渓流詩人の徒然日記

知恵の浅い僕らは僕らの所有でないところの時の中を迷う(パンセ) 渓流詩人の徒然日記 ~since May, 2003~

家飲み立ち飲み珈琲

2020年10月18日 | open


家で立ち飲み珈琲を淹れます。

焚き木でもいいのだけど、今回は好きな
アルコールストーブ。
プレファイア。




本燃焼開始。


一気に沸きます。
アルコールの量を注射器で測ったりは
しません。すべて経験値の勘。
いわゆるテケトン。


すぐに沸くので火を消す。


ククサに珈琲を淹れる。


今回はこれ。UCC。可もなく不可もなく
という平均的な味。個人的にはキリマン
のような酸味が欲しい。


キッチンでそのまま立ち飲み。
電気ポットで押すだけポンではなく、
手間かけてもキッチンで立ち飲み。
この不条理感を楽しむ。


この鉄板テーブルは使えるぜ。
焚火台の下に敷くのにもいい。

飲み干した後、ククサの中は珈琲で色
が真っ黒。
これは綺麗にすすぐだけ。
洗剤は使っては良くないとかいうけど、
私は時々使って洗う。


ニャンタマ情報

2020年10月18日 | open



新しいおうちに行ったニャンタマ、名前
はコハクちゃんと決まったそうです。
うちでは豆タマちゃんだったので、一気
に格調高くなった(笑)。
今夜は一番下の子が抱いて寝るんだって。
寝られないぞー。
夜中に何度も「ねえ、ねえ」てなみたい
に引っ張ったりするから(笑)。
大きなお宅だそうで、家の中は遊び場が
沢山あるそうです。
子どもたちが早速段ボールで遊びエリア
を作ってあげたら、喜んでそこで遊んで
いるとのこと。
トイレもきちんとできるし、すぐに新し
い環境に馴染んでいい子みたいです。

幸せになるんだぞ。




プーッコ 北欧ナイフ

2020年10月18日 | open


私は、軽作業にはこのプーッコが一番
使いやすいと思う。
これでバトニングは不向きだが、ナイフ
本来の使い方においては北欧伝統ナイフ
のプーッコは最強だ。

またまたアブない話

2020年10月18日 | open






ワルい奴多いなあ。

雨上がりの晴れ間

2020年10月18日 | open



てなあ、いいもんだ。

お別れニャンコ

2020年10月18日 | open



生まれて、あすで丁度2ヵ月。
お別れの時が来ました。
里親さんの所に行きます。

ソワソワ。








ポン!と私の肩に乗ってきました。




一緒に暮らすことになる子とご対面。




綺麗な子。


渓流ガンモのアルアルシリーズで、この子
を保護して育ててくれていた方は、うちの
取引先の会社の方でした。
そして、この子とうちの子を巡っての奇縁
が3つほど。
何だか怖い、渓流ガンモさんのアルアル
シリーズがまた増えました。
私の知らないとこで何か繋がっている。
それに後から気づかされる、というパター
ン。単なる偶然にしては出来過ぎの。

瀬戸内海の島に貰われて行きます。
お子さんたちもいる円満なご家庭で、猫
好き一家のお宅。
仲介の方が連れて行く途中、うちの豆タマ
「ケージから出せー」とばかり鳴くの
で、出したら腕の中で眠ってしまったと
のことです。フェリーの中かな。
これから幸せに生きてくれることを心から
願っています。
じゃあね。


うちを去る直前に4ヵ月違いの姉妹と。


豆タマちびんこはちょっと寂しそう。


うちの子は目がカッパーですが、島に行く
子はヘーゼルです。
ヘーゼルとはこんな目の色。


全日本ロードレース第4戦

2020年10月18日 | open



ゼッケン75綿貫舞空選手(ヤマハ伊藤

レーシング)はマイク・ワゾウスキー
メットで決勝に臨む。

転倒者11台という波乱のレースで、
1周目でマイクも転倒。コース復帰
するも24位と結果は振るわなかった。
次回に期待する。


優勝は2018年全日本チャンピオン

のヤマハ岡本選手、2位は2019年
全日本チャンピオンの大ベテランの
ホンダ小山選手だった。小山選手の
マシンは2013年型。渋いことやって
のける。この選手は苦労人だ。
ティーンの頃から天才的に速いが、

WGPでは海外チームのチームオーダー
で型落ちマシンを与えられたり、いき
なり無理難題の契約変更(大金を
積まないと出場させない)等で苦労
した人だ。レース界の半沢直樹みたい
な理不尽な試練を経験してきた人だ。
しかし、魂の在りかは戦績結果で示し
ている。そんな選手だ。身長155センチ、
体重48キロという小柄ながら、リトル

ジャイアントと呼ばれたヤマハの故高井
選手のようにマシンコントロールが
人並みではない技術を持つ。非凡とは
彼の事。
37歳。まだ走る。
抽斗の多いコヤマックスと呼ばれている。


