言わなければよかったのに日記

 私が見たこと、聞いたこと、感じたこと、頭にきたこと・・・を(ありのまま)に伝えます。

万江阿蘇神社に

2020年05月11日 | 歴史探偵
    

 今日は前から気になっていた(万江阿蘇神社)を総代さんに開けてもらって‘調査’させてもらいました。朝9時に約束させてもらってmatumotoさん、nishiさんに対応してもらいました。この神社は建物と、扉1基、棟札3枚が村指定になっています。村誌にはいちおうの記録はあるのですが、きちんとしてまとめてありませんでした。そこで、写真と寸法(大きさ)を調査せてもらったのです。
 縦113㎝、横44.5㎝の左扉が保存されていて(たぶん本殿の中にあったもの?)そこに「欽奉再興相良宮内少輔御代/明応六年丁巳八月吉祥日/万江次郎左衛門、同縫殿佐、小野公慶」と陰刻されています。明応6年:1497年のことです。棟札も残っていましたが、記録としてはこの(明応6年)がいちばん古い記録のようでした。

   
 残りの棟札も記録にとらせてもらったので、村誌に付け加える形でまとめてみようと思っています。もう一つ興味があったのは写真の三十六歌仙の絵馬が掛けられていたことでした。16枚掛けられていましたが、これも写真におさめてきました。これも調べてみたいと思いました。
 山あいの田舎にポツンと神社があります、地元の人たちの信心深さからこれまで大切に守り継がれてきたお宮です。その素晴らしさを後世に伝えるためにも神社のお宝を調べて、先ずは地元の人に知ってもらう⇒もっと大切に、ということが大事だろうと思っています。
 今日は私にとってもいい勉強をさせてもらいました。

 今日は心地よい初夏の一日でした、ところが今日は沖縄で梅雨入りとか、今しばらくが1年のうちでも過ごしやすいトキです。

 今日の天気(
 

古い新聞を

2020年05月10日 | 歴史探偵
      

 どうしてあるのかはハッキリと分からないのですが、明治から昭和までの古い新聞が資料館に保管されていました。たぶん、ずいぶん前に村誌を作るための資料として(どっかのコンサルさん)に依頼して‘山江’に関する記事を集めたのではないかと思われます。“山江”という「語」があるページがコピーしてあります。
 それを綴じて冊子になっているものが保管されていたのです。それをめくりながら見ています。興味深いのは写真のような広告です。記事よりも面白く見ることができました。いまは見れなくなった商品もありますが「仁丹」などは今でも売ってある商品です。この新聞は。(九州新聞)(大正14年2月13日号)です。
 この新聞の2月10日号には、「尾崎電気落成式」という記事が載っています。興味ある記事なので全文を。
「球磨郡山江村廣裏十里の大村にして人吉町の東方山岳重壘の間にあり而して大字山田、城内區の如きは人吉町を距ること里餘にして從て電燈の供給も容易なるも同村大字尾崎區並に万江區は供給不可能にして隔世の観あるより先般來同地の有志発起にて尾崎電気私用組合なる会社を組織し山田川の上流に発電所を設置しこれが需用を達成すべく計画中なりしが此程全く竣成せしを以て來る十一日の紀元節を卜し其開通式を挙行すべく準備を整へ居れり」とあります。100年近く前の文章は読みづらいし、漢字もよくわかりません。新聞のコピーなので画数が多い字はつぶれていてよく読めません。したがって少し間違って読んでいるかもしれません。
 しかし、このことは確かなことで、なぜかしら山江は山田も万江も奥地から電気点灯しているのです。面白い記事を見つけました。コピーしてあって字が小さいので自分の目には悪い作業です。

 今日は一日中雨が降って家の中での“歴史探偵ごっこ”でした。明日は外に出ます。
 
 今日の天気( 一時

 

書かれない郷土史のこと

2020年05月09日 | 歴史探偵
    
      万江の山奥の(合子俣の庚申塔)です、近くのお婆さんが世話していました、105才くらいです、しかし、今は施設入院です。もう、だれもこの庚申さんを祀る人はいなくなりました。

