川越だより

妻と二人あちこちに出かけであった自然や人々のこと。日々の生活の中で嬉しかったこと・感じたこと。

必読・大崎博澄前高知県教育長講演

2009-01-29 10:01:59 | こどもたち 学校 教育
 高知のコニヤンが大崎博澄さんの講演記録を送ってきてくれました。読んでいて心が震えました。
 「川越だより」を読んでくださる全ての方々に読んでいただきたいと思います。こういう知己を得た(?)ことをぼくは生涯の誇りとするでしょう。


 高知市教育研究所保護者会講演要旨 
     08/9/19 講演時間60分

 演題  <子どもの心に寄り添う>  大崎博澄

 今日は、不登校の子どもの心にどう寄り添うか、というテーマでお話したい・それは現代社会の中で、様々な悩みを抱えた子ども達にどう向き合うか、というテーマに共通する・お話することは一個人の意見であることのお断り

 ①不登校をどうとらえるか

 不登校は悪いことではない・不登校は、本人がそのために苦しんでいるのならつらいことだが、不登校そのものが悪いこと、マイナスイメージを持って評価されるべきことではない・現代のような競争社会、経済的利益最優先社会、様々な格差を容認する社会の中で、子どもが学校へ行かない、行けないことは、人間が健やかに生きていくための生物としてのきわめてノーマルな反応、健全な自己防衛反応、自己防衛行動

 不登校は本人の責任ではない・不登校になりやすい資質というものはあるかも知れない・しかし本人の資質は本人の責任ではない・集団に適応しにくい性質や性格というものはあるだろうが、それはその人の人間性の欠点ではない・人付き合いが下手、ということは少しも悪いことではない・私はそういう人が好き

 不登校は家族の責任ではない・家族の育て方は不登校という結果の原因ではない・私の息子の不登校は、私の遺伝子の責任ではない

 不登校はすべてのケースが違う・一律にくくるものさしはない・原因も結果も千差万別・最善の対応マニュアルは誰も知らない・尊敬する渡辺位先生の講演会で、子どもがテレビを壊した時、再びテレビを買ってやるべきか、否か、という親としては切実な質問が出た・渡辺先生の答えは、ひたすら子どもに寄り添え・その意味を後年になって私は理解した・ただし、今助言を求められれば、何が正しい対処か分からなくても、家族の決断を後押しする助言をする・それで家族の気持が休まればそれでよい

 不登校は、本人が学校に行けるような形にする、つまり、本人の病気を治す、という考え方に立たないことが大切・本人を治す、のではなく、不登校というような社会現象を引き起こしている社会や学校のあり方を治す、という考え方に私は立つ

 ②親としてどう向き合うか、私は不登校にどう向き合って来たか

 我が家のケース・誰も助けてくれる人はいなかった・今は「教育研究所」を設置している市もあり、県教委の「心の教育センター」もあり、思春期の問題を扱う「精神科医」もあるが、十五年以上前には、相談できる機関はなかった・誰も助けてくれなかった・松永佳子さんがリードしてくれていた「学校へ行かない子を持つ親の会高知」が唯一の支え・不登校の子を持つ親同士の「ピア・カウンセリング」がすべてだった・このグループは現在も元気に活動している

 親としての反省・そんなにつらいなら登校しなくてもいいよ、人生は学校がすべてじゃない、と、積極的に登校を止めた・本人は行けたかも知れない・その判断は限りなく難しいが・それ以上に、もう一歩も二歩も子どもの気持に踏み込んだ支援をしてやれなかったわたしの弱さを悔やむ

 不登校で得たもの・自分の生き方の芯ができたこと・いつ、いかなる時も社会的弱者の側に立つという確信が生まれたこと・人生の問題のすべてに、パーフェクトに対応することはできない・自分にできるベストを尽くせばよい・それしかない・人との出会いを大切にする・必ず理解してくれる人はいる・出会いの中で、人間への信頼を回復する、自分の心を豊かにする、人を愛する喜びを認識することができるようになったこと

 ③保護者は学校とどう付き合うか

 不登校は教員や生徒によるいじめなど、学校に責任があるケースも多いが、学校に責任がないケースもある・学校は信用できないし、誰かのせいにしたいが、すべての責任を誰かに負わせる発想は、問題をよい方向に進めることにつながらないことが多い・いろいろな人の力を遠慮なく借ること、しかし、自分で背負い切る覚悟も大事・パーフェクトである必要はない・ベストを尽くせばよい

