11月1日(土)室戸岬から海岸線を走り、阿南の海陽町から海部川(かいふがわ)に沿って木頭(きとう・徳島県那賀町)に向かいました。姉を誘って奥物部への一泊旅行です。国道193号はそこらの村道と変わらない風情。曲がりくねった細い道をいくつかの峠を越えて那賀川のほとり旧木頭村にたどり着いたのは昼過ぎでした。
那賀川の川原で昼食にしようと旧村の中心部・出原(いずはら)から高知県境方面に走るのですが適当なところが見つかりません。とうとう那賀川本流から離れてしまいます。道脇に「細川内(ほそごうち)ダム反対資料館」という小さな看板を見つけました。
こんなものが出来たのかと驚いて訪ねてみましたが鍵が掛かっています。それでもここしかないと弁当を広げるところを物色しているところに川向こうから元気の良い老夫婦が現れました。男性の方はどこかでお会いしたことがあるような気がします。
田村好さんでした。「細川内ダム反対同志会」の会長として日本で初めて国や県のダム計画を中止に追いやった当にその人です。お会いしたことは無いのですがこの方が出てくるTV番組のVTRを95年以来、僕が担当するすべての生徒にみせてきたのです。
「いま、川が語るもの 那賀川の開発にみる50年」(95年 四国放送)
田村さんは06年につくったという資料館に私たちを招じ入れて反対運動の歩みを展示物を説明しながらとうとうと語ってくれました。当時使った段ボールのプラカードなどもきちんと展示されています。天井には300本の鉢巻きが並んでいます。
細川内ダム反対運動資料館 http://www.kitomura.jp/tusin_box/0708_77/tamu77.html
驚いたことには私たちが説明を受けている間に隣接して建てられた「奥那賀おららの小学校」では奥さんが掘り炬燵のように脚をおろせる特製囲炉裏(?)に炭火をおこしておいてくれました。足下から暖められる心地よさに酔い乍ら昼食としました。田村さんも一緒に座って人生の話を聞かせてくれます。
ここは木頭の少年少女が遊びがてら顔を出して田村さんと過ごすところです。遠くから訪ねてくる人々もいるようです。小学生の頃から山に入って生活してきた田村さんの巧みな体験話が今を生きる人々に人生の智恵としてしみこんでいくのでしょう。
僕はお話を聞いている内に民間放送連盟から賞を受けたという四国放送のあの番組はほとんど田村さんのお話をもとに構想されたのかと思いました。林野庁が押し進めた拡大造林計画による森林の荒廃。これが諸悪の根元です。ブナなどの落葉樹の原生林が「退治」され森が殺されたのです。これがため山は保水力を失い、大雨による崩壊で川は土砂で埋め尽くされました。
奥那賀で象徴的な風景は久井谷の崩壊と果てもなく続く砂防ダムの建設。山で生まれ育まれた田村さんには耐えられない風景だったことでしょう。山や川を食い物にして恥じない連中に対する怒りと緑のダムの回復への願いがこの人の人生を方向付けたのではないでしょうか。
私財を投じてつくった資料館には「森の案内人」田村好さんの発行する『林業体験ツアー』という立派なパンフレットがあります。「箱物のダムより緑のダムを!」というサブタイトルがついています。
森を愛する人の生きとし生けるものへの愛情と森を壊す者への怒りがあふれています。田村さんの長編詩「荒れる山脈 木頭から」を読んでみてください。
長編詩 荒れる山脈 木頭から
田村 好
1 世の人々はその昔
阿波のチベットと木頭を呼ぶ
那賀川挟(はさ)んで両岸は
山脈高く聳(そび)え立つ
光りを浴びた広葉樹
