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北海道の友人が痛鍋風の鍋物やって知人
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世界でも話題の日本映画 ランキングTop10
1953年(昭和28年)の尾道
(小津安二郎監督『東京物語』から)
当時、尾道から東京まで行くには、
汽車で18時間以上かかった。
【英語カバー】 リンダ /
Mariya Takeuchi
"LINDA" All English Cover Version
曲のPVはフィフティーズだ。
この女の子に惚れた!(笑)
マーリー、ドストライク。
50年代って、アメリカでも
このラブストーリーのよう
に女の子はお嬢様なんだよ
なぁ。
そして男は女の子以上にウブ
だ。
ワルを装っていても、背伸び
していても、50'sの男はみん
な純だ。
それは『ウエストサイド物語』
(1961)でもそうだった。
このプロモの女の子に惚れた
といっても、撮影は現代だが、
実際の50年代だとすると、こ
の女の子は俺の母親と同世代
となってしまう(笑)。
まさにバックトゥザフューチャ
ーの世界になっちまう(笑)。
しかし、フィフティーズから
10数年後の70年代の私の高校
生の頃、彼女との青春グラフ
ティはまさにこの動画の世界
そのものだった。
アメリカ人のように四輪車で
はなく、二輪車だったが、ま
さにこの動画の世界。
もう少しグレてたかな(笑)。
俺らの青春時代はまさに『ア
メリカングラフティ』のフィフ
ティーズの世界、その数年後の
80年代の『あいつとララバイ』
の世界そのものが、俺たちの
ティーンエイジの時代だった。
それは映画やドラマや絵空事
ではなく、現実だった。
春色の花の並木の中を彼女を
乗せてこの動画の男の子は走
る。
1962年まで使われていたカリ
フォルニアの黄色いナンバー
を着けた車で。
映画『カラー・オブ・ハート』
(1998年)のひとコマだ。
単なるファンタジーではない、
深い映画作品だ。
フィフティーズはいい。
朝鮮戦争が一時的とはいえ休戦
となり(現在も朝鮮戦争は継続
中)、ベトナム戦争本格介入ま
でのアメリカ合衆国のつかの間
の平和。国際紛争には介入して
いたが、本格的な戦争は控えて
いた時代。
フィフティーズはそんな時代だ
った。
1980年代も実はそうだった。
アメリカは1975年から1990年
まで本格的な戦争はしていない。
アメリカに連動している日本も、
75年から90年までは絢爛たる
若者文化が花開いた時代だった。
それはまるで50’sのように。
日本では1980年代こそが、内
実としてアメリカの50’sの
良質部分を自分らの実体とし
て体現することができていた。
50’sが「過去の物」ではなく
現在進行形で、フィフティーズ
ではない感覚で発生していた。
それは決してレトロ嗜好や回
顧主義ではなかった。
そして、中身の実体は50年代
と80年代は有機的に連動して
いた。
なぜか。
戦争が無い時代だからこそ、
若者の文化が開いて、若者は
青春を謳歌できたのだ。そこ
にはイジメもネチネチとした
他人を揶揄誹謗中傷するよう
なせせこましい性根も若者た
ちは持ちえなかった。日本に
おいては。
私は至極健全でまっとうな世
の中の時代だったと思う。
人々は明るい笑顔を持ってい
た。
戦争は人の心をすさませるこ
とから計画的に準備される。
1950年代(~1960)アメリカ
の若者たちは青春を謳歌した。
フィフティーズに流行りはない。
元から50'sは50'sでしかないか
らだ。
1978年に公開された『グリース』
は時代設定は1978年から20年
ほど前の1959年を時代設定と
していた。
ヒロインのオリビア・ニュー
トン・ジョンは20代後半だっ
たが、女子高生役でヒロイン
を演じた。
『今日から俺は!!』にしても
30代や20代後半が高校生役を
やっていても違和感ないのだか
らよいだろう・・・
というか当時は批判もあった。
ヒーロー役のトラボルタが23才
でも若いくらいにティーンでは
ない役者が高校生を演じていた
からだ。
『グリース』ではオリビアが
とても可愛かった。映画公開の
翌79年にデビューしたアメリカ
帰国子女の竹内まりやが『グリ
ース』でのオリビアに雰囲気が
よく似ていた。
その竹内まりやはフィフティー
ズのナンバーのようなバラード
を作った。
その曲を1980年時点でまだお嬢
さん路線だったアン・ルイスに
提供した。
アン・ルイスは佐分利もとこさん。
先祖は尾張藩の武士だ。
ただ、アン自身はまるっきり見
た目もキャラクタもアメリカン
だった。
しかし、1970年代には50’sの
映画に出てくるお嬢様のような
路線だった。
弾けてロックになるのは1980年
代後半からだ。
それでも、アンちゃんはクリー
ムソーダの熱烈なファンでもあ
った。
そのアン・ルイスが竹内まりや
から提供された曲を歌う。
ヒットした。
リンダというのはアン・ルイス
の海外名の本名だ。これはアン
ちゃんのために作られた曲だ。
竹内まりやも歌う。
アンちゃんのコスチュームも
容姿も、フィフティーズその
ものだ。
Linda(リンダ) アン・ルイス
のちにアンちゃんの夫になっ
た桑名正博の兄貴が同曲をカ
バーしている。
これはレアなテイクだ。
幸せそうな二人のサムネイル
も見られる。
二人の子がミュージシャンの
美勇士だ。
アン・ルイスによく似ている。
生まれたばかりの頃、よく
アンが美勇士を連れて渋谷の
ピンク・ドラゴンのビルの
プールに遊びに来ていた。
桑名正博 - リンダ
こちらは、竹内まりや自身の
セルフカバーだ。歌い方はも
ろにまりや節なのだが、作詞
作曲が竹内まりやだけに、表
現力が秀逸。
竹内まりやの歌い方は、どこ
か達観した領域を歌い上げる。
恋の破局や恋の予感について
も、破滅的な破局による絶望
を歌うのではなく、甘く切な
いちょっとだけ悲しい感情と
いうまるでそよ風のような感
傷を歌わせたら竹内まりやが
天下一品だ。
竹内まりやの「SEPTEMBER」
にしても、好きな人との恋の
破局は、甘酸っぱい思い出と
してサラッと歌い上げる。
借りていた辞書を明日返すわ、
ですべて自分の心を清算する。
清算しきれないからこそ、電
車に飛び乗って彼氏を追いか
けるのに。
竹内まりやは失恋ソングも希
望の歌もなにかサラリと自分
を客観視する他人事のように
歌い上げることで、より一層
せつなさを出している。彼女
は「歌手」だ。表現者なので
ある。
Mariya Takeuchi - Linda
こちらは、ちらりと竹内まりや
とアン・ルイスが一緒に「リン
ダ」を歌っている。
竹内まりやがまだデビューした
ばかりの頃だ。1980年か。
この頃の竹内まりやは衝撃的な
ほどにキュートだった。
本田さんの貴重な「リンダ」
も聴くことができる。この人も
物凄くキュートな女性だった。
若くしての病死が悔やまれる。
この映像は1980年代であり、
フィフティーズからは30年余
の時が過ぎている。ただしフィ
フティーズは永遠だ。
それは、現代においても、全局
面で輝きを放っていた1980年代
が永遠の光を持つように。
Ann Lewisさん & 竹内まりや さん
『 リンダ 』本田美奈子さん
俺ね。
人は人を好きにならないとだめ
だと思うんだ。
この気持ちは今でも変わらない。