S49年7月26日~7月29日 石鎚山 参加3名
コースタイム
7/26 曇 小郡(18:20)→柳井港(20:10~20:30)→三津浜(22:50)→松山(23:15~23:59)→7/27 曇一時雨 伊予西条(1:20~7:11)→西之川(8:24~8:50)→成就社(9:30~9:50)→前社森(10:50~13:40)→二の鎖(14:20~15:35)→天狗岳(16:30)→二の鎖(17:15~夕食18:15~かたずけ19:00~就寝19:30)
7/27 二の鎖(起床4:40→出発6:40)→愛犬小屋(7:50~8:00)→熊淵(10:30)→関門(11:30~12:41)→松山(15:08)→三津浜(16:05)→柳井港(19:20)→小郡(21:20)
7/26 小郡~柳井港間では過去の山行の話で盛り上がる。汽車の中なのでのんびりと話が出来る。柳井港よりフェリーに乗り、瀬戸内海の夜景を見ていると旅に出たという実感がわいてくる。船室で天気予報を聞くとまずまずのようで安心して浅い眠りにつく。フェリーが三津浜に着くと松山まではタクシーで行くことにする。
伊予西条には予定どおり1:20に着いて快眠をむさぼるはずだったが、暑い上に蚊の大群がいるためなかなか寝付かれない。香取線香をたいて寝たが結局寝付かれず3:00頃までは目が覚めていた。6:00起床すぐ空を見上げたがどんよりとして暗い。駅前の広場では夏休みのため子供たちが体操をしていた。我々も加わりすることに。寝不足感は否めないが、気持ち良かった。
西之川行きの一番のバスを待っていると、中年の婦人に「子供が二の鎖小屋に泊まっているのでセーターを届けて欲しい」と声をかけられた。二の鎖といえば今夜のキャンプ地なので快く引き受けることにした。お礼にたばこを頂く。
子供さんの名前(世良・・・ 小学4年生)を聞き、こちらからは名刺を渡しておいた。
今回の山行はロープウエイを使わずに登る予定だったが、現地に着いても今にも雨が降りそうなので成就社まではロープウエイを使うことにした。2年前もこの山に登ったが三日三晩ガスられ、降られ散々な目に遭っているだけに晴れて欲しいと願っていた。
ロープウエイを降り、石鎚山頂を目指して歩き始めたが、成就神社に着くと早速休むことになる。この神社は手を合わせても柏手を打ってもどちらでも良いらしい。成就神社の山門を抜けるといよいよ石鎚山への縦走が始まり、時折白衣の行者、一般登山者の団体さんが通り抜けるが、すぐに静寂さが辺りを包んでくる。またウグイスやカッコウの鳴き声も聞こえる。登山道の近くにはヤマアジサイが紫色の小さな花を咲かせ色を添える。いい気持になっているときに我々をあざ笑うがごとくカラスがアホー、アホーと無く。全く興ざめなやつだ。
体調は天候の関係で暑くなく、少し汗ばむ程度で快調だ。八丁坂を過ぎ、前社森への急坂を登り切り、休憩所で休んでいると空が小粒の涙を伴って泣き出した。今回は余裕があるので休憩所で涙宿りをすることにする。休憩所では他のパーティも待機しており、神戸のパーティと話が弾んだ。待つこと3時間弱、涙も涸れ果てたのか西の空を見上げると明るくなって来たので、夜明け峠を目指し元気に歩き始める。
夜明峠に着くとその名の通り、樹林帯を抜け急に見通しが良くなる。石鎚天狗尾根の岩壁(第1ルンゼ~第3ルンゼ)が眼前に迫ってきた。目指す二の鎖キャンプサイトも目と鼻の先である。先日来より夢にまで見ていた岩壁を目前に見て、そのスケールの大きさに感動の色は隠せない。登って良かったとしみじみ思う。
