渓流詩人の徒然日記

知恵の浅い僕らは僕らの所有でないところの時の中を迷う(パンセ) 渓流詩人の徒然日記 ~since May, 2003~

痛鍋

2020年10月06日 | open



北海道の友人が痛鍋風の鍋物やって知人
に振る舞ったらウケが良かったらしい。
アマゾンのドローン空輸便(マッハ特急便)
には北海道から広島まで15分で空輸する
サービスがあるのでお願いしたら、今の
時間混んでるのでダメだった。






火星大接近

2020年10月06日 | open


でけえ!



世界でも話題の日本映画 ランキングTop10

2020年10月06日 | open

世界でも話題の日本映画 ランキングTop10



1953年(昭和28年)の尾道
(小津安二郎監督『東京物語』から)

当時、尾道から東京まで行くには、
汽車で18時間以上かかった。


ハロウィーン

2020年10月06日 | open


日本人の節操のなさは、世界的にみて
かなり恥ずかしい。
正月には神社に行き、盆には線香をあげ、
ハロウィーンで馬鹿騒ぎをし、クリスマス
にはクリスチャンでもなく、祝いも祈りも
しないくせに特別な日だとイベント的に
行動する。
そして除夜の鐘に聴き入り、また正月に
神社に行く。
神社さえも節操がなく、神社と名がつけば
どこでも同じだとか思ってる。神社の由緒
によっては、絶対に連続梯子で行ってはな
ない神社があるのに、一向におかまいな
だ。

神事を尊ばず、ご利益とやらのオモライ
根性でしか参拝しない。
宗教的行事を花見の宴会と同じに考えて
飲み食いして騒ぐ。
宗教はカーニバルじゃねえっつーの。

私は宗教的な意味もあって、ハロウィーン
の日は無視している。
幼児児童に対しては有害であるとさえ思っ
ているし、とりわけ日本のハロウィーンの
馬鹿騒ぎは度し難く、完全否定する。
バカか?と。
まあ、馬鹿騒ぎなのだからバカなのだけ
ど。
日本人のその無節操なホゲタラぶりがとて
つもなく私は嫌いだ。
宗教的なものは置いておいても、嫌いな
ものには関与しない。
コスプレ大騒ぎ大会みたいな日本人のバカ
さ加減にはとことん辟易している。
いきつくと、渋谷駅前暴動のようなカッペ
が渋谷に出て来て傍若無人の大騒ぎ、てな
ことになる。

ハロウィーンもクリスマスも初詣も流行り
だからやってるだけの日本人。
とてつもなくカッコ悪い。





アメリカ横断

2020年10月06日 | open


おふくろも元気だよなあ。
83なのに今でもバイク乗ってるし太極拳
とかもやるし。
ちょい前、アメリカ大陸9,700km陸路の
旅をして来た。
ロスからニューヨークまで。
ルート66は一部通っただけだが、あちこち
18州を訪ねて来た。
かなり楽しかったようだ。
ただ、アメリカ大陸を行くのは、旅自体が
アドベンチャーのようなものなのだそう
だ。
途中、砂漠でトラベリンバスのエンジンが
お釈迦になって、おおごとだったらしい。

普段はその時の土産のピッチャーで飲む。


昨夜、コンビニでショッポのついでに白馬
買って来た。


ゆんべはこんくらいでやめといた。
飲みながらリンダの記事を書いていた。
ウイスキーはいろんな楽しみ方があるが、
俺はストレート。ノーアイス、ノーチェイ
サーだ。
プールも実はナインボールではなく、スト
レートプールが一番好きだ。



ジャケットデザイン

2020年10月06日 | open


このジャケットのデザイン、とてもいい。
アメリカというよりもおフランスな感じ
ではあるが。
1980年にこれを見ていたら、ジャケ買い
してたかも。

リンダ

2020年10月06日 | open

【英語カバー】 リンダ /
Mariya Takeuchi
"LINDA" All English Cover Version



曲のPVはフィフティーズだ。
この女の子に惚れた!(笑)
マーリー、ドストライク。
50年代って、アメリカでも
このラブ
ストーリーのよう
に女の子はお嬢様
なんだよ
なぁ。

そして男は女の子以上にウブ
だ。

ワルを装っていても、背伸び
していて
も、50'sの男はみん
な純だ。

それは『ウエストサイド物語』
(1961)
でもそうだった。
このプロモの女の子に惚れた
といっても、
撮影は現代だが、
実際の50年代だとする
と、こ
の女の子は俺の母親と同世代
なってしまう(笑)。
まさにバックトゥザフューチャ
ーの世界
になっちまう(笑)。
しかし、フィフティーズから
10数年後
の70年代の私の高校
生の頃、彼女との
青春グラフ
ティはまさにこの動画の
世界
そのものだった。

