午後からすっかり正月でなまくらになった体を揺り動かして‘歴史探偵ごっこ’に。
気になっていた人吉の‘天子’に。人吉は3か所、葦原の天子はわが家の近くなのですが、残りは(中原)と(原田)とあって私は詳しく知りませんでした。昭和55年刊の報告書に中原周辺の地図があって、⛩(天子)と⛩(天下大明神)と記述してあったので、それを手掛かりに歩き回ってきました。⛩(天子)は中原の天子のようです。7月の豪雨で(大柿地区の川反対)浸水したところです。その痕跡は何もありませんでした。今度の水害ではなくて圃場整備でどうにかなっているのではと察しました。地元の人に聞かないと分からないようでしたので、後日に再度行く必要があります。
⛩(天下大明神)は原田のようです。西門という集落でお年寄りの方に聞きましたが分かりませんでした。地名としては(天下山 あもりやま)は知っておられました。“ゴソ山”だった、いまは病院施設が建てられているところだと教えられました。病院建築のときに整備されて無くなったような感じでした。ここももっと聞き取りが必要でした。
右が石造地蔵菩薩立像、左は木造釈迦如来坐像です
けっきょく2か所ともその存在すら消滅しているのではないと思われました。ちょっと残念なることでした。しかし、天子を捜し歩いていてお堂3か所があったのでお参り&写真撮影してきました。今年はじめての歴史探偵ごっこの収穫でした。上の写真は2mほどもある石造地蔵立像さんです。お堂の名前が分かりませんでしたがそのうちに調べます。りっぱなお地蔵さまでした。他のお堂の仏さまも立派でした。そのうちに紹介します。
今日の天気(霧→)