枇杷(バラ科)花言葉は、ひそかな告白、温和。バラ科の常緑小高木。6月頃から熟して黄色になる果実を単に枇杷と称する。この樹は日本に自生もするが、果樹としては九世紀かそれ以前に中国から伝来したものが最初である。しかし、長い間主要な果樹とはされなかった。幕末に中国から新たに長崎代官所に入った枇杷の種を女中が手に入れて自宅の庭に蒔くと数年で大きな実がなり、以後茂木枇杷として長崎県の特産になった。その後、明治12年にこの長崎で食べた枇杷の種を東京に持ち帰った田中芳男男爵が育てたものの中から優秀な品種が現れ、千葉県で田中枇杷として栽培されるようになった。現在では両種をもとにいくつもの改良種が生まれているが、いまだに種を小さくしたり、なくしたりすることには成功していない。実は小さいが果皮や果肉の白い白枇杷という珍しい品種が静岡県で栽培されているというが、市場に出回っているのは見たことがない。量産がむずかしいのか?不明である。「枇杷黄なり空はあやめの花曇り 素 堂」「枇杷買つて舷梯のぼる夜の雨 橋本多佳子」「やわらかな紙につつまれ枇杷のあり 篠原 梵」「灯や明し独り浴後の枇杷剝けば 石塚友二」「登山に塞ぎて島の枇杷売女 波多野雨石」「磯の香に峙つ山も枇杷のころ 水原秋桜子」。実のなるまでの経緯は、11月から12月にかけて花が開く。五弁の白い花が枝先端に出来るか、房に密につくが、人の背丈より遙かに高いところの小花なのであまり人に目立たない。このはなを飛び回る適当な昆虫は見当たらず、目白などの鳥によって媒介される鳥媒花である。翌年の初夏のころ実を結び、水分の多い果物となる。ビワの名は漢名をそのまま音読みしたヒワからという説と、果実または葉の形から樂器に似ているからという説に分かれているが、かつては果実の小粒で丸いものをヒワ、大粒のものをビワと言い分けており、長崎県はいまもこう区別している。なお葉の裏面の毛を取り去ったものを煎じて漢方薬にする。「枇杷の花しきりに落つる日なりけり 石原舟月」「故郷に墓のみ待てり枇杷の花 福田蓼汀」「枇杷咲いて長き留守する館かな 松本たかし」「枇杷咲いて牛の風邪まづ流行けり 河原白朝」「花枇杷や一日暗き庭の隅 岡田耿陽」「枇杷買ひて夜の深さに枇杷匂う 中村汀女」「枇杷の実を空からとつてくれし人 石田郷子」。(蜜柑 林檎 並びて 淋し枇杷の花 ケイスケ)