川越だより

妻と二人あちこちに出かけであった自然や人々のこと。日々の生活の中で嬉しかったこと・感じたこと。

『退場!』宣告

2007-06-21 11:27:56 | こどもたち 学校 教育
 昨日は東京地方裁判所で嘱託教員解雇裁判の傍聴をしてきました。卒業式で国歌斉唱を拒否し、その数十秒間を着席したため、クビにされてしまった教員たちが原告です。たとえ、国歌であっても卒業式で歌うのは僕にもできません。
 ですから、文京高校でHR担任をした人たちの卒業式で僕も着席しました。生徒にも保護者にも手紙を書いて僕の考えを伝えました。斉唱を強制する鈴木勝利という校長と祝杯をあげる気にはなれないので祝賀会も欠席しました。02年のことです。
 日を改めて僕が担任したクラスの保護者が<謝恩会>を開いてくれました。「変わった担任で面倒をかけます」と挨拶したら、「特定の生き方を強制しない先生に恵まれた」というメッセージを戴きました。クラスの一人一人をお互いがよく知り、交流することを通じて自己形成をすることの大切さを身につけるように指導してきたつもりだったのです。生徒が順番に書くクラスノートは何冊にもなりました。そういう僕のあり方を理解してくれたとしたらこんな嬉しいことはありません。
 今回、裁判に訴えた人たちは04年の卒業式で僕と同じような行動をして、嘱託をクビになったわけです。裁判長の「原告の請求を棄却する」「訴訟費用は原告が負担する」というたった数秒(?)で判決法廷は閉じられました。
 「君が代」を拒否するような教員はクビになってもやむを得ないと裁判所が石原都政のやり方にお墨付きを与えたわけです。
 昨日は国会で教育三法が成立しました。その一つは学校に副校長や主幹という新しい職を置き管理体制を強めて教育改革を進めるという趣旨です。石原さんが東京で進めていることを全国で実施しようというわけです。
 僕が心配していることはこの裁判にしても関心を持つ人がきわめて限られていることです。昨日の裁判の傍聴希望者は多く、僕がくじに当たったのが不思議なくらいですが、ほとんどが仲間内のように見えました。
 原告たちも本当に自分の卒業生やかつての同級生、親族や地域の知り合い、等に自分の考えや生き方を伝え意見の交換の場を作っているのだろうか。少なくとも「君が代」や「日の丸」を巡っては僕と世間の多くの人との間には意見の違いが在ります。僕の生徒であった人も同様でしょう。
 この僕にしてからが教員になったころにはNO!という強い感覚はなかったように思います。さまざまな人々と出会い、驚きや感激を伴いながら自分なりの学習をしていくなかで、身に付いた生活態度です。ですから人に理解してもらうのは困難かもしれないと自覚しています。このブログを読んでくれる皆さんもどうか、自分の疑問を大切にして、意見を表明してください。
 <東京から日本を変える>という石原さんの挑戦は少なくても学校教育の「改革」という面では成果を上げつつあるようです。そして僕のような教員は「退場」を宣告されている、僕は今の事態をこう認識しています。喜んでいるわけではありません。ただならぬ事態です。子も親も教師も生徒も心を開いて語り合って、希望を見つける努力をしなければなりません。