題名ばっかり長いのですが、まぁいつもの希死念慮です。
ここ最近は、「記念日」に近づくにつれ、希死念慮が強くなってきて、
それがより具体的なものになってきて、
「何年のいつごろにやって、引っ越しの手配をして、
置手紙と年賀状の断りのはがきも準備して、遺体は検視から献体に回るから、
葬式はしなくていいと言っておかなくてはいけないし~などなど」
毎日こんなことを考えています。
私は、段取りしいなので、残された人間が、
煩雑な遺品整理に時間を取られるのが嫌なのです。
さて、ここからが本題。
なぜ、私がここまで強い、ゆるがせのない希死念慮があるのか?
題名にも書いたように、厭世的なものは前に勤めていた会社とのやり取りで、
精神的にボロボロになってしまい、「世の中って、こんなもの」と、
思い始めたのが、大きなきっかけだと思います。
では、自己嫌悪は、というと、
これは昔から自分の事を醜悪だと思っていたし、
これは、兄との比較から来たものが大きく起因していると思います。
大学に進学した動機の数%は、これだと思います。
兄は、大学に行っていませんので。
そんなことが、複雑に折り重なって、
ゆるがせない「希死念慮」を形成していると思うのです。
事故から今まで、「いつ死んでも悔いのない一生を送る」というのが、
命題でした。
その時から、いわば「準備」はしているわけです。
「いつでもいいぞぉ」って。
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ここ最近は、「記念日」に近づくにつれ、希死念慮が強くなってきて、
それがより具体的なものになってきて、
「何年のいつごろにやって、引っ越しの手配をして、
置手紙と年賀状の断りのはがきも準備して、遺体は検視から献体に回るから、
葬式はしなくていいと言っておかなくてはいけないし~などなど」
毎日こんなことを考えています。
私は、段取りしいなので、残された人間が、
煩雑な遺品整理に時間を取られるのが嫌なのです。
さて、ここからが本題。
なぜ、私がここまで強い、ゆるがせのない希死念慮があるのか?
題名にも書いたように、厭世的なものは前に勤めていた会社とのやり取りで、
精神的にボロボロになってしまい、「世の中って、こんなもの」と、
思い始めたのが、大きなきっかけだと思います。
では、自己嫌悪は、というと、
これは昔から自分の事を醜悪だと思っていたし、
これは、兄との比較から来たものが大きく起因していると思います。
大学に進学した動機の数%は、これだと思います。
兄は、大学に行っていませんので。
そんなことが、複雑に折り重なって、
ゆるがせない「希死念慮」を形成していると思うのです。
事故から今まで、「いつ死んでも悔いのない一生を送る」というのが、
命題でした。
その時から、いわば「準備」はしているわけです。
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