 不登校に対する学校の認識は、まだまだ低いことが多い・学校という組織の欺瞞性はどうしようもないが、学校に敵対することでも、問題は解決しない・それは本人と親にとって一層つらい孤独な闘いになることも多い

 学校はオールマイティではない・もともと不完全な存在・すべての問題解決は学校にはできないものと、あらかじめ考えておく・ しかし、個々の教員の中には、本当の誠意、善意があることはしばしば・それには大いに頼ろう

 ④学校は不登校とどう向き合うか 

 学校が不登校の問題に真剣に向き合うことは、学校が教育の本質をつかむことができるチャンス・よい学校を作るチャンス・そうとらえると展望が開ける・他の教育課題に向き合う時も同じ・しかし、残念ながらそう受け止められる学校は少ない

 学校として、大切なことは、どんなに拒否されても、「学校はあなたを忘れていない」、というメッセージを送り続けること・その裏づけとなる、あたたかい仲間のいる学級を作ることに全力を注ぐこと・そして待つこと

 教育の本質は、はぐれた一頭の子羊を見捨てないこと・はぐれた一頭を見捨てる牧童は、群れ全体を見失う・常に、弱い立場に置かれている子どもの味方であるという認識に終始立ち切ること

 対症療法的対応には限界・スクールカウンセラー頼みでは、不登校問題の根本的解決はできない・それは、どんな教育課題にも共通する原則・教育課題の根本的解決は、三つの経営改善を通じた、ひとりひとりの子どもを大切にする学校づくりを通じてのみ可能性が開ける・三つの経営改善とは、教科経営、学級経営、学校経営の改善・その方法論はある

 ⑤行政は不登校とどう向き合うか

行政の認識もまだまだ低いレベル・ごまかす、かわす、逃げ回るのが行政の本質、宿命・それをどうやって乗り越えるかが、いつも行政に問われている・それを乗り越えるために孤独な闘いを挑む役人はほとんどいない・高知市教育研究所はその意味では特異な存在

 不登校問題は、不登校対策では解決できない・やはり、根本解決の道を追求すべき・それは、学校における三つの経営改善の取り組みに加えて、人、施設、予算など、教育環境の改善にお金を惜しまない政治の選択から・その選択をさせるのは、私達市民の責任・教育や政治に関心を持とう

 ⑥私達は人生をどう生きるか

 子ども達の不登校の問題は、私達おとなが人生をどう生きるかという問題・このチャンスを自分の人生を変えるために生かしたい

 不当な格差や差別を容認する世の中は間違っている・なればこそ、人生は生きるに値する・間違った世の中に組しない生き方を選ぼう・我が子の不登校から、自分の生き方を変える方向性を見つけよう

 心の傷は癒せない・生活の周辺に小さな楽しみを見つける・小さな楽しみの発見、その積み重ねが心の傷を覆う・傷は消えなくても、痛みはやわらぐ・小さなものを愛する好奇心と想像力が人生のピンチを救う

 ⑦最終テーマは「社会を変える」

 私の最終テーマは「社会を変える」・間違った世の中を変える努力をしよう・しかし、政治的な運動では社会は変えられないことは実証済み・新しいやり方を考える・目の前の困っている人を助ける・人間のやさしさ、市民の小さな意思を積み重ねていくことで、社会は変えられる・そう信じて生きよう

 出典  大崎博澄さんのたんぽぽ教育研究所http://sky.geocities.jp/hirosumi1945/

 コニヤンたちの職場で保護者を対象に行った講演だと言います。どことはいえません。ことごとくにぼくは同意し、深く共感します。

 ◎不当な格差や差別を容認する世の中は間違っている・なればこそ、人生は生きるに値する・間違った世の中に組しない生き方を選ぼう・

 ◎目の前の困っている人を助ける・人間のやさしさ、市民の小さな意思を積み重ねていくことで、社会は変えられる・そう信じて生きよう


 こんな力強いメッセージを送ることが出来る人が高知県の教育長だったのです。この方のリーダーシップで高知県の教師と親は少しは変わったのでしょうか。結局のところ大崎さんを追いつめ辞職においこんだのでしょうか?

 大崎さんがその人生を通じて得た生きることの喜び・人間への信頼は、しかし、揺らぐことはないでしょう。こういう方が土佐の高知におられるという事実はぼくを元気づけてくれます。大崎さんのHPを教えてくれたコニヤン、ありがとう。