かずの里山ハイク

山や花、日常の出来事などの気まぐれブログ

毛無山1

2008年01月26日 | 山歩き
1月26日ネット仲間のお誘いで比婆山系の毛無山にスノーハイクに行く。現地に着くと意外に雪も多く、山麓で30~40cm、山中で40~50cmぐらいの積雪だった。
一部の往復部分を除くとトレースの無いバージンスノー、ここ数日で積もったらしく、新雪の中をトップを次々と交代しながらスノーハイクを楽しんだ。

コースタイム 六ノ原(10:10)→毛無山頂(12:55~13:50)→六ノ原(15:10)
歩いたコースの概要は正確ではないが、下図の通り。下りの一部は無雪期ではルートのないバリエーションルートを歩いた。

帰途、庄原さくら温泉(かんぽの宿:入浴料600円)でゆっくりとくつろいで解散する。
Iさん、Hさん、お世話になりました。おかげで久し振りで雪たっぷりのスノーハイクを楽しむことができました。

駐車地での準備風景、道は圧雪で滑りやすい、女性軍は最初からワカンを装着。

見覚えのある看板、過去2度来たとこはあるが、大昔のことで記憶が定かでない。



山道に入るとけっこう雪は深い。全員ワカン&スノーシューを履き、歩き始める。



トレースの無い新雪を歩くのは気持ちの良いものだが、結構体力も使う。適度にトップを交代しながら歩かないと続かない。



樹氷も多くなり、しばし白銀の世界に引き込まれる。






以下モノトーンの画像ばかりじゃが・・・・。













その2へと続く


白峰三山縦走

2008年01月25日 | 追憶の山

白峰三山縦走記録
日程 1974年10月4日~10月9日
装備
地図(1/5万、1/10万)、ガイドブック、コンパス、ラジオ、天気図用紙、ホエーブス、メタ、燃料(0.5L)、コッフェル、ナイフ、健保、古新聞、ポリ袋、緊急薬品、時計、筆記具、チリ紙、マッチ(予備)、半シュラフ、洗面用具、ヘッドランプ、テルモス、ポリタン(2L)、雨具、チョッキ、セーター、替下着、ダブルヤッケ(上下)、靴下(予備)、 帽子、毛手袋、短スパッツ、非常食(チョコレート、氷砂糖、クラッカー、チーズ等)、食糧7食分

コースタイム
10月6日 甲府(6:00)バス→広河原(8:00~8:15)→二股(10:20~10:40)→小太郎尾根(13:30~13:40)→北岳肩の小屋(14:10)

10月7日 北岳肩の小屋(7:00)→北岳山頂(7:30~7:50)→北岳稜線小屋(8:30~8:45)→中白峰(9:20~9:30)→間ノ岳(10:30~10:50)→農鳥稜線小屋(11:50)

10月8日 農鳥稜線小屋(6:20)→西農鳥岳(7:10)→大門沢小屋(10:50~11:30)→奈良田発電所(14:10~14:20)タクシー→奈良田(14:25~17:00)バス→身延(19:00)

行動記録
10月6日 登山口でバスを降りると北岳登山口の標識があり、つり橋より登山道が始まる。最初は林の中を歩くがすぐに大樺沢に出て岩のペンキ印頼りに歩く。二股までは高度差もなく清流の音を聞きながら快ペースである。ゆっくりと高度を稼ぐと前方のバットレスが威容を持ってせまり、振り向くと鳳凰三山の特異なピークが拡がりを見せる。また吊尾根に目を転じて見ると樹林帯の緑、黄色、橙、赤、茶のハーモニーが抜群で南アルプスの重厚さが感じ取れる。クラシックでも聞いているような気分で2ピッチで二股に着いた。二股はバットレス登攀の格好のベース地であり、北アルプスの涸沢・剣沢に比肩する所でテントが15張ほど、トカゲを決め込む人やバットレスを撮る等でにぎやかだった。私もしばしバットレスと付き合う。

二股からは新道を経て小太郎尾根を目指す。ここからは急坂で調子よく取り付いたがそこは日本第2の高峰北岳、そう簡単には登らせてくれない。20kg余りのザックもやけに重く感じられ、気持ちをそらすものも無く単独行のつらさが身に沁みる。一歩々力をこめて登高する。途中九重を思わす草原に出るとホッとしたがそれから一時間余り苦しい登高は続いた。

尾根に出ると小太郎山の東側にガスがかかっており、仙丈岳のどっしりとした山容を北に見ながら冷たい風の吹く中を小さなコブを幾つか越えると肩の小屋に着いた。

10月7日 ご来光は小屋より拝むことにしヤッケを着込んで外に出てみる。温度計を見ると-5℃でさすがに寒さはこたえるが日の出前の鳳凰三山のシルエットが素晴らしい!富士の北側にご来光が上がり名作を撮るべくシャッターを押しまくる(ちなみにポジで撮っているので写真はありません)。