数百年の巨木は
大地にしっかと根をおろし
ああ急峻の大森林
2 人もはいらぬ山奥の
曲がりくねった細い道
昼なお暗し自然林
微かに響く那賀川の
最上流の水源地
原生林の恩恵を
気づかぬ人も数多し
これぞ資源の大宝庫
3 昭和の戦争たけなわに
食料難から焼き畑
山を開いて粟(あわ)や稗(ひえ)
野菜を作って食べた日々
父母と共に苦労した
山小屋暮らしの想い出は
少年時代の労作業
わが生命の桃源郷
4 兎や狸 通る道
時にはキジや山鳥も
仕掛けた獲物の賢さに
負けるもんかと根気よく
動物たちとの知恵くらべ
獲物のかかった嬉しさは
少年時代の物語り
5 春の訪れ 青葉山
数十メートルの巨木も
見事な花の満開に
蜜を求めて蝶や蜂
昆虫類に小鳥たち
花から花へ飛び交わす
その旋律と調和して
樹木の繁殖 自然界
6 遥か遠くの他国から
アカゲラ、ヒヨドリ、キヨウビタキ、
クマゲラ、啄木鳥(きつつき) 飛来する
熊鷹、鷲にトンビなど
春から秋へと姿見せ
木の実や昆虫 餌として
原生林の奥深く
鳥の鳴き声こだまする
7 原生林の木陰には
リスや狸に兎鹿
猿と熊と野ねずみと
木の実求めて彷徨する
夜はムササビ 空翔(か)けて
林の中を往来す
森は動物安住地
野生の王国 蘇れ
8 秋深まれば木の葉舞う
重なる落ち葉も昆虫の
餌や糧にと葉っぱ齧(か)む
生物の糞やミミズたち
こなれた土壌にバクテリア
微生物の繁殖が
肥沃の土地と変わりゆく
栄養源の落葉樹
9 自然林の風格は
数十メートルの巨木に
ねじり登った 蔦かずら
シラクチかずらに藤カズラ
ブナやケヤキに樅(もみ)ツガに
桜やカエデに栃の木と
啄木鳥つつく立て枯れや
巨木倒れて苔もむす
10 紙の原料ミツマタも
寒風ついて皮を剥ぐ
原木生かした炭焼きも
山村農家の収入源
楢(なら)やシデの木切り倒し
自然栽培 椎茸も
自ら炭火で乾燥させ
これぞ木頭の特産品
11 木材不足の終戦後
国是施行と林野庁
何が何でも針葉樹
植えよう育てよう杉桧
育苗植え付け下刈り等
どんどん繰り出す補助金
間伐間引きそらやるぞ
植えりゃいいんだ何処もかも
12 早く道掘れ林道を
木材パルプを運ぶ道
国や県も呼応して
本流支流と奥深く
何処も彼処も掘り起こし
山林崩壊続く道
儲けた人はどんな人
森林資源を壊す道
13 昭和35年頃
普及始めたチェンソー
白蝋病の重傷を
背負うと知らず労務者ら
尾根や谷間にゴウゴウと
響く架線に集材機
どんどん切り出すパルプ材
ああ水源地の大破壊
14 数百年を生き延びた
原生林の巨木は
岩盤深く根をはれど
伐採後の山肌は
ツルツル坊主の高い山
根っこが腐って緩む岩盤
ガタガタ山の杉桧
倒れて地滑り雨毎に
15 木頭の山々大植林
杉や桧に覆われて
林は暗き密集林
除伐間伐急ぐとも
次第に進む老齢化
手入れ不足の人工林
襲った台風に山は割れ
自然の猛威に打つ手なし
16 二万三千三百ヘクタール
那賀川取り巻く木頭山
崩壊現場にたたずめば
山の手入れに気づく筈
緑のダムの必要性
広葉樹の保水力
水を飲む人使う人
もっと地元の声を聞け
17 場所がよければ杉ひのき
急斜面には広葉樹
針葉広葉の混合林
場所や環境見て育て
木頭山の七割は
村外地主が支配する
水源確保に山守れ
叫び続けて三十余年
18 広げて見よう四国地図
剣山南麓に木頭村
千数百米の山多く
人口二千と八百戸
そこから発する警鐘は
遥か彼方の惑星が百億光年の時を経て
微かな音と振動を送り続ける姿して
出典 http://www.soratoumi.com/river/tamura.htm
