨害と言えば、同じ頃のドイツを描いた『顔のないヒトラーたち』がありますが、こちらでもフリッツ・バウアーの姿を見ることが出来ます。こちらの作品でのバウアーは、メインの登場人物ではなく、ドイツの暗い過去と向き合う若手検事たちを鼓舞するカリスマとして描かれていますが、話はつながりますね。

これら作品を見て、同じ第2次世界大戦の暗い過去を持つ日本とドイツの、いまの時代に置ける近隣諸国との関係性の違いに思いを馳せてみました。戦後、ドイツは、ナチス残党の妨害に遭いながらも自らの手で過去の精算を図った事がよくわかりましたが、果たして日本はどうでしょうか?日本が自らの手で過去の精算を図ったとは、聞きません。極東国際軍事裁判はありましたが、あれは、連合国の手によるものですからね。このあたりに、いまだに過去を蒸し返される一因があるのかも。もっとも、国内事情から目を背けさせるために、近隣諸国が日本を利用しているという側面の方が強いのかもしれませんが。それでも、ドイツの精算と日本の精算の違いを学んでおいても悪いことはないと思います。

さて、不思議なのは、バウアーの公序良俗に関する品行が反対勢力に把握されていたにも関わらず、文春砲よろしく使われなかったのは何故なんですかね?使おうとしていたのに時期を逸したのか、あるいは、使えないほどにバウアー人気があったのか?ちょっと気になるところではありました。

タイトル アイヒマンを追え! ナチスがもっとも畏れた男 / 原題 Der Staat gegen Fritz Bauer

日本公開年 2017年
製作年/製作国 2015年/ドイツ
監督 ラース・クラウメ
出演 ブルクハルト・クラウスナー(フリッツ・バウアー/ヘッセン州検事総長)、ロナルト・ツェアフェルト(カール・アンガーマン/検事)、セバスチャン・ブロムベルグ(ウルリヒ・クライトラー/ヘッセン州上級検事)、イェルク・シュットアウフ(パウル・ゲプハルト/連邦刑事局係官)、リリト・シュタンゲンベルク(“ヴィクトリア”/“娼婦”)、ローラ・トンケ(シュット嬢/バウアーの秘書)、ゲッツ・シューベルト(ゲオルク=アウグスト・ツィン/ヘッセン州首相)、コルネリア・グレーシェル(シャルロッテ・アンガーマン/カールの妻)、ロバート・アトツォルン(シャルロッテの父)、マティアス・バイデンヘーファー(ツヴィ・アハロニ/モサド係官)、ルーディガー・クリンク(ハインツ・マーラー)、パウルス・マンカー(フリードリヒ・モルラッハ)、マイケル・シェンク(アドルフ・アイヒマン)、ティロ・ベルナー(イサル・ハルエル/モサド長官)、ダニー・レビ(チェイム・コーン)


最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。