10日ほど前に青葉山を歩いて来て、午後家に着いた時、家のドアを開けようとしたら、いつも入れているザックのポケットにそのカギが見当たらなかった。
ザックや衣類のポケットをくまなく探したが見当たらないので、青葉山に出かけた際にたどった道路、バス、山道のどこかで落としたに違いない。どこで落としたか分からないので、探しようがないものとあきらめた。あるいは山道のどこかであればどこかに雨ざらしで落ちているのかもしれないし、バスや一般道路であれば誰かが拾って拾得物センターや警察にとどけでがあるかもしれないと思ったが、落とし物の検索をかけても該当はなかった。
よって、紛失したものとあきらめて、家にあった原本キーをもとに合鍵をつくった。ディンプルなので3000円もかかったのが残念といえば残念だったが、それ以上に悔いが残ったのは、キーホルダーが2020年2月26日に大阪で開催されたみゆきさん最後の全国ツアーの会場で買い求めたオリジナルキーホルダーだったからだ。
あれから4年近く、ホルダーの真っ赤な皮が手垢のしみるほど愛用してきたキーホルダーだったので、まことに残念無念だった。
ところがである、今日しばらくぶりに青葉山にでかけ、そのキーホルダーをなくした日と同じルートに踏み込むや否や、遊歩道の真ん中に設けられたアズマヤにそのなくしたカギがみゆきさんのキーホルダーとともに(あたりまえだが)置いてあったではないか。
アズマヤのテーブル上に何やら目立ちやすいように鉄板がおいてあり、キーホルダーはその上にちょこんと置かれていた。きっと、近くで拾った親切なお方が、「この鍵の落とし主は、きっとたどったみちを戻って探しに来るだろうから、ここにめだつようにおいておこう。」と考えたのだろう。
山道で拾った拾得物は、財産上の価値がないものであれば、その近くに目立つように置いておくのが、警察などに届けるよりいいのだろう。手垢に塗れたキーホルダーと鍵なんて縁のないヒトにはまったく無価値な財物なんだろう。(数年前古いカシオのプロトレックを紛失した際に、近くの避難小屋の吊り金具に誰かがかけててくれたおかげで発見できたのと同じ思考回路だ。)
どこのどなたかわからないが、「みゆきさんを返してくれた」のであり、感謝してもしたりないくらいだ。このブログを読むことはないのだろうが、「ありがとうございました。」
うれしくて思わず周囲の木々をぐるりと眺めた。なにやら神さびた気配がした。
寒い日だったが、12月1日、幸先よし。ずうっと恵まれないオイラにも、なにやら吉祥の風が吹いたのかしら。寒くても、山に通おう。そして、その名前も知らない拾得者のお方のようなふるまいに努めよう。
もうこの「みゆきさんキーホルダー」と原本の鍵は家で大事にしまっておこうと決めた。