二の鎖キャンプサイトでは適当なテン場を見つけ、すぐにキャンプの許可(1張50円)を受けに二の鎖小屋に行く。キャンプ届を出して今朝頼まれたセーターを渡すと果たしてその坊やは小屋のご主人の息子さんだった。ご主人はお礼にジュースでもてなしてくれ、3人でテン場で飲んでいると坊やがニコニコしながらテン場に下りて来た。彼がいたことでずいぶん愉快な山行になった。この坊やとはセーターが結ぶ縁で就寝時を除き、明朝まで付き合うことになる。
テントを設営し、夕食の準備が完了すると坊やのガイドで二の鎖、三の鎖を経て頂上に行く。頂上では信者が5~6名、神社の前で祈祷を上げている。信者達は命がけで鎖を登るという。そして「お上りりさんかい」「お下りさんかい」がこんにちはの代名詞になっている。頂上(弥山)から大山の縦走路を思わせるやせ尾根をつたい天狗岳のピークに立つ、時折ガスが山を被い神秘的だ。帰りは頂上から鎖場を通らず、翌朝通るルートも確認するため巻き道を伝って下りた。雨の降りそうな雲行きの中で急いで夕食を済ませ、今日の疲れも手伝ってか19:30には寝入った。
日の出は瓶ヶ森の特徴あるピークから仰ぎ、石鎚岩壁がモルゲンロートに染まる。山の朝の静かさが身を包む。私の一番好きなひと時でもある。
昨日、確認しておいたルートより面河側に下るとクマ笹の緑とシコクシラベの深い緑のコントラストが何とも言えない。このルートは右に西冠岳、二の森のピークを仰ぎ、左方には石鎚南壁が軍艦を思わせるような姿でそびえている。再び樹林帯に入り南壁が視界から消えると愛犬小屋に着き、小休止の後面河渓谷に下りるとほっとして清流や滝を味わいながら関門バス停に着いた。
今回はちょっとしたハプニングもあり、愉快な山行になった。同行頂いたM、K両氏に感謝をしたい。

天候 曇 参加者2名
コースタイム 松の木峠10:00→12:30冠山頂13:50→松の木峠15:15
寂地キャンプサイトでは夜が白みかかると朝食の準備に取り掛かる。昨夜はワインで祝杯を上げ寝たため、本来ならうっとうしいはずの滝の音が美しい旋律となり耳にも優しく聞こえる。いつものようにコーヒーを飲みとっておきの時を過ごす。しばしきれいな水の流れに時を忘れる。
ツエルトを撤収した後、一路冠高原へと向う。私の好きな草原に着くと錦町のガイド看板があり、そこが冠山登山口になる。牧場を右に見て冠山を目指すと、先行者がいるらしく雪面に踏み跡が続いている。平坦な林を抜け尾根伝いに登ると展望が開け、鬼ヶ城山、右谷山、寂地山、小五郎山の山なみが一望のもとに見渡せる。
ルートはクマ笹のブッシュ気味だが快適に歩ける。小ピークの2つ目を登ると道標のある1100m地点にでる。そこから少し登りブナ林を縫うように進むと冠別れに着く。
頂上までクマ笹の草原が続き、冠別れより40分で冠山頂に着いた。
頂上は積雪が1.5mぐらいあり、雪屁が美しくつらなり、樹氷も山なみをバックに浮き出ていた。また単独行のオヤジさんに冠別れで採取したナメコを頂き、ラーメンの中に入れ昼食にする(なかなかの珍味でおいしかった!)。お礼にコーヒーをご馳走し、山の話にも花を咲かせた。
復路の途中からは小走りに下山するには格好の斜面で、途中追い抜いた広島エーデルワイスの2名パーティがあっと言う間に樹間に消えたほどの快ペースで下山した。
後日談:当時は冠別れ付近から上はクマ笹に覆われた草原で、そこから冠山頂が望めたように記憶している。現在は木々が茂り、山頂への展望をさえぎっている。
まだ若く、経験や技術の未熟な頃の敗退の記録です。ルート図の黄点線は現在歩行が禁止されています。また青点線はルートを間違って歩いたものです。決して真似はされないようにして下さい。
197?年3月9日
8:00→12:00→15:00→18:00
天候 曇り 晴 曇 雨
気温 -5℃ -10℃ -5℃ 3℃
コースタイム