アメリカ人のように四輪車で
はなく、
二輪車だったが、ま
さにこの動画の世界。

もう少しグレてたかな(笑)。
俺らの青春時代は
まさに『ア
メリカングラフティ』のフィフ
ティーズの世界、その数年後の
80年代の
『あいつとララバイ』
の世界そのものが、俺たち

ティーンエイジの時代だった。
それは映画やドラマや絵空事
ではなく、
現実だった。


春色の花の並木の中を彼女を
乗せてこの動画の男の子は走
る。
1962年まで使われていたカリ
フォルニア
の黄色いナンバー
を着けた車で。
映画『カラー・オブ・ハート』
(1998年)のひと
コマだ。
単なるファンタジーではない、
深い映画作品だ。

フィフティーズはいい。
朝鮮戦争が一時的とはいえ休戦
となり
(現在も朝鮮戦争は継続
中)、ベトナム
戦争本格介入ま
でのアメリカ合衆国の
つかの間
の平和。国際紛争には介入して
いたが、本格的な戦争は控えて
いた時代。
フィフティーズはそんな時代だ
った。
1980年代も実はそうだった。

アメリカは1975年から1990年
まで本格的な
戦争はしていない。
アメリカに連動している日本も、
75年
から90年までは絢爛たる
若者文化が
花開いた時代だった。
それはまるで50’sのように。
日本では1980年代こそが、内
実として
アメリカの50’sの
良質部分を自分らの
実体とし
て体現することができていた。
50’sが「過去の物」ではなく
現在進行形
で、フィフティーズ
ではない感覚で発生
していた。
それは決してレトロ嗜好や回
顧主義では
なかった。
そして、中身の実体は50年代
と80年代
は有機的に連動して
いた。

なぜか。
戦争が無い時代だからこそ、
若者の文化
が開いて、若者は
青春を謳歌できたの
だ。そこ
にはイジメもネチネチとした

他人を揶揄誹謗中傷するよう
なせせこま
しい性根も若者た
ちは持ちえなかった。日本に
おいては。

私は至極健全でまっとうな世
の中の
時代だったと思う。
人々は明るい笑顔を持ってい
た。
戦争は人の心をすさませるこ
とから計画的
に準備される。

1950年代(~1960)アメリカ
の若者たちは青春を謳歌した。

フィフティーズに流行りはない。
元から50'sは50'sでしかないか
らだ。
1978年に公開された『グリース』
時代設定は1978年から20年
ほど前の
1959年を時代設定と
していた。

ヒロインのオリビア・ニュー
トン・
ジョンは20代後半だっ
たが、女子高生
役でヒロイン
を演じた。

『今日から俺は!!』にしても
30代や
20代後半が高校生役を
やっていても
違和感ないのだか
らよいだろう・・・

というか当時は批判もあった。
ヒーロー役のトラボルタが23才
でも
若いくらいにティーンでは
ない役者が
高校生を演じていた
からだ。

『グリース』ではオリビアが
とても
可愛かった。映画公開の
翌79年にデビュー
したアメリカ
帰国子女の竹内まりやが
『グリ
ース』でのオリビアに雰囲気が

よく似ていた。

その竹内まりやはフィフティー
ズの
ナンバーのようなバラード
を作った。

その曲を1980年時点でまだお嬢
さん
路線だったアン・ルイスに
提供した。

アン・ルイスは佐分利もとこさん。
先祖は尾張藩の
武士だ。
ただ、アン自身はまるっきり見
た目も
キャラクタもアメリカン
だった。

しかし、1970年代には50’sの
映画に
出てくるお嬢様のような
路線だった。

弾けてロックになるのは1980年
代後半
からだ。
それでも、アンちゃんはクリー
ムソーダ
の熱烈なファンでもあ
った。


そのアン・ルイスが竹内まりや
から
提供された曲を歌う。
ヒットした。
リンダというのはアン・ルイス
の海外名
の本名だ。これはアン
ちゃんのために
作られた曲だ。
竹内まりやも歌う。