北岳へは小屋から稜線をたどり小ピークを一つ巻くと到着する。展望は当然抜群だ、槍穂高・後立山の稜線もはっきり確認できる。昨日全貌を見せなかった甲斐駒も白いピークを天に向けている。今日は私の好きな岩稜づたいのルートで間ノ岳まで快適なペースとなった。間ノ岳ではやわらかい日差しを頭上に受け、東に富士、西に中央アルプス、南に塩見・農鳥、北に鳳凰三山・八ヶ岳・甲斐駒・鋸岳そしてシンメトリーな北岳と360°のパノラマを欲しいままにする。間ノ岳は平坦なピークなので慎重にペンキ印を追い眼前にある農鳥小屋までゆっくりと歩いたのだが快ペースなので予定より1時間も早く到着した。20:00寝つかれず外に出てみると満天の空に星が一杯!富士も甲府の灯を前にして浮き上がって見えたが夜半過ぎより、強風が吹きあられが小屋の屋根をたたき幾度が目が覚めたがいつしか深い眠りの中にいた。

10月8日 今日はロングコースのため早く起きたが吹雪いていたため少し様子を見る。しかし吹雪は止みそうになく誰も出発しようとしない。6:20意を決して千葉工大のパーティと一緒に私がトップで出発し、ゆっくりと西農鳥の急坂を登っていく。西農鳥の頂上及び直下のトラバースルートが新雪(20cm)で消えていたが、地図とコンパスを合わせ慎重にルートを付けていき農鳥岳に着くと後発パーティも次々に到着する。

農鳥岳を過ぎ大門沢への下降地点近くまで来ると緊張感が取れたのかトップの私だけスリップする。雷鳥にゲーといわれて笑われる。やがて泣坂とも言われるジグザグの急降下をすると雨になりチョットした平地でヤッケを雨具に着替えるともう安全地帯(?)なのでトップを千葉工大のパーティに譲る。

大門沢の源流近くになると紅葉は一段と美しさを増し、リンドウも登山道を飾っている。大門沢小屋ももうすぐと思われたが行けども行けども着かないという感じで下降が続く。ルートは沢づたいに河原・まき道・渡渉・へつりありでバラエティに富んでいる。源流地点より一時間も下ると大門沢小屋に着いた。ここで昼食も兼ねて大休止とする。冷えた体に焚き火が有難かった。十分に体を温め奈良田を目指し元気に出発する。つり橋を6回渡り、最後の小坂を越えると奈良田発電所に着き、タクシーで奈良田に向かう。農鳥小屋より同行した千葉工大Pと無事下山したことを祝って乾杯し、温泉で汗を流し甲府を後にした。

今回は単独行であったが山はもちろん、色んな方との出会いも山行きに色を添えることになった。


剱岳2

2008年01月24日 | 追憶の山
197?年8月18日 天候曇り後晴れ コースタイム 阿曽原(6:40)→欅平(10:20)

6:20前夜の雨も上がり阿曽原を出発。黒部峡谷の谷は深い。道から真下に見る谷は深く、落ちれば命もないだろう。坦々とした道が続くとやがて左手にかなり高い滝がある。一休みしてまた平坦な道を歩く。岩を削ってつくられている道である。歩くこと3時間50分で欅平に着く。

室堂から立山三山、剣岳、剣沢、仙人池、阿曽原と歩き続けてきた30数キロの山旅もここからは黒部峡谷軽便鉄道(おさるの電車)で宇奈月へと下った。
やれやれといった安堵感と良く歩いたものだという満足感でいっぱいであった。富山からの列車はお盆の帰省客で混んだが、8月19日二人とも無事に自宅に着く。
この山旅で得たものは大きかったA氏に感謝したい(M氏の弁、原文のまま)

剱岳1

2008年01月23日 | 追憶の山
197?年8月16日、17日に歩いたコース

8月16日午前中晴れ 午後霧
コースタイム 剱沢キャンプ場(5:15)→前剣(6:40~6:55)→剣岳頂上(8:10~9:25)→前剣(10:45~11:00)→剱沢キャンプ場(13:00)

朝早く起きて、前日用意していたサブザックを背に剱岳へ。一服剱から見上げる前剱はかなり急である。前剱に立つと後立山連峰が一望に広がる。針ノ木、鹿島槍、五竜岳、唐松岳、天狗の大下り、白馬へと続く峰々はみごとである。滝のようにかかっていた雲が後立山連峰を一層魅力的にさせた。

このあたりから地元陶ヶ岳で岩場に少しは取り付いた経験が少しづつ役に立ってきた。避難小屋を過ぎるとカニのたてばいが始まる。スムーズに通過して3時間で剱の頂上に立つ。白山も槍ヶ岳も笠ヶ岳も見える。別山の下に剱沢のテン場が小さく見える。そして何よりも八峰の鋭さは印象に残る。360度の申し分のない展望を楽しむ。

記念に剱岳頂上の小石を拾い、下山路につく。鎖場で一時待ったが無事に剱沢に下る。午前9時を過ぎると後立山は見えなくなっていた。

剱沢でゆっくりとくつろぐ。剱沢から仰ぐ剱岳は本当に大きい。やがて今日も剱沢にとばりがおりると、花火を打ち上げるパーティーもあって賑やかな夜だった。天気予報は明日下り坂であることを放送した。