大山寺8:20→11:00大山山頂12:30→ユートピア14:00→阿弥陀滝15:50→川床小屋18:00→大山寺19:30
バスが大山寺に着くと休憩も取らずに夏道コースより登り始める。七合目付近より上はガスがかかり見えないが、必ず山は笑ってくれると信じてゆっくりと高度を稼ぐ。6合目までは積雪が2~3mあったが踏み跡がしっかりしているのでアイゼン無しで登った。6合目からは雪が凍っており、時折突風が吹き危険なため元谷側の足場の良い所でアイゼン、スパッツ、オーバーズボンを着け、頂上に向う。
八合目よりガスと強風にあおられ進路を阻まれるがルート確認の赤布が竹に付けてあるので心強く、慎重に進む。さらに歩くと大山山頂小屋の煙突が2本見え片方の煙突から小屋の中に入ると外部がほとんど雪に覆われているため非常に温かい。まずコーヒーを飲んで休んでいると、3~4パーティ(10名程度)いた中の一人が「あなた」を口ずさむ。冬山にアタックする山やの中にもこんな余裕がある人がいると思うと一瞬心がなごむ。
十分な食事と休憩を取った後、今日の目的である縦走が可能かどうか様子を見る。今シーズン中に積雪季大山縦走を胸に秘めていただけに祈るような気持で空を見上げていた。その時点ではとても縦走出来るような状態ではなく他のパーティは下山の準備をしていた。しばらく待機していると少しづつガスが切れ、風も弱くなってきたので、2パーティが完全装備で縦走に出発した。
最初はやり過ごすつもりだったが、M氏とのお互いの冒険心が燃えてきて話し合った結果、風は強いがバランスに注意をすれば飛ばされることもないという判断で縦走を決定した。その時はやるぞ!という気持ちが強く不思議と恐怖心はなかった。縦走を開始した直後に突風が吹いたが慎重に進むことにする。バランスやアイゼンの爪にも注意する。今回ザイルは準備していないので転落すると命取りにもなりかねない。特に剣ヶ峰までは難所で気が抜けない。父から譲り受けたピッケルがバランス保持に役立ち、父が危険から守ってくれると思うと心の支えにもなった。
雪屁が神秘的な美しさで連なっていたが十分に堪能する余裕もなく、剣ヶ峰を過ぎた足場の良い所でカメラに収める。天狗ヶ峰を過ぎ象ヶ鼻に着くとガスも完全に晴れ、北壁全体が浮き上がってきて、かって味わったことのない込み上げ、M氏と手を取り合い喜びあった。早速北壁をバックに写真を撮る。お互い笑みをたたえて・・・。
意気揚々としてユートピア小屋に着くとM氏は名作を取るべく次々にシャッターを切る。目を三鈷峰に転じてみると南斜面を利用し、2~3人のパーティが雪上訓練をしており、私達も訓練を重点とした山行を組まなければと反省した。
ユートピアで小休止の後、宝珠尾根~大山寺のルートを下る予定だった。ユートピアから剣谷に下った時、上宝珠へのトラバースは予想したより急峻であり、また雪崩の恐怖心で一刻も早くこの斜面より脱出しなければと思った。気がついてみると本能的にシリセードで剣谷を一気に下降していた。急斜面からの脱出は成功したかに見えたが、この判断は致命的なミスだった。宝珠尾根へのエスケープルートは鋭い谷により断ち切られ、長い剣谷の谷筋を下降する以外にルートは取れなかった。
途中生々しい雪崩の跡が5~6ヶ所あり、醜い爪痕を残し、縦走の喜びもつかの間、落胆の色は隠せない。両側の斜面は庇が入っており風の音にもピリピリしていた。雪崩の恐怖から逃げるように下降を続けたが軟質の雪のため思うように足が進まず焦燥感は募るばかりだった。ワカンの装着も考えたが急斜面のため無理だった。
阿弥陀滝上部まで出た時は前後不覚で前進も後退も出来ないと思われた。しかし冷静になろうと自分に言い聞かせ、辺りを見渡すと左岸の小尾根が急峻ではあるが巻けそうだ。ピッケルでしっかり確保し、アイゼンで慎重に足場を切り、巻いて下降した。さすがにこの雪壁は時間もかかり体力も消耗した。