 先日に買い求めた古本「書かれない郷土史」のことの続きです。この本のはしがきに次のように書かれています。
「・・・民俗資料はつぎつぎに失われていく。特に民謡や口承の伝説や年中行事などは、ここ数年で滅亡してしまうのではあるまいか。今のうちに誰かが、せめてそれを記録にでもとめて置かなければ永遠にその姿を没してしまうであろう・・」と警告されているのです。そして蒐集されたものを文章化されて本にまとめられているのです。ところがそれは昭和35年のことなのです。その頃ですら“失われていく”という現象はあったようです、筆者は神奈川県の方ですので、人吉盆地よりもその速度は早かったにしろ60年前のことです。このときと比べたら数段に失われています。
 そんなときに無謀なるチャレンジをしている一人です。(もう間に合わない)(まだ間に合うかもしれない)と思って、“歴史探偵ごっこ”をしています。廻りの人を巻きこみながら、一人でも多くの人と記録の残す作業をしたほうがいいのでは、と思ってです。
 資料館で「写真でみるやまえの130年」の写真集を作りました。写真は見るだけでむかしを語れます。そんな意味合いで編集したつもりです。ひとつでも後世にと思っています。
 「書かれない郷土史」には、「庶民の歴史書は空白」ともは、はしがきに書かれています。だから“書かれていない郷土史”のようです。ひょっとすると(間に合うかもしれない今なら)という気持ちでがんばります。

 今日の天気(

久しぶりに

2020年05月08日 | 教育
    

 久しぶりに(教育)のことを。コロナのことでずいぶんと教育(特に学校教育)が影響をこうむっています。教育現場の人たちはたいへんだろうと思います。熊本県も人吉球磨も落ち着いてはきているので、いちおう5月いっぱいは休校措置のようですが、早めに再開するやもしれない感じではあります。
 まるっきし、教育現場から離れてしまったので、最新情報はわかりませんが、老婆心な心配を。
 子どもたちの教育に(格差)を生じさせてはならないということです。日本の教育の特徴の一つは(全国区)だということです。それぞれ地域によって特性はあるものの全国一律に教育が施されていることです。ところが今回のコロナ休校では、少し(格差)が見えているような気がするのです。
 ひとつは、ICT教育です。まだ、市町村に導入の差があります。今回の休校でその差がみえたのでは、と危惧します。しかし、環境が整っていると言っても、そのことを上手く使いこなせているのか・・これまた疑問です。宝の持ち腐れになってはいないでしょうや。
 もう一つ気になっているのは、先生たちの(学校の)動きです。宿題(課題)は与えてあるようですが、担任の先生と子どもが(親が)繋がっているのかという疑問です。家庭訪問はしづらい状況ですが(放りっぱなし)になっているような気がするのです。何かつながる方策があるような気がするのですが。
 昨今の教育は(デジタルとアナログ)の使い分けです。デジタルがダメならアナログです。どっちも使えていないなら最悪な状況です。もう、子どもたちの学力も体力もかなり落ち込んでいます。元に戻す(取り返す)ことはたいへんです。
 ちょっとした知恵を出している市町村と学校と担任の先生がいます、休校が長引けば長引くほど、その(格差)は広がるばかりです。そのことを憂いているのですが。(智慧)の一ひねりを熱望します。

 今日の天気( 風がひどかったです) 

GWが終わって

2020年05月07日 | 日記
    

 いつもとは違ったGWが終わっても、まだコロナの影響は残っているようです、熊本ではこのところ感染者も出ていないようで、アチコチで“緩和”が進むのかもしれません。孫たちは3人とも学校へ(ちょっとだけ登校)していきました。顔見せと宿題点検なのでしょうか、時間はバラバラに出かけていきました。人吉市内の学校はどうされるのかわかりませんが、今のところ徐々に普通に近くなっていくのだろうと思われます。私も資料館に出勤してきました。まだ閉館中ですが、来週12日からは開ける予定です。今のところ少しずつ平常に帰っていくのだろうと思われます。第2波が来ないことを願うばかりです。