次は10月31日、最終戦鈴鹿だ。


旅立ち前のニャン玉 生後2ヵ月

2020年10月18日 | open
 


本夕に新家庭に旅立ち前の保護ニャンコ。






物凄い食欲。




好みはどれかなと思ったが、あれもこれ
も食べまくる。


食べたら寝る。
昨夜、デカサークルから出してくれと
あまりに鳴くので出したら私に引っ付い
て離れませんでした。




場所を移動して寝る。


暫くすると、また場所を移動して寝る。


ここが落ち着いたみたいだ。


ちょっかいを出そうとする4ヵ月歳上の
姉猫。


そーっと覗いて、


フーッとか言ってみせるが、


我関せずで寝る妹猫。
肝っ玉母さん系の性格なのかも。
犬も猫も、全て性格が一匹ずつ異なりま
す。確実に個性がある。
一つずつが「命」なんだなあ、と感じま
す。


こうしている時、ベンベンは定位置で
熟睡(笑)。
こいつの性格はとても穏やかで、私が
知る限りではあまりこういう猫は見た
ことない。
そして、人懐っこすぎで、来客がある
寄っていってスリスリします。
動きはもったりしている。すばしっこ
さはゼロ(笑)。

崩れゆく日本の民主主義

2020年10月18日 | open





菅首相は安倍元首相がやり残したことを
早急にやろうとしているのだろう。
それは、日本学術会議での恣意的な前代
未聞の人事実行に始まり、着々と手駒を
進めている。しかも性急に。

実際のところ、予防弾圧的な「防犯措置」
がにわかに全国各地で実行されて来てい
る。非常に不自然な形を伴って。
それは、政府の政策とは連動していない
かのようなニュースとしてしか取り上げ
られていない。

法の規範をも無視する実行性は、それは
御用学者や世論操作によって地道に作ら
れるのが常だが、ここにきて、旧来の民主
主義体制をも崩壊させることをしてまでも
押し進めるように一挙的に全面展開を開始
した。
戦後最悪の反動国家ができつつある。
今は「戦後」ではなく、「戦前」なのか
も知れない。

全日本ロードレース選手権 第4戦 もてぎ

2020年10月18日 | open




昨日2020年10月17日(土)の予選を走る
ヤマハ伊藤レーシング綿貫舞空選手17才。
ピンクドラゴンのリーゼントドラゴン
デザインのヘルメットだ。
意匠使用はクリームソーダ公式許可。
下描きの構想はマイク自身が練った。
クシの部分の再現が塗装屋さん泣かせだ
ったようだ。
ヘルメット提供はショウエイ。

昨日の予選は17位だったが、本日朝の
タイムは順位を4つ上げて13位となった。
コース慣れしていないのか今回やや苦戦
気味。
検討を祈る。
決勝は本日12:40から。
14ラップの約70kmで戦われる。
晴れてはいるが、朝まだ路面は濡れてい
た。決勝での天候と路面状態が不安だが、
このあと路面は完全にドライになること
も予想される。各チームのセッティング
の競い合いも楽しみなところだ。


古い映画からのエッセンス

2020年10月18日 | open



映画『東京エマニュエル夫人・個人教授』
(1975年日活)という古い映画に出て
くる1975年当時の筑波サーキットだ。
私がよく知り始める77年時点でも筑波は
こんな感じだった。


マシンはヤマハTZだ。350か250。


ピットもこんな感じだった。


1975年時点で完全にイン側の脚を開く
ハングオフ走行をしている。
スタントは現役レーシングライダー
だろう。
このスタント者のフォーム・・・。
平さんか?とも思ったがどうだろう。
1956年11月生まれの平忠彦さんの
デビューは19才の時である。
この映画公開は1975年11月だ。
当然撮影はそれ以前となる。
となると、この走行シーンの時点では
平忠彦さんは18才ということになり、
該当しないことになる。
しかし、フォームがよく似ている。


世界選手権では1975年時点ではイン側
の膝を開くハングオフ走法はごく一般的
だったが、やはり世界戦でも膝を路面
にこすって走っていたのはヤーノ以降
はケニー・ロバーツに代表される程度
だった。
75年時点で国内ライダーでハングオフ
をする人は極めて少ない。
ただし、ハングオフをしても、膝は
ヤーノ・サーリネンのようには路面に
擦らなかった。日本人も膝をこすり
出すのは70年代末期からだ。
膝こすり専用のニースライダーが登場
したのは世界戦においても1983年から
だ。それまでは粘着テープを重ね貼り
していた。さらにツナギに直にスライダー
が取り付けられるようになったのは
1984年の世界戦からだ。83年シーズンは
フレディ・スペンサーでさえもサポーター
のようなタイプのスライダーにしたり、
ケニーと同じ強力粘着テープを重ね貼り
したりしていた。フレディはケニーより
も強く膝を擦るので、デビュー当時
その膝出し走法は「第三の車輪」などと
呼ばれていた。