さらに下降を続けると谷の底に雪解けの水が流れており、転落に注意しながら右岸、左岸と渡渉を繰り返す。沢の下降には相当時間を費やしており、また尾根の斜面もこのあたりでは登れそうだった。現在地の確認と見通しをつけるために尾根に登ると右手手前に川床小屋が確認出来た。その川床小屋を目指して進む時は日も暮れかけていたが、やっと脱出したという安堵感で一杯だった。
また、大山寺まで3.2kmという道標を見つけると先ほどまでのスタミナを消耗した体にも幾分元気が出たようだ。小屋の中で軽食を取り、雨具を付けて小雨と暗闇の中を大山寺へと向う。製材所跡を過ぎるとロッジ大山の明りを頼りに最後の力を振り絞って進む。ロッジ大山で小休止し、コーラを飲んでいると私達の状況を察して、従業員のSさんよりカレーと日本酒でもてなしを受ける。後で代金を払おうとすると無事に帰れて良かったと言われ受け取られなかった。過分な処遇に対してお礼の言葉も見つからなかったが精一杯の態度で感謝の意を表した。
Sさんは剣谷は夏場は近寄れず、雪があったから通れたと言われた。私達も技術や経験の未熟さを恥じた。Sさんに今後はもっと訓練もして山に入ることを約束し、名刺も交換してロッジ大山を後にした。
大山寺に着くと最終バスはすでに出ており、大山口よりタクシーを呼ぶ。大山寺よりタクシーで米子駅に向かう時体は濡れて冷たかったが、胸中は今日の感動が去来し、自然と雪山賛歌の一節を口ずさんでいた。
「山よさよなら ごきげんよろしゅ また来る時には笑っておくれ・・・・」
後日談・・・ロッジ大山に着く直前は20~30mぐらい歩いては倒れこむといった疲労困ぱいだったように記憶している。また、阿弥陀滝においては過去遭難者も出ている。今考えるとぞっとする記録です。こんな経験も重ねながら性懲りもなく山にのめり込んでいったようです。無理はいけません。ご安全に!
5月1日 晴後曇
コースタイム
大崩山荘8:40→瀬戸口谷出合10:00→12:10お姫山12:45→1:00五葉岳1:15→鹿納山14:30→石塚16:45→大崩山荘19:20
今日のコースは今回の計画では一番長いコースになる。何かあればビバークするつもりで食料も多めに準備し山荘を出発した(瀬戸口谷までの記録は省略)。瀬戸口谷は他の沢に比べると傾斜も緩く、水量も少ない静かな沢だった。途中、黒滝と言われる滝が1ヶ所のみだった。その滝も5mぐらいでなんなく登れる。水の少ない沢だけに巻き道もほとんどなく、ケルン伝いに登っていくと沢が段々と広くなり、庭園を思わせるような緑のじゅーたんが美しい。そこで一息し時計を見ると12時近くになっていた。まだ今日の行程の3分の1ぐらいで、これから先の距離が歩けるか不安がよぎるが、日程的には余裕があるためそのまま歩くことにした。更に上流に詰めると尾根筋に至るルートらしきものにケルンがあり、これに従い登ることにした。このあたりになると沢が開け、広くなっているのでどこがルートなのか分かりにくい。登るとルートも消失し、モーレツなスズタケのヤブになっている。いまさら引き返すわけにはいかない。尾根を目指し、尾根づたいにいけばお姫か五葉のピークに立てると思い、ヤブこぎを続けていると尾根筋に出る。だがうっそうと茂る原始林の中で見通しは利かないが西の方に進路を取りヤブこぎすると岩場の下にきた。その時アケボノツツジが群生していたのでピークも近いと思い岩場を登り切ると、はたしてそこがお姫山のピークだった。