 コロナの影響ではないのですが、最近ネットで本を数冊買いました。(ヤフーオフと日本の古本屋)の利用です。今日はヤフーオクから「書かれない郷土史」が届きました。300円で送料が198円でした。ネットなので事前には中味はそんなにわかりません、届いてみてワンコイン(500円)でよかったと思いました。200ページですが読む本ではなく、参考になる本です。武蔵・相模を中心とした年中行事、民俗信仰、伝説・昔話、神社・寺院ゆかりの説話などが書かれています。昭和35年刊です。中味は古くても方法論は一緒です。いちばん気になったのは本のタイトルです、「書かれない郷土史」・・手に取って見たくなるタイトル名でした。参考にしながら人吉球磨の郷土史を探っていこうと思っています。

 今日も暑い5月の初夏の一日になりました。

 今日の天気(

GW 5

2020年05月06日 | 日記
 ゴールデンといつも呼ばれている連休も今日でお終いです。今年はコロナのおかげで吹き飛びました。アチコチの行楽地も帰省客も大幅なる減少のようでした。仕方ないことかなとは云いながら潰れる(倒産する)ところが出てくるのではないかと心配です。少し減少気味でもあるようで規制緩和ははじまるようです。いい形で収束に向かえばいいのでしょうが、緩和したことが拡大につながらないことを願うばかりです。
          

 連休の前に熊日Yoshidaさんから「くだんのノコ」のお尋ねがありました。「くだん」は「件」です。かつて人吉に「くだんのノコ屋さん」があって「くだんは嘘云わん」というキャッチフレーズで鋸を製造販売していて繁昌した店があったのだそうです。「件」は人に牛ですから、人の顔に体は牛という云わば“妖怪”です。“妖怪辞典”にもあるはずです。その鋸をさがしている?ということでした。資料館にも鋸を展示してあるのですが、その銘が入ったものはありませんでした。
 私の叔父に営林署で山師さんをしていた人がいます。電話で尋ねたら(持っている)ということでした。早速訪ねて見せてもらってその情報をYoshidaさんに伝えたら取材があって先日の記事になったようです。写真ではわかりづらいですが、(くだん)という妖怪が刻んであります。このクダンも(コロナ)撃退のような効き目があるとか、も。 いろんな願いにも頼りながら早めの終息を願いたいものです。

 今日の天気( 夕立 )
 

GW4  床屋政談

2020年05月05日 | 日記
    
          遥拝阿蘇神社

 午前中に床屋さんに行ったら1人待ち状態だったので出直しました。床屋さんで(待つ)というのが耐えられないのでいつもそうしています。そこで気になっていた遥拝阿蘇神社に行きました。わが家から車で5分くらいの所なのですがはじめて行きました。最近気になっている「絵馬」・・それも「ナマズ絵」があると知っていたからです。拝殿はカギがあって見れませんでしたがうっすらと(ナマズ絵)が掛けられているのを見ることはできました。皮膚病・・・ナマズ肌治癒にご利益がある、ということなのです。人吉球磨にはけっこうこの信仰はあるのです。調べてみたいことの一つなのです。

 昼から床屋さんに行ったら1人だけ先約があって散髪中でした。夫婦でやっておられる床屋さんなのですぐに座れて髪を切ってもらいました。先約のお客さんと店主さんが(床屋政談)をしておられたので黙って聞いていました。テレビではちょうど昨日の安部首相の記者会見のことがあっていました。(対応が遅い)というような批判めいた会話があっていました。自由なる国の自由な発言だなと思って聞いていました。テレビでも専門家らしき人がアレコレと述べています。(先を読む)ことは難しいことです。今回のコロナのことはだれがやっても難しい、結果論でしか評価されないとしても・・難しい。100%はありえない、コロナのことは批判する前に(一致団結)することしかないのではないかと思っています。今日はそんな床屋政談らしきものを黙って聞いてきました。

 今日の天気(

GW3

2020年05月04日 | 日記
       

 (不要不急の外出を控え)とありますので、できうる限りそのようにとは心がけています。しかし、ちょっとした用事もあるので(それが不要不急に当たるのかもしれませんが)今日も出かけました。昼前にmasudaくん宅に、「菊池金英さん」のことが気になって・・いろいろと調べているのですがよくわかりません。masudaくんは(菊池家)については調べていて、ここの子孫の方にも尋ねられて教えもしていたようです。資料があるというので借りに行ってきました。もちろんそれでも100%のことはわかりませんでした。ヒントをもらってその後は自分で調べるしかないことです。しかし、いろんなことを喋る中で情報が入ってきます、そんなことの積み重ねかなと思っています。