アンちゃんのコスチュームも
容姿も、フィフティーズその
もの
だ。
Linda(リンダ) アン・ルイス

のちにアンちゃんの夫になっ
た桑名正博
の兄貴が同曲をカ
バーしている。

これはレアなテイクだ。
幸せそうな二人のサムネイル
も見られる。

二人の子がミュージシャンの
美勇士だ。

アン・ルイスによく似ている。
生まれたばかりの頃、よく
アンが美勇士を連れて
渋谷の
ピンク・ドラゴンのビルの
プールに遊びに来ていた。
桑名正博 - リンダ


こちらは、竹内まりや自身の
セルフカバー
だ。歌い方はも
ろにまりや節なのだが、
作詞
作曲が竹内まりやだけに、表
現力が
秀逸。
竹内まりやの歌い方は、どこ
か達観した
領域を歌い上げる。
恋の破局や恋の予感について
も、破滅的
な破局による絶望
を歌うのではなく、
甘く切な
いちょっとだけ悲しい感情と

いうまるでそよ風のような感
傷を歌わせ
たら竹内まりやが
天下一品だ。

竹内まりやの「SEPTEMBER」
にしても、
好きな人との恋の
破局は、甘酸っぱい
思い出と
してサラッと歌い上げる。

借りていた辞書を明日返すわ、
ですべて
自分の心を清算する。
清算しきれない
からこそ、電
車に飛び乗って彼氏を
追いか
けるのに。

竹内まりやは失恋ソングも希
望の歌も
なにかサラリと自分
を客観視する他人事
のように
歌い上げることで、より一層

せつなさを出している。彼女
は「歌手」
だ。表現者なので
ある。

Mariya Takeuchi - Linda

こちらは、ちらりと竹内まりや
アン・ルイスが一緒に「リン
ダ」を
歌っている。
竹内まりやがまだデビューした
ばかり
の頃だ。1980年か。
この頃の竹内まりやは衝撃的な
ほどに
キュートだった。
本田さんの貴重な「リンダ」
も聴くこと
ができる。この人も
物凄くキュートな
女性だった。
若くしての病死が悔やまれ
る。
この映像は1980年代であり、
フィフティーズからは30年余
の時が過ぎている。ただしフィ
フティーズは永遠だ。
それは、現代においても、全局
面で輝きを放っていた1980年代
が永遠の光を持つように。
Ann Lewisさん & 竹内まりや さん
『 リンダ 』本田美奈子さん


俺ね。
人は人を好きにならないとだめ
だと
思うんだ。
この気持ちは今でも変わらない。


親父の失敗

2020年10月06日 | open
 
 
母から聞いた話。
まだ私が生まれる前の頃、東京目黒に住
んでいた時の話だから1950年代の事だ。
父はキャンプが好きだった。
ある時、職場の仲間とキャンプに行くから
フライパンを貸してくれと母が買ったばか
りのフライパンを持ってキャンプに行っ
た。
あー、楽しかったよ!と父が帰宅して母
に戻したフライパンは真っ黒焦げで、ハン
ドルの木部も焼け落ちていたのだという。
ガスバーナーなどは無い直火のみの時代、
フィフティーズだ。
勿論、日本の一般家庭にはテレビも
電話も無い。洗濯機さえあれば文化的
水準
の高い時代だった。電気炊飯器、
冷蔵庫、
洗濯機が三種の神器と呼ばれ
ていた時代である。
日本がアメリカに似たアメリカの50年代の
暮らしができるようになったのは、1960
年代の半ば過ぎからだった。
東京の一部や横浜米軍エリアそばでは米国
式生活が知られつつあったが、水洗トイレ
や洋食での食事などは日活映画の中だけの
世界だったのだ。
そのため、庶民は文化住宅と呼ばれた、
キッチンと水洗トイレと自宅浴室とリビン
グがあった公団住宅に憧れ、その抽選応募
者数は爆発的で、まず抽選に当たる確率は
低かった。しかも、年収制限があり、今の
鉄筋公営団地とは異なり、ある程度以上の
収入と正社員としての会社勤めなどの
収入
の裏付けがないと応募できなかった。
そして、東京オリンピックの頃から、
学校
給食でも洋食が一般化して全国的
にパン食
主体となった。
キャンプ道具なども、布類は全て帆布が
使われていた時代だ。火はすべて直火の
薪の焚き木のみ。
 
フライパンを母に返した父は、そんなもん
だ、と言って意に介さぬ様子だったが、
家で使えなくなってどうすんのよとの
問い
詰めに自作木製ハンドルを作って
装着し
て事なきを得たらしい。
母も子ども時分にガールズカウトに入って
いた位なので目くじらは立てなかったが、
実際に取手が焼け落ちてどうするの?と
なったのだそうだ。
野外メシやるんだぜ!とジャンボファイ
アーやらかしたんだろうなあ、親父は。
仲間
たちと、うひゃひゃひゃ!とか
言いながら。
まだ父も20代だったし。