8月17日 天候 晴れ後曇り 18:00頃より雨となる。
コースタイム
剱沢キャンプ場(6:10)→真砂沢山荘(7:10~7:30)→二股(8:20~8:50)→仙人池(10:50~11:40)→仙人小屋(12:30~12:40)→阿曽原(14:35)

6:10剱沢キャンプ場を後にする。剱沢雪渓のスプーンカットを下る。平蔵谷を過ぎるころになると、岩場に取り付くパーティを見る。さらに下ると、やがて源次郎谷である。剱沢雪渓は岩場に挟まれて素晴らしい景観をなしている。眼下に真砂沢のテン場が見えてくると剱沢雪渓も終わる。真砂沢で一休みして二股への道をとる。右に真砂沢清流の飛沫を見ながら、コースタイムよりもずいぶんと早く近藤岩らしき大きな岩が見えてきた。一休みしたくなるような所に出ると間違いなく近藤岩で、清流にかかるはしご橋の上には写真でおなじみの三の窓雪渓である。景観に浸りながら今日の予定を阿曽原まで伸ばすことで意見が一致する(天候が下り坂であったため)。

ここから仙人新道を尾根伝いに登る。この登りはややタフで1時間半ぐらい喘ぎながら歩く。右手に仙人池ヒュッテが見えてきた。仙人池ヒュッテは静かで裏剱を眺めるには最高の場所である。カメラに裏剣の雄姿をおさめると、すぐにその姿も見えなくなった。

仙人池から裏剱を眺めていると鏡平からの槍ヶ岳を思い出した。宇奈月から登って来た大阪の女性2名の話で、阿曽原のテン場は混んでいたということで、仙人池から3時間先の阿曽原へと急ぐ。雪渓の残る沢を下り、仙人湯を過ぎ一路阿曽原へ。

阿曽原に着くと雨が落ちてきた。二人とも疲れきった体でツエルトを張り、露天風呂へ、ところが山行前に持っていたイメージとは少しかけ離れていた。湯床の苔がちょっと多い。雨はやがて本降りとなった。早々とツエルトに入り横になったが、仙人新道で水を飲みすぎたせいもあるのか、腹の調子が悪いのに水気が欲しくてたまらない。いっこうに寝付けないので深夜にコーヒーを沸かしガブ飲みした(M氏の弁)。


立山

2008年01月22日 | 追憶の山

197?年8月13日~19日 参加2名 記録はM氏による。

共同装備 ツエルト、コンロ2、白ガソリン1.8L、ラジオ、地図、飯盒、コンパス、米9合、ポリタン2、トイペー、ナイフ、コッフェル、薬、ヘッドランプ、

個人装備、シュラフ、雨具、エアーマット、タオル、セーター、古新聞、健康保険証、着替え

8月14日 天候 曇り コースタイム 室堂(14:00)→雷鳥沢(15:00)

8月14日14:00室堂着、立山はガスで見えない。浄土山がときおりガスの切れ間から見える中、今日のキャンプ地の雷鳥沢へ。ミクリガ池を過ぎだらだらとした下りである。やがて色とりどりのテン場が見える。

ツエルトを張ると時間も余裕があるので地獄谷へ散策としゃれこんだ。風呂に入るのが目的だったが、無料露天風呂は無くそそくさと引き揚げる。雷鳥沢は給水施設のあるテン場で思ったより静かだった。2人連れの高校生と話して夕食をとる。明日からの山旅に思いをはせて床に着く。

8月15日 晴 15:00頃より霧
コースタイム 雷鳥沢(6:00)→一の越(7:45~8:10)→雄山(9:10~10:00)→大汝山(10:15~10:40)→別山(12:30~13:15)→剣沢(14:00)

さあ、今日から1年半も前からあたためていた山行計画が始まる。一の越までは立派な道である。雄山神社のお札を付けたハイカーがやたら目立つ中、一の越へ。かすかに槍ヶ岳を見たがやがてその姿を消した。ここから雄山までは距離こそ短いが20kg以上の荷物を持った私達は少しきつい急坂が続く。雄山神社に着くとまず目に付いたのが鹿島槍ヶ岳と針ノ木岳、いずれも優美な姿である。小休止の後、立山三山縦走へと踏み出す。大汝休憩所でアルバイトをしている女子高校生と少しばかり話す。大汝休憩所はガイドブックでは50名収容とあったが通常では泊めないとのことだった。道はやがて内蔵助カール上部へと導いてくれる。頂上の広い真砂岳を過ぎると剱岳の展望台である別山と剱御前への分岐点に着く。別山への道をとり、雪渓の残るミクリガ池畔でザックを下ろす。眼前には剱岳の威容があった。私達に強烈な印象で迫りくる。二人共しばし時を忘れてシャッターを押しまくる。剱岳は全体が岩の塊といった感じである。「明日こそあのピークに立つのだ」。二人は別山を後に急な下りを剱沢へ。

キャンプ場はかなり混んでいたが何とか良い場所にツエルトを張る。私達のすぐ上にテントを張った女性達が夜遅くまで美声?を響かせるのでなかなか寝付けなかった。