今日は中体連のソフトテニス(孫ムスメ⓵が出場)の応援に出かけました。あんまり見ることがないスポーツです。ルールも完全にはわかっていません。しかし、見ていて‘審判’(ジャッジ)の難しさを感じました。審判台にいる主審と逆サイドの副審で判定していました。この大会では線審は不在でした。その審判も空きチームの中学生選手たち。各チーム、監督全員がそのような判定でよいと納得されての大会だったのでしょう。(高校生にお願いしたらいいのにと思いました)
ボールがラインに入ったか出ていたか(セーフかアウト)を競うスポーツです。ちょっと離れていたのではっきりはわかりませんがラインぎりぎりの場面を何度か見ました。審判の生徒たちも仕方なしに?セーフ、アウトと判定していました。むろんほかの手立て(ビデオ判定とか)はないのですから両チームともその判定に従わなければなりません。時おりは確認を求めている選手も見られました。
あいまいさを認める(お互いさま)の精神がなければ成立しない感じを受けました。アマチュアの、中学生の地方大会の予選大会だから許されているのかもしれません。しかし、一つのジャッジに泣いた子どももいたのではないかと思いながら見ていました。
ジャッジはたいへん難しいことです。人の目で行っているからです。いま行われているWカップサッカーでは最新の技術を取り入れて判定の補助をしているようです。プロ野球もホームランが試合後に間違っていたと審判の話しがあったり、大相撲もビデオ判定を取り入れたりされています。ジャッジするのは人の目でです。あわせて経験もたいへん重要なことです。Wカップサッカーの審判に日本からも派遣されているようです。先日、練習(訓練)のようすがニュースであっていました。オフサイドを何度も何度も見る練習?をされていました。‘瞬時の判断’も要求されます。ゲームの行方を左右する審判の方たちのご苦労に敬意を表したいものです。そのためにももっと精度を上げるようなジャッジの在り方を考えていくべきではと思います。小さな大会でもそんなジャッジを受けながらゲームをして育った子どもはフェアプレー精神も併せて育てられると思うのですが。大会運営する人たち、一考あれ!
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