昨日、母の小さな葬儀をし、骨を納めた。
父が眠る、角館のお墓に。
家の仏壇には母が加わった。
夫氏の山形のお墓のお骨も、先日同じお墓に納めた。
山形の先祖代々の位牌も置いて、皆にお線香をあげることになる。
母の認知症が判明したのが2007年、母が77歳のとき。
その年のクリスマスイブの日に、弟が大動脈解離で救急搬送。
ちょうど私が新潟市の実家に帰っていた時だった。
そして両親を秋田に引き取り、退院後の弟も秋田に来た。
2007年12月27日のブログより。
弟のこと、母のこと、病院で倒れた父のこと。
朝の会議を欠席して、あちこち電話して対策を練った。
とりあえずヘルパーさんを頼もうということになったが…。
朝の会議を欠席して、あちこち電話して対策を練った。
とりあえずヘルパーさんを頼もうということになったが…。
医局長を辞めさせてもらうとか、仕事のあれこれを含めて、理事長に相談した。
父が手抜きできない性格で、それが毎日の生活に、母の認知症に影響しているようでと話したら、ただ一言、言われた。
「ご両親を秋田に連れてきなさい」
理事長もご両親のことであれこれあったから、その言葉は重い。
「ご両親を秋田に連れてきなさい」
理事長もご両親のことであれこれあったから、その言葉は重い。
しかも、認知症では県内でトップを走っている医療法人。
「もし説得に難渋するようなら私が説得するから」とまで言ってくださった。
母が救急車で運ばれたとき「秋田にひきとれば?」と旦那様が最初に言ってくれたのだ。
地元の俳句の会の仕事がある父は、断固反対。
けれど、何度も新潟に行き来してわかったことは、父の仕事量がひどく多いこと。
そこまでやらなくてもいいのにと思うようなことまできっちりとやっている。
真面目な父をこのままにしておくと、俳句の会のことだけじゃなく、
暮れの大掃除をやってのけて正月のあれこれをやって、忙しく立ち働いてまた倒れそうな…。
一日中、電話したりメールしたりの挙げ句、30日に帰省して、31日に両親を秋田に連れ帰ることになった……
15年が過ぎ、3人をぜんぶ見送ってしまうなんて。
「井嶋」姓は、私のペンネームだけになってしまった。
今日は午前中だけ診療する予定。
少しずつ、ペースを上げていかないとね。
両親弟のことについては、夫氏に感謝してもしきれない。
おかげでいつどんなときも、3人に見守られている気がする。
今日もびよよよ〜〜ん (*^ __ ^*)