川越だより

妻と二人あちこちに出かけであった自然や人々のこと。日々の生活の中で嬉しかったこと・感じたこと。

2011石橋農園収穫祭

2011-11-06 11:37:32 | 友人たち

11月5日(土)曇

 今年も狭山の石橋農園で収穫祭がありました。柏原の「えび善」でメンチカツ・コロッケなどを買って12時過ぎに西武線脇の農園につきました。

 今年の出席者は岡野さん、幸子さん、成章さん、教亢さん、、石橋さん、渡辺さん、青柳さん、武彦さん、酒井さん、啓介。

東京教育大学新聞会のOBOGで74才から70才までの10人が集まりました。

  去年の収穫祭●http://blog.goo.ne.jp/keisukelap/e/e8dfb7f07b980eb6b4ed6ce36c34b4a7

 神戸在住の大谷夫妻がみえられているのにびっくり。嬬恋の山荘帰りに寄ってこれから8時間かけて帰神されるとのことです。お会いするのは本当に久しぶりですが昔と変わらぬ若々しさを保っておられます。

 初めてお会いする方がおられました。酒井さん。新聞会の名簿でもお目にかかったことがありません。大学も新聞会も中退してパイロット人生を送ったといいます。教育大にもこういう方がおられたのです。一番難しかったのは飛行船の運行だったとか。世界中をまたにかけて活躍した方が桶川のホンダの飛行場でも働いたことがあったのですね。

 パイロットだけではなくどんな仕事でも向き、不向きを早く判断することが大事だと言われます。教亢さんが呼応して若い社員を沢山辞めさせた体験を話しました。転職先を一緒に考えてあげたといいます。管理職や職場の先輩の大切な役割ですがなかなか難しいことです。

 武彦さんは小学生の頃、福島県の小名浜(いわき市)で塩たきをやったといいます。満州から引き揚げてきた親族の方を助けたのです。新入部員の時から世話になってきた方ですが初めて聞く話です。一度はゆっくり人生話を聞かせてもらいたいものです。

 教亢さんが「みなさん、お連れ合いを大事にしてください」と言われました。異様な感じがしたので伺うと昨年9月、奥さんを突然なくされたとのこと。びっくりしました。去年のこの会では一言も触れなかったのです。妻の死を話すと収穫祭の話題が一色になってしまうと考えられたのです。

 上に立つ人は違うなあ。そこまで配慮するのか。敬意とともに考え込んでしまいました。

 63年の狭山事件の発生時はこの辺りに張り付いて取材を続けたそうです。週刊誌の若手記者だったのです。そのころも学校によく顔を出してくださって夜は池袋界隈の社会見学をさせてくれました。僕は3年生で事件の直前まで編集長だったのですが狭山事件についての話を聞いた覚えはありません。聞く耳がなかったのかもしれません。この話も他日ゆっくり聞かせてもらいたいものです。

 4時過ぎまで農園での語り合いは続きました。石橋さんの御宅でお茶をご馳走になり、解散をする頃にはもう周りは薄暗くなっていました。石橋さんがニンニクを沢山持たせてくれました。僕の命綱?だということを覚えていてくださるのでしょう。

 先輩たちひとりひとりの顔を思い浮かべながら自転車道を帰りました。

妻の母は今夕無事転居を終え、日高の義弟宅に落ち着いたとのことです。