<お断り> 一部字句訂正。パンフレットに出ているのはこの詩を推敲したもので全20聯になっています。作詞者は山村好一です。
那賀川の川原で昼食にしようと旧村の中心部・出原(いずはら)から高知県境方面に走るのですが適当なところが見つかりません。とうとう那賀川本流から離れてしまいます。道脇に「細川内(ほそごうち)ダム反対資料館」という小さな看板を見つけました。
こんなものが出来たのかと驚いて訪ねてみましたが鍵が掛かっています。それでもここしかないと弁当を広げるところを物色しているところに川向こうから元気の良い老夫婦が現れました。男性の方はどこかでお会いしたことがあるような気がします。
田村好さんでした。「細川内ダム反対同志会」の会長として日本で初めて国や県のダム計画を中止に追いやった当にその人です。お会いしたことは無いのですがこの方が出てくるTV番組のVTRを95年以来、僕が担当するすべての生徒にみせてきたのです。
「いま、川が語るもの 那賀川の開発にみる50年」(95年 四国放送)
田村さんは06年につくったという資料館に私たちを招じ入れて反対運動の歩みを展示物を説明しながらとうとうと語ってくれました。当時使った段ボールのプラカードなどもきちんと展示されています。天井には300本の鉢巻きが並んでいます。
細川内ダム反対運動資料館 http://www.kitomura.jp/tusin_box/0708_77/tamu77.html
驚いたことには私たちが説明を受けている間に隣接して建てられた「奥那賀おららの小学校」では奥さんが掘り炬燵のように脚をおろせる特製囲炉裏(?)に炭火をおこしておいてくれました。足下から暖められる心地よさに酔い乍ら昼食としました。田村さんも一緒に座って人生の話を聞かせてくれます。
ここは木頭の少年少女が遊びがてら顔を出して田村さんと過ごすところです。遠くから訪ねてくる人々もいるようです。小学生の頃から山に入って生活してきた田村さんの巧みな体験話が今を生きる人々に人生の智恵としてしみこんでいくのでしょう。
僕はお話を聞いている内に民間放送連盟から賞を受けたという四国放送のあの番組はほとんど田村さんのお話をもとに構想されたのかと思いました。林野庁が押し進めた拡大造林計画による森林の荒廃。これが諸悪の根元です。ブナなどの落葉樹の原生林が「退治」され森が殺されたのです。これがため山は保水力を失い、大雨による崩壊で川は土砂で埋め尽くされました。
奥那賀で象徴的な風景は久井谷の崩壊と果てもなく続く砂防ダムの建設。山で生まれ育まれた田村さんには耐えられない風景だったことでしょう。山や川を食い物にして恥じない連中に対する怒りと緑のダムの回復への願いがこの人の人生を方向付けたのではないでしょうか。
私財を投じてつくった資料館には「森の案内人」田村好さんの発行する『林業体験ツアー』という立派なパンフレットがあります。「箱物のダムより緑のダムを!」というサブタイトルがついています。
森を愛する人の生きとし生けるものへの愛情と森を壊す者への怒りがあふれています。田村さんの長編詩「荒れる山脈 木頭から」を読んでみてください。
長編詩 荒れる山脈 木頭から
田村 好
1 世の人々はその昔
阿波のチベットと木頭を呼ぶ
那賀川挟(はさ)んで両岸は
山脈高く聳(そび)え立つ
光りを浴びた広葉樹
数百年の巨木は
大地にしっかと根をおろし
ああ急峻の大森林
2 人もはいらぬ山奥の
曲がりくねった細い道
昼なお暗し自然林
微かに響く那賀川の