 人吉新聞さんにお願いされて(人吉球磨の中世鰐口)の連載をすることになりました。小冊子を作ったのでそれに少し付け足ししながら原稿を書き始めました。新聞の連載記事なので、読み手の人のことを頭に浮かべながら書いています。(鰐口の初歩=鰐口ってなーに)を基本にしながら(みんなで文化財を守ろう)を訴えてみようと思っているのです。1回分が400字くらいです、30回近くになるのでしょうか。まあ、頑張って書いてみます。

 このGW、すっかりの初夏です、昨夜の夜中の雷には驚いて目が覚めました。春から初夏への移り変わりの合図のような雷でした。
 
 今日の天気(

GW 2

2020年05月03日 | 日記
 今日はほぼ家の中にいてパソコンに向かっていました。昨日、大川内も通って写真集の1コマを確認してきました。
 この写真は、大川内までバスが開通したときの様子です。このあとには昨日行った熊原、合子俣まで延長されています。そのときの歓迎の写真なようです。昨日は大川内の少し手前(人吉寄り:高速肥後トンネル人吉川入口のすぐ下)に水無出口という所があります。そこに下の写真の記念碑が建っています。苔むして読めないところもあったのでタワシで擦ってキレイにして文面を読みました。

  
      先が大川内、手前が人吉、左がわに肥後トンネル入り口

「小鶴以北の山間に散在する六沢、沢水、尾寄崎、大川内等各は立派な道路が開通しているにもかかわらず、現在までバスの恩恵に浴せず、ために交通は不便を極め、ひいては区民の生活向上、文化の発達に多大の影響を▢えている現状にかんがみ、ここに有志相つどい期成会を設けて協力一致バス開通のため全力を盡くせり、関係各方面の理解ある積極的後援もありて遂に此の度念願成就、バスの開通をみる 時に昭和三十五年九月一日  喜びの声 山狭に満てり 」

 写真からもこの文面からもその喜びひとしおが伺えます。ところがその頃から日本の高度成長が始まって皮肉なことにこの田舎から人が(バスに乗って)都会に出かけてしまったのです。平成18年9月にはこのバス路線もラストランしてしまいました。ラストランの記念碑はありませんが開通の喜びの記念碑を見つけて「昭和」を感じました。

 Sキッズにはマスクがありました。夕方前だったのにあったので、もうマスクもダブついてきているようです。まだ、高いです。

 今日の天気(

 

GW 1

2020年05月02日 | 日記
  

   
         合子俣集落

 毎年、GWのときは(人吉盆地内をウロウロと)という話をしていますが、今年こそはまさしく(盆地内)、いや、もっと狭く、(外出不可)くらいまでしなければならないGWなのかもしれません。
  そういうなか、今日は山江村内をウロウロしてきました。「写真でみるやまえ村の130年」写真集ができ上ったのです。(内緒ですが)3月31日発行が約1か月遅れで発行できました。村民の方に(むかしの写真提供)をお願いして、協力してくださった方に1冊を贈呈しました。村内なので郵送もナンなのでヒマに任せて持参達しました。
 遠いところは山田地区で“下払”、万江地区は“合子俣”・・下払はわが家から10分くらいですが、合子俣は、肥後トンネルのまだ先、肥後峠の手前の集落です、いま山江ではいちばん奥地の集落になってしまいました。もう1軒しか住んでおられません。炭焼きが家業で“焼き鳥屋さん用の木炭”を作っておられます。いい炭だそうです、高いのだそうです。しかし、留守でした、もちろん玄関は空いていたので置手紙をして玄関に置いて帰りました。
 今日、ほぼ配り終えました。(明日に、不在だったところを2軒ほど)

 いい、田舎の「昭和」の写真集ができました。100ページほどになったので、ちょっと単価的には高くなりましたがいいのができたと思っています。まだ、役場に残っていた白黒ネガのデター化を現在進行形で行っています。白黒ネガが終わったらカラーネガをもと思っています。ちょっとたいへんですがデータにして今後活用できたらと思っています。

 今日も初夏の陽気になりました。コロナさえなければいい行楽シーズンなのですが。

 今日の天気(