10日ほど『休養』してしまいました。気力がわかなかったのです。荒川の岸辺をサイクリングしたり、群馬県の武尊牧場にレンゲツツジやブナの新緑を見に連れて行ってもらったりしていました。日曜日には「在日コリアンの日本国籍取得権確立協議会」の会合にも出席しました。書きたいことが溜まってしまいました。また、つきあってください。
魑魅魍魎というか、お化けというか、朝鮮総連の本部売却騒動を巡る二人の老人の姿はこの国の病状を象徴しているようです。
正義と人道を看板にして朝鮮総連を守ろうというのですから、お笑い草です。朝鮮総連が「人権擁護の団体で在日朝鮮人の心のよりどころ」だというのです。この老人たちはそれぞれに「人権」で飯を食い、総連の「調査」で禄を食んで来た者たちのトップの一人なのです。
僕はコリア系の生徒たちとの出会いがきっかけで、在日コリアンの人権を確立することが日本の民主主義を確かなものにするために不可欠と考え、70年代に入ってから自分のできることに取り組んできました。すぐに朝鮮総連という巨大な壁にぶち当たりました。
在日コリアンの青年が日本の企業や公務員に就職しようとすると、民族や国籍を理由に差別を受けるのが普通の時代でした。これに挑戦する二世の若者や支援者に朝鮮総連は驚くことに「同化主義者」というレッテルを貼り、攻撃したのです。私たちが日本の学校の中で民族差別問題を教育の課題として取り上げるように都教育委員会と交渉したときも同じです。挙げ句の果てに出てきたせりふは「日本の学校は差別をしていればよい。そうしたら、朝鮮の子どもは朝鮮学校に来るようになる」。
日本の社会や政府の差別を言あげしながら、それと闘う人々を攻撃し、人々を金日成教団とも言うべき、朝鮮総連(学校や企業・銀行などをもつ)に囲い込んでいくのが彼らのやり方です。差別が強ければ強いほど金日成教には都合がいいというわけです。
そのやり方は今も変わっていません。そのため在日コリアンは3世が主流の現代においても選挙権・被選挙権、公務員就任権を持たない無権利集団となったままです。このことに当のコリアンもあまたの人権運動家も文句の一つも言わないのですから驚きです。(民団という一部の人たちはどういう訳か、地方選挙に限った投票権を求め、どういう訳か、公明党と一部の「知識人」が是を推進してきました)。
金日成教に洗脳されたり、囲い込まれた人々の運命は悲惨です。1960年頃には10万人近い人々が「地上の楽園」(北朝鮮のこと)に送られました。72年の金日成の還暦の時には200人の朝鮮大学の学生が「生ソンムル(生の贈りもの)」として「献上」されました。これらの人々を人質として、在日コリアンをゆすり、金品を巻き上げてきたのが此の45年の歴史なのです。朝鮮総連の指導者たちは金父子の忠僕としてその分け前にあずかってきたのです。
心のよりどころだと思っている人がいるとしたら、どのような人であるかは推して知るべしです。
土屋さんは84歳、緒方さんは73歳だそうです。どういう人生を歩んでこういう判断にたどり着いたのか、TVカメラの前で語り尽くしてほしいものです。拉致被害者はもとより、北朝鮮に閉じこめられて居る『人質』とされた人々の命運を思うとき、これらの老人の罪は限りなく重い。
(追記)
「生ソンムル」のことは『在日朝鮮人はなぜ帰国したかー在日と北朝鮮50年』(現代人文社・2004年刊)という本の中で洪祥公もと朝鮮大学校教員が詳しく証言しています。およそ信じられない『現代の生口』の存在、日本にこんな学校があり、こんなことが許されつづけている現実に驚くばかりです。オオムどころの話ではありません。
魑魅魍魎というか、お化けというか、朝鮮総連の本部売却騒動を巡る二人の老人の姿はこの国の病状を象徴しているようです。
正義と人道を看板にして朝鮮総連を守ろうというのですから、お笑い草です。朝鮮総連が「人権擁護の団体で在日朝鮮人の心のよりどころ」だというのです。この老人たちはそれぞれに「人権」で飯を食い、総連の「調査」で禄を食んで来た者たちのトップの一人なのです。
僕はコリア系の生徒たちとの出会いがきっかけで、在日コリアンの人権を確立することが日本の民主主義を確かなものにするために不可欠と考え、70年代に入ってから自分のできることに取り組んできました。すぐに朝鮮総連という巨大な壁にぶち当たりました。
在日コリアンの青年が日本の企業や公務員に就職しようとすると、民族や国籍を理由に差別を受けるのが普通の時代でした。これに挑戦する二世の若者や支援者に朝鮮総連は驚くことに「同化主義者」というレッテルを貼り、攻撃したのです。私たちが日本の学校の中で民族差別問題を教育の課題として取り上げるように都教育委員会と交渉したときも同じです。挙げ句の果てに出てきたせりふは「日本の学校は差別をしていればよい。そうしたら、朝鮮の子どもは朝鮮学校に来るようになる」。
日本の社会や政府の差別を言あげしながら、それと闘う人々を攻撃し、人々を金日成教団とも言うべき、朝鮮総連(学校や企業・銀行などをもつ)に囲い込んでいくのが彼らのやり方です。差別が強ければ強いほど金日成教には都合がいいというわけです。
そのやり方は今も変わっていません。そのため在日コリアンは3世が主流の現代においても選挙権・被選挙権、公務員就任権を持たない無権利集団となったままです。このことに当のコリアンもあまたの人権運動家も文句の一つも言わないのですから驚きです。(民団という一部の人たちはどういう訳か、地方選挙に限った投票権を求め、どういう訳か、公明党と一部の「知識人」が是を推進してきました)。
金日成教に洗脳されたり、囲い込まれた人々の運命は悲惨です。1960年頃には10万人近い人々が「地上の楽園」(北朝鮮のこと)に送られました。72年の金日成の還暦の時には200人の朝鮮大学の学生が「生ソンムル(生の贈りもの)」として「献上」されました。これらの人々を人質として、在日コリアンをゆすり、金品を巻き上げてきたのが此の45年の歴史なのです。朝鮮総連の指導者たちは金父子の忠僕としてその分け前にあずかってきたのです。
心のよりどころだと思っている人がいるとしたら、どのような人であるかは推して知るべしです。
土屋さんは84歳、緒方さんは73歳だそうです。どういう人生を歩んでこういう判断にたどり着いたのか、TVカメラの前で語り尽くしてほしいものです。拉致被害者はもとより、北朝鮮に閉じこめられて居る『人質』とされた人々の命運を思うとき、これらの老人の罪は限りなく重い。
(追記)
「生ソンムル」のことは『在日朝鮮人はなぜ帰国したかー在日と北朝鮮50年』(現代人文社・2004年刊)という本の中で洪祥公もと朝鮮大学校教員が詳しく証言しています。およそ信じられない『現代の生口』の存在、日本にこんな学校があり、こんなことが許されつづけている現実に驚くばかりです。オオムどころの話ではありません。