最上流の水源地
原生林の恩恵を
気づかぬ人も数多し
これぞ資源の大宝庫
3 昭和の戦争たけなわに
食料難から焼き畑
山を開いて粟(あわ)や稗(ひえ)
野菜を作って食べた日々
父母と共に苦労した
山小屋暮らしの想い出は
少年時代の労作業
わが生命の桃源郷
4 兎や狸 通る道
時にはキジや山鳥も
仕掛けた獲物の賢さに
負けるもんかと根気よく
動物たちとの知恵くらべ
獲物のかかった嬉しさは
少年時代の物語り
5 春の訪れ 青葉山
数十メートルの巨木も
見事な花の満開に
蜜を求めて蝶や蜂
昆虫類に小鳥たち
花から花へ飛び交わす
その旋律と調和して
樹木の繁殖 自然界
6 遥か遠くの他国から
アカゲラ、ヒヨドリ、キヨウビタキ、
クマゲラ、啄木鳥(きつつき) 飛来する
熊鷹、鷲にトンビなど
春から秋へと姿見せ
木の実や昆虫 餌として
原生林の奥深く
鳥の鳴き声こだまする
7 原生林の木陰には
リスや狸に兎鹿
猿と熊と野ねずみと
木の実求めて彷徨する
夜はムササビ 空翔(か)けて
林の中を往来す
森は動物安住地
野生の王国 蘇れ
8 秋深まれば木の葉舞う
重なる落ち葉も昆虫の
餌や糧にと葉っぱ齧(か)む
生物の糞やミミズたち
こなれた土壌にバクテリア
微生物の繁殖が
肥沃の土地と変わりゆく
栄養源の落葉樹
9 自然林の風格は
数十メートルの巨木に
ねじり登った 蔦かずら
シラクチかずらに藤カズラ
ブナやケヤキに樅(もみ)ツガに
桜やカエデに栃の木と
啄木鳥つつく立て枯れや
巨木倒れて苔もむす
10 紙の原料ミツマタも
寒風ついて皮を剥ぐ
原木生かした炭焼きも
山村農家の収入源
楢(なら)やシデの木切り倒し
自然栽培 椎茸も
自ら炭火で乾燥させ
これぞ木頭の特産品
11 木材不足の終戦後
国是施行と林野庁
何が何でも針葉樹
植えよう育てよう杉桧
育苗植え付け下刈り等
どんどん繰り出す補助金
間伐間引きそらやるぞ
植えりゃいいんだ何処もかも
12 早く道掘れ林道を
木材パルプを運ぶ道
国や県も呼応して
本流支流と奥深く
何処も彼処も掘り起こし
山林崩壊続く道
儲けた人はどんな人
森林資源を壊す道
13 昭和35年頃
普及始めたチェンソー
白蝋病の重傷を
背負うと知らず労務者ら
尾根や谷間にゴウゴウと
響く架線に集材機
どんどん切り出すパルプ材
ああ水源地の大破壊
14 数百年を生き延びた
原生林の巨木は
岩盤深く根をはれど
伐採後の山肌は
ツルツル坊主の高い山
根っこが腐って緩む岩盤
ガタガタ山の杉桧
倒れて地滑り雨毎に
15 木頭の山々大植林
杉や桧に覆われて
林は暗き密集林
除伐間伐急ぐとも
次第に進む老齢化
手入れ不足の人工林
襲った台風に山は割れ
自然の猛威に打つ手なし
16 二万三千三百ヘクタール
那賀川取り巻く木頭山
崩壊現場にたたずめば
山の手入れに気づく筈
緑のダムの必要性
広葉樹の保水力
水を飲む人使う人
もっと地元の声を聞け
17 場所がよければ杉ひのき
急斜面には広葉樹
針葉広葉の混合林
場所や環境見て育て
木頭山の七割は
村外地主が支配する
水源確保に山守れ
叫び続けて三十余年
18 広げて見よう四国地図
剣山南麓に木頭村
千数百米の山多く
人口二千と八百戸
そこから発する警鐘は
遥か彼方の惑星が百億光年の時を経て
微かな音と振動を送り続ける姿して
出典 http://www.soratoumi.com/river/tamura.htm
<お断り> 一部字句訂正。パンフレットに出ているのはこの詩を推敲したもので全20聯になっています。作詞者は山村好一です。