川越だより

妻と二人あちこちに出かけであった自然や人々のこと。日々の生活の中で嬉しかったこと・感じたこと。

アンネの言葉(3)「なぜ絶望することがあるでしょうか?」

2009-01-10 06:19:14 | 政治・社会
 「アンネの日記」の続きです。今回はここまでとします。例によってぼくが書き写しますので、どうぞ、声に出して読んでみてください。


 1944年5月3日(水)
 (続き)

 これまで私はちょくちょく意気消沈することもありましたけど、決して絶望はしませんでした。この隠れ家生活を危険な冒険ではあっても、同時にロマンティックな、おもしろいものとさえみなしてきました。この日記の中でも、すべての不自由をユーモア混じりに描いてきたつもりです。今こそ私は、ほかの少女たちとは異なった生涯を送ってみせると心に決めました。ほかの少女とは異なる生き方をし、さらに大人になったなら、普通の主婦たちとは異なる生き方をしてみせる、と。スタートはこれまでのところ、じゅうぶん波瀾に満ちていましたし、どんなに危険なときにもそのなかに滑稽な一面をみつけ、それを笑わずにはいられないというのも、もっぱらそれだからなのです。

 私は若く、いまはまだ埋もれている多くの資質を備えています。若く、強く、そしていままさにおおいなる冒険を生きています。いまはまだその冒険のただなかにいるからには、一人で楽しむ以外に何もすることがないからといって、一日中愚痴ばかりこぼしているわけにはゆきません。
 私は多くのものを与えられています。明るい性質と、あふれるばかりの明朗さ、強さを持っています。日ごとに私は自分が精神的に成長してゆくのを感じます。解放が近づいているのを、自然がいかに美しいかを、周囲のひとたちがどんなに善良な人たちであるかを、この冒険がいかにおもしろく、興味の尽きないものであるかを感じています。だったら、なぜ絶望することがあるでしょうか?

 じゃあまた、アンネ・M・フランクより


 きらきらする豊かな個性の発露、自分の人生の主人公になろうとする強い意志……ぼくはこうゆう少女が好きです。実際のアンネは外面に現れるアンネと「ほんとうのアンネ」の分裂に悩みます。悩む少女の姿は愛おしく他人事ではないような気がします。

  1944年8月1日 (火曜日)の日記が最後です。こう結ばれています。
 
 (略)
 そしてなおも模索し続けるのです、わたしがこれほどまでにかくありたいと願っている、そういう人間にはどうしたらなれるかを。きっとそうなれるはずなんです、もしも……この世に生きているのが私一人であったならば。
                じゃあまた、アンネ・M・フランクより

 

 ぼくは悔しくてなりません。可能性に満ちた魅力的な少女の人生の営みをナチは永遠に奪ったのです。
 今も世界のあちこちで「自分でありたい」と願い、悪戦苦闘する青春があります。その悪戦苦闘こそが人類の希望です。私たちはどんなことがあってもアンネと同じ運命を彼らに辿らせてはなりません。


 今朝もこんなニュースがあります。イスラエル軍のやることは「ユダヤ人絶滅」を計ったナチとどこが違うのでしょうか。昨日の国会では社民党の阿部知子さんがこの問題を提起していました。何とか国を挙げての取り組みに出来ないでしょうか。

 

 <イスラエル軍>住民を住宅に集め砲撃…30人死亡 ガザ
                 1月9日21時2分配信 毎日新聞


【エルサレム高橋宗男】国連人道問題調整事務所(OCHA)は9日、パレスチナ自治区ガザ地区のガザ市近郊のザイトゥン地区で、イスラエル軍によって誘導される形でパレスチナ人市民約110人が集まっていた1軒の住宅に、同軍が複数回砲撃を加え、子供を含む約30人が死亡したと発表した。負傷者が運び込まれた同市のシーファ病院は死者数を32人としている。

【関連】種子島より少し小さい土地に約150万人が住むパレスチナ自治区のガザ

 OCHAは住宅内にいた半数は子供だったとし砲撃を非難、同病院の救急医療部長も「虐殺だ」と非難している。イスラエル軍は毎日新聞の取材に対し「情報を持っておらず、調査する」とコメントしている。

 OCHAによると、イスラエル軍は地上侵攻を開始した3日夜から7日にかけてザイトゥン地区全域で集中的な砲撃を行っていた。その間、救急隊の同地区入りを妨げた。

 砲撃から生き残った主婦、オーラさん(29)が、ガザ市在住の毎日新聞助手に語った話によると、数十人の武装イスラエル兵が4日朝、ザイトゥン地区の一角に固まって住む市民100人以上を、銃を突きつけて1軒の建設中の平屋建て住宅に集め、「動くな。何もするんじゃない」と言い残し、立ち去った。

 ところが5日朝、戦車が住宅を砲撃、1発は住宅を直撃し、もう1発は敷地内に着弾した。オーラさんの子供6人のうち2人は死亡。オーラさんと夫は、負傷した他の子供たちを抱きかかえ外へ避難したという。

 オーラさんは「半分屋根のないような狭い住宅で、私たちは羊のように押し込められていた」と語った。

 OCHAによると、一部の生存者は主要道路まで2キロ歩き、通りかかった車で病院に運ばれた。5カ月の乳児を含む子供3人が病院到着直後に死亡したという。

 赤十字国際委員会は7日、3時間の攻撃停止時間中に初めて同地区に入り、砲撃された住宅を含む3軒の住宅で15体の遺体を発見、負傷者18人を含む生存者計30人を救出した。しかし、同地区内では大掛かりな軍事作戦が行われ、依然として相当数の死傷者が取り残されたままとみられる。