北の方に五葉岳が見えるので間違いない。お姫で朝作ったおにぎりとみかんの缶詰を流し込み、五葉岳に向かう。五葉岳に着き、一息入れていると傾山かた来た縦走パーティ2名と出会う。今朝より初めて人と話し寂しさを紛らわす。そうゆっくりとしておれずお姫に引き返し鹿納山に向かう。しばらく起伏の少ない尾根筋を歩くと鋭い岩峰を見せる鹿納山が現れてくる。このあたりから雲の動きが活発になりガスがかかってきたが、天気予報と風向きから判断すると大きくは崩れないだろうが、ビバークは避けたいのでコースの検討をする。今日の予定は鹿納山を経て権七小屋谷→三里河原の予定だったが、沢歩きは時間がかかり、午前中も沢を歩いている。沢歩きもやや嫌気もさしているので、鹿納山より石塚までの尾根ルートに変更した。鹿納山の特徴である3つのピークを過ぎると石塚へと急いだが、このルートが今回歩いたなかで一番労苦を強いられた。何しろ道と言ってもけもの道と同じであり、幅は肩幅小、高さは胸の高さであとは2mぐらいのスズ竹がすきまのないように茂っている。大崩山群は高度はあまりないものの奥深く入ると沢、ヤブこぎの連続となるので初心者には難しい。ジャイアント馬場みたいに大きいか、身長1mぐらいであればいいのだが、丁度スズ竹が顔の位置に来るので最初はこぎながら進んだ。その内に腕がだるくなり、背を丸くして歩いた。おまけに所々大木が倒れており、ルートを寸断しているので、迷いそうになったことも2、3度、こんな深い山で方向を失うと命取りになる。ほとんど休まず、自身にむちうつような気持で進み、石塚まで着くと良く歩いたものだなと自分ながら感心したほどだった。石塚でピンチ食を除いて残った食料を全部口に放り込む。湧塚を過ぎるとあたりが暗くなり、ヘッドランプの明かりを頼りに重い足取りで山荘へと急いだ。
5月2日 天候 晴
コースタイム
山荘9:00→喜平越谷出合10:00→鞍部11:00→喜平越谷出合12:00→山荘12:00
今日は喜平越谷から観音滝まで往復するつもりだったが、あまり変化のない(ほとんど巻き道)喜平越谷を詰め、尾根に入ると昨日と同じようなスズ竹のヤブであり、道も迷路みたいになっていた。観音滝はあきらめて引き返し、昼過ぎより昼寝をすることにした。
16時に起きてツエルトを撤収していると、夕食の準備をしていたHHCのT、Y両氏に出会う。今朝山荘下のテン場に着き、それから今まで昼寝をしていたらしい。私も山荘にもう一泊することにし、夕食を共にして、両氏の計画コースの情報を伝えることにした。登山者の少ない山で仲間に会えるなんて嬉しいね。山談義に話が弾んだ。
翌日、ゆっくりとした後下山し、山口へと車を走らせた。
・・・当時軽自動車を持つのが精一杯だったので360ccの車で往復しました。当然高速道はなかった。遠かったなぁ!これにて大崩山彷徨記3部作は完結です。
大崩山は2003年、2004年、当時行けなかった観音滝へは藤河内渓谷から入り行くことが出来た。
大崩山は当時も岩峰と沢のきれいな山だったが、今でもその魅力は失われていない。五葉岳やお姫山、鹿納山は今では登りやすくなった。だが鹿納山から石塚までの尾根歩きは今でもヤブ漕ぎとガイドマップに記してある。
最近では山中で米を炊くようなことは無くなったが、記録にもあるように朝晩米を炊き、お昼のおにぎりなども自分で作っていた。また生卵なども数個持参し、ゆで卵や卵料理にしていたことを思い出した。コッフェルで米を炊くことなどは朝飯前?だったが今では水や火加減など忘れてしまい当時のようにうまく炊ける自信はない。
4月30日 天候 快晴
コースタイム
大崩山荘8:00→吐野9:20→モチダ谷出合10:00→12:10石塚12:20→大崩山12:25→12:30石塚13:00→(中瀬松谷)→権七小屋谷出合12:30→金山谷出合15:10→(三里河原)→吐野16:20→大崩山荘17:30
