「うつせみ和尚」のお説教

『うつせみ和尚の日記』二件の事故が元で『(複雑性)PTSD/鬱』になって
闘病、障害当事者として活動している者です。

希死念慮は厭世なのか、自己嫌悪なのか、私の場合で一考察。

2011年06月14日 18時01分23秒 | 日日是佛滅
題名ばっかり長いのですが、まぁいつもの希死念慮です。

ここ最近は、「記念日」に近づくにつれ、希死念慮が強くなってきて、

それがより具体的なものになってきて、

「何年のいつごろにやって、引っ越しの手配をして、

置手紙と年賀状の断りのはがきも準備して、遺体は検視から献体に回るから、

葬式はしなくていいと言っておかなくてはいけないし~などなど」

毎日こんなことを考えています。

私は、段取りしいなので、残された人間が、

煩雑な遺品整理に時間を取られるのが嫌なのです。


さて、ここからが本題。

なぜ、私がここまで強い、ゆるがせのない希死念慮があるのか?

題名にも書いたように、厭世的なものは前に勤めていた会社とのやり取りで、

精神的にボロボロになってしまい、「世の中って、こんなもの」と、

思い始めたのが、大きなきっかけだと思います。

では、自己嫌悪は、というと、

これは昔から自分の事を醜悪だと思っていたし、

これは、兄との比較から来たものが大きく起因していると思います。

大学に進学した動機の数%は、これだと思います。

兄は、大学に行っていませんので。

そんなことが、複雑に折り重なって、

ゆるがせない「希死念慮」を形成していると思うのです。

事故から今まで、「いつ死んでも悔いのない一生を送る」というのが、

命題でした。

その時から、いわば「準備」はしているわけです。

「いつでもいいぞぉ」って。


にほんブログ村 メンタルヘルスブログへにほんブログ村にほんブログ村 メンタルヘルスブログ 複雑性PTSDへ
にほんブログ村

ドクバカ

2011年06月14日 05時27分59秒 | 奇論、迷論人物批評
とある精神科医の話し。(今のドクターではありません。)

私:先生、最近息苦しくなって、急いで息をする時があるんですが。

Dr.:(しばし沈思)そういう時はね、こうやって深呼吸すればいいんだよ。

私:・・・。

精神科医のセリフなのか、体操のお兄さんのセリフなのか、わかりません。

この後、ドクターを替えたのは云うまでもありません。