1975年の世界グランプリシーン。
1973年のWGP中に死亡したヤーノ・サー
リネンとケニー・ロバーツ以外は世界戦
でも膝を擦るライダーはほぼいない。
ゆえにスライダーは膝には着いていない。


(1975年ヤマハ広報から)

ただ、本作映画では、夜間走行のシーン
ではタンクの上に懐中電灯を載せて
ライト風にしている。
耐久レーサーではないTZを使用してる
ので、いろいろと無理がある。
転倒死亡事故のシーンでも、TZは使わ
ず、別な旧式市販公道バイクを燃やし
いた。


この映画はサーキット走行シーン以外
はまったく興味がない作品なのだが、
1975年当時の筑波が映っていること
と、当時のマシンが見られるのがいい。
ただし、コースを走ってピットイン
するまでは2ストの音だが、停止して
アップのシーンの時
には4ストマルチ
エンジンの音声に
なっている。映像
作品などでは2スト
マシンなのに効果
音が4ストという例
はよくある話だ。

この作品を観ていて気付いた。
1981年の劇画『ケンタウロスの伝説』
は、この映画から多くの要素を拝借
している。
まず、『ケンタウロスの伝説』で何度
か出てくる「鶴見サーキット」は筑波
がモデルであることが挙げられるが、
劇画連載の1981年当時の筑波は、1970
年代の草レース場のようなサーキット
のままだった。もてぎなどは、まるで
今のミニサーキットよりも殺風景だ。
もてぎはツインリンクもてぎとなって
から国際コースとして整備された。
次に、本作品で描かれている事故で
死んでしまうレーシングライダーの
恋人がヒロインであるという設定は
まるごと『ケンタウロスの伝説』に
使われている。
さらに、そのレーシングライダーの
弟とそのヒロインが肉体関係を持って
まうという設定もそのままだ。
『ケンタウロスの伝説』の原作者の
オサムさんは、この『東京エマニュエル
夫人・個人教授』を多くの部分で下敷
きにしていることが看取できた。

これ、『ケンタウロスの伝説』連載
からきょうまで39年経って、初めて
私は気づいた。


寿司屋の湯呑み

2020年10月18日 | open


何の変哲もない寿司屋の湯呑みだ。
超大昔、行きつけの寿司屋の大将から
貰った。結構旨い寿司を食わせる江戸前
握りだった。
ただ、行きつけを通り越して友人みたい
になっちまうとね。喧嘩もしたりする(笑)。
客がいない時、馬鹿野郎!表出ろ!とか
さ。
江戸前職方、そういうの多い。
でも、「二度と来るんじゃねえ。おぅ、
かかあ、塩持って来い!」とかいうのと
は全然違う。
30分後には暖簾しまった店で二人で飲ん
でたりする。朝7時頃までとか(笑)。
そういう気の置けない大将がいた店は
何軒かあった。大将だけでなく、女将が
やってる小料理屋とかも。
大将たちも女将たちも、話をしたかった
んだろうなあ。
他に客がいる時はサッと飲んでサッと出る
ことが多かったが、大抵は、「いておくれ
よ」と看板までいてもらいたがる。
「そっちの端っこで悪いけど、ゆっくり
してっておくれな」と引き止められる。
客なんだけどお客さんではない。
ありゃ、きっと店じまいの後に一緒に
飲みたかったんだろな。
いろんな話も聞いたげた。
いつもは言いっぺのおいらだが、そん
ときゃ完全に聞き手に回る。
存外、そういうのもいいもんだよ。
別れ際には、「ありがとな。また来て
くれな」と必ず言われる。
翌々日あたり行ったりするんだけどさ。
そういう店は、西日本に転住してからは
無い。
粋な人たちだったよ。

一泊預かりにゃんタマ

2020年10月18日 | open
 
 
8月20日生まれの保護猫4匹は、順次
里親さんに貰われて行ってます。
本日はこの子が私を介して里親さん渡し
になるので、昨夜からうちにお泊り
です。
ノミダニ取りのシャンプーをしてあげた。
洗っている時も大人しくしてました。
毛がふわふわになった(笑)。
その後は、元気一杯です。
本日夕方、お別れです。
2ヶ月間、何も無くてよかった。


この子、昨年から保護した11匹の中で
一番可愛いかも。
いえ、この子のひと世代上のお姉さんに
なるうちの新入り♀猫も可愛いのです
けどね(笑)。
この子の弟の黒ッピーは一番人気で、すぐ
に里親さんが決まりました。
でも、どの子もみんな可愛い。
みんな猫好きで猫に詳しい里親さんの所
に行っているので、安心しています。
きっと幸せになっているでしょう。
この子も、きょうから新しい生活が始ま
ります。