6:30ザーという音で目が覚め、外に出ると肌寒い感じがしたが、山に入っているという感慨がこみ上げてくる。急いでセーターを着て朝食に取りかかる。谷水で食器を洗ったが手が切れるように冷たい。今日は沢遡行中心で大崩山の尾根に取り付くには全行程の8割ぐらいが沢歩きになる。8:00夕食の準備を終え、薄日の中を吐野へと向う。本流沿いに40分も歩くと喜平越谷の出合に着く(道標あり)。さらに崖をトラバースして進むと吐野に着く。ここまで来ると今までの乱流、垂直に近い崖がうそのように平坦な清流となる。一休みして三里河原よりモチダ谷出合に向かう。大崩の沢の中では最も緩やかな流れで右岸を進む。途中瀬戸口谷の出合も通るが、長門峡を思わせるようなルートを快調に飛ばす。谷が大きく右にカーブしているところでモチダ谷への巻き道になる(この付近でもキャンプしている人がいた)。
左のスズヤブの切り分け入り、沢沿いに30分もさか登ると広い滝に達する。ここで顔を洗い、気分を一新して右に巻いて急坂を登ると今までハイペースと空腹感でバテて石に座り込む。ハムとパン、ゆで卵を放り込む。10分ぐらい休んで再出発するもペースが上がらないのでゆっくり歩くようにする。しばらく進むと横岩屋が現れる。ここを過ぎると谷は小さく急になり、二つに分かれるが、右に行くと青苔に被われた涸れ沢に出る。飛行機の遭難碑(機体の一部が残存している)を過ぎるころになると3~4mのアケボノツツジが群生しており、疲れた体を元気づけてくれる。
スズ竹なかの踏み分けを登り、小積谷コースの尾根道に出合うとゆるい登りとなり、展望の良い石塚に出る。そばに立っているヒメコマツが美しい。先に登っていたパーティに大崩山頂のことを聞くと5分程度で行けるが展望もあまり良くないらしいが、ともかく行ってみることにした。大崩山頂は聞いた通りパッとせず、ピークにも5~6人立てる程度、すぐに石塚に引き返しビスケットを口に入れる。空は雲一つ無く機嫌がいい。祖母から傾の尾根、険しいピークを持つ日隠山、国見、市房等の脊梁の山々が一望のもとに見える。他のパーティと談笑の後13:00に中瀬松谷に向かう。途中の尾根道は5~10mもあるアケボノツツジ、ブナのコントラストが美しい。中瀬松谷に入るルートは道標も無く、石塚より中瀬松谷に向かう最初の切り分けを右に入り、少し下ると急斜面のガレ場に出る。さらに200mぐらい下ると小さな沢が現れる。沢は慎重に下るが、地元の東鳳翩山の沢歩きで慣れていたせいもあるのか心地よい。この沢は一枚岩の花崗岩のなめら状の清流が2~3km続いており、時折ヒメシャラの赤い幹と滝壺に散りばめたアケボノツツジの花ビラが印象的だった。
沢は長いほうがイイ!と勝手なことを考えながら降りていると、バテ気味になった。金山谷、三里河原に着くころになると倦怠感が襲ってきて、沢は短い方がイイ!と叫びたくなったが、そんな元気も無くなっていたので15分ぐらい平な岩の上でゴロンと寝て(15分ぐらい)また歩いた。吐野までの道もいやに長く感じられた。吐野に着くとほっとしたが、吐野から大崩山荘まではさらに長く感じられ、自身に鞭を打つような気持で歩いた。途中で1名の登山者から出合道を聞かれ、答える。今日の歩いたコースも聞かれ、説明すると「長いコースでしんどかったでしょう」と言われる。強がりで「そうでもなかったですよ」とは言ったものの疲労困ぱいでようやく大崩山荘に着いた。今日は私も含め2パーティの宿泊となった。今夜は静かに眠れそうだ。バンザイと心の中で呟きながら寝た・・・明日は今日よりもロングコース・・・ヤケのヤンパチにならないといいがと思いながら・・・・・。
大崩山彷徨3:五葉~お姫~鹿納~大崩ロングヤブこぎ奮闘編へと続く。