11月21日(金) 小春日和に誘われて小川町の仙元山の展望台に連れて行って貰う。筑波山から浅間山まで北関東の山並み。日光連山や上越国境の山々は白銀に輝く。ふるさとの湯に入って帰る。
夜、Aさんから電話。僕の最後の生徒の一人。この日本に身よりは叔父さんだけ。お母さんは病気で台湾にかえった。卒業後、通信制大学に入ったが閉じこもりになり、やっと電話をする気力が出てきたという。高校生の頃、進路のことなどで川越まで相談に来てくれたことがある。2年ぶりに訪ねる元気が出てくれればいいが。私たち3人はそれぞれに心配しています。
22日(土) 朝、大島高OGの陽子さんからお菓子が届く。還暦祭で妻が一人一人にプレゼントした手作りのアクセサリーがよっぽど嬉しかったらしい。「使うと汚れるからケースに入れて飾ってあります」と同封の手紙にある。さっそくお礼の電話。妻「飾っておかないで使ってちょうだい。壊れたり、汚れたら修繕します」。春になったら、八ヶ岳の麓の旧友・典子さんを訪ねる旅をする約束。
午後、東京で政府の中国残留孤児受け入れ策について勉強会。忠幸さん、俊英さんも一緒。
A区で長年、福祉行政に取り組んで来たNさんが丁寧なレクチャーをしてくれる。今年度はじまったばかりの「地域生活支援事業」が来年度から政府の補助金を受けながら自治体が主体的に行う事業になるという。自治体にやる気がなければ消滅してしまう。残留孤児の半数近くを受け入れてきた東京の自治体の受け入れ態勢は今でもお寒い限り。私たちとしては支援相談員となった卒業生などの連絡協議の場をつくることにする。
この会を主催してくれたのは自治体で働くMさんYさんなど。僕は若いときから生徒のことでこの人たちに世話になってきた。仕事だとはいえ、その尽力には頭が下がる。出世とは縁がないこれらの人々のお陰でどれだけの人が助かったことだろう。
23日(日) 高知に住む従姉妹が「山北みかん」を送ってくれる。小粒で甘い。毎年毎年、ありがとう。先日、コニヤンの職場訪問の帰りに寄ったが留守だった。行き当たりばったりの報いだ。
一日、寝たり起きたり。白鵬と安馬の決戦は良かった。
24日(祝) 杜くん夫妻が昼食会によんでくれている。杜くんが来日し、二人が安定した生活を送るようになって一年になる。これから池袋へ。忠幸さんも来られるはずだ。
夜、Aさんから電話。僕の最後の生徒の一人。この日本に身よりは叔父さんだけ。お母さんは病気で台湾にかえった。卒業後、通信制大学に入ったが閉じこもりになり、やっと電話をする気力が出てきたという。高校生の頃、進路のことなどで川越まで相談に来てくれたことがある。2年ぶりに訪ねる元気が出てくれればいいが。私たち3人はそれぞれに心配しています。
22日(土) 朝、大島高OGの陽子さんからお菓子が届く。還暦祭で妻が一人一人にプレゼントした手作りのアクセサリーがよっぽど嬉しかったらしい。「使うと汚れるからケースに入れて飾ってあります」と同封の手紙にある。さっそくお礼の電話。妻「飾っておかないで使ってちょうだい。壊れたり、汚れたら修繕します」。春になったら、八ヶ岳の麓の旧友・典子さんを訪ねる旅をする約束。
午後、東京で政府の中国残留孤児受け入れ策について勉強会。忠幸さん、俊英さんも一緒。
A区で長年、福祉行政に取り組んで来たNさんが丁寧なレクチャーをしてくれる。今年度はじまったばかりの「地域生活支援事業」が来年度から政府の補助金を受けながら自治体が主体的に行う事業になるという。自治体にやる気がなければ消滅してしまう。残留孤児の半数近くを受け入れてきた東京の自治体の受け入れ態勢は今でもお寒い限り。私たちとしては支援相談員となった卒業生などの連絡協議の場をつくることにする。
この会を主催してくれたのは自治体で働くMさんYさんなど。僕は若いときから生徒のことでこの人たちに世話になってきた。仕事だとはいえ、その尽力には頭が下がる。出世とは縁がないこれらの人々のお陰でどれだけの人が助かったことだろう。
23日(日) 高知に住む従姉妹が「山北みかん」を送ってくれる。小粒で甘い。毎年毎年、ありがとう。先日、コニヤンの職場訪問の帰りに寄ったが留守だった。行き当たりばったりの報いだ。
一日、寝たり起きたり。白鵬と安馬の決戦は良かった。
24日(祝) 杜くん夫妻が昼食会によんでくれている。杜くんが来日し、二人が安定した生活を送るようになって一年になる。これから池袋へ。忠幸さんも来られるはずだ。