渓流詩人の徒然日記

知恵の浅い僕らは僕らの所有でないところの時の中を迷う(パンセ) 渓流詩人の徒然日記 ~since May, 2003~

辛いラーメン

2020年10月02日 | open


三原「一六」の品名「辛いラーメン」は
かなりウマい。



ホンダ F1活動終了

2020年10月02日 | open





レーシングスポーツに全力投球こそが、
ホンダの命だった。
これまで何度か一旦中止することはあっ
たが、今回は「終了」としている。
モーターサイクルレース部門はどうなる
のだろうか。ロードレースやモトクロス
など。
ホンダの今後の動きから目が離せない。
レギュレーションや競技規定策定のロビー
まで含めて、ホンダの力は絶大だからだ。
ホンダの動きが世界の動きを方向付ける
という構造がモータースポーツの世界で
は出来上がっている。
今後、モータースポーツ界がどう変わる
のか注目したい。

野菜高し

2020年10月02日 | open


スーパーの売り出しで野菜が安かったの
で買って来た。
現在の時価の1/3だ。
キャベツは1玉400円近い。
キュウリなどは1本88円もする。
トマトは1個が140円だ。

こういう食材の時価の推移というのは、
会社経営者や政治家などは知っておくべき
ではなかろうか。
以前、テレビ討論会で、共産党の女性議員
がJR会社線の初乗り運賃を知らなくて私
は驚いたことがある。
経済動向を具に把握していないで、何が
庶民の味方か、このニセモノめ、とは思っ
たが、元々エセなので仕方ない。贋物が
正真になることはこの世ではあり得ない。
なったらなったで、そら詐欺だ。

野菜については、ここ数日、やや市場価格
は落ち着いて来た。
思い出した。
大学の時、キャベツが高騰したことが
あって、街の定食屋から「野菜炒め定食」
メニューが提供停止したことがある。
あれは1980年だったか。
キャベツ1玉が確か当時の金額で500円位
になった。
四年制大卒初任給が115,000円の頃だ。
2020年は大卒初任給が209,000円だ。
単純比率換算で、現在価格に変換すると、
キャベツ1玉が1,200円ということになる。
キャベツ1,200円もしたらですね、野菜
炒めなど商品として作れません。
当時、野菜炒め定食は400円程だったし。

物価の推移というのは、経営者や政治家
は鈍感だとダメだと思いますよ。
株価の推移ばかり気にしてて、生活に深く
関わる消費者としての物価を知らないと
計画も計略も戦略も立てられない。
アホな机上空論の精神論みたいなしょも
ない事では実効力ある生活の実行はでき
いと私は確信しています。
うちは、家計は妻に一任していますが、
生活必需の食材や物資の買い物等は私も
やります。共同生活、人生の共同戦線の
同志なので。
できるほうができることをできる時に
やる。
喧嘩も起きない理由はそれかなあ。
人生の同志意識が互いにある。
同じ船に乗るクルーなのだ、と。

芋煮会の季節

2020年10月02日 | open
 
(山形風芋煮)

東北では毎年秋に河原で芋煮会が開かれ
る。近所の慰労会だ。
歴史は江戸期にルーツが見られ、サトイモ
を野菜などと共に煮てみんなで歓談しなが
ら食べる。
なぜか青森県だけにはその風習がない。

(宮城風芋煮)


この芋煮会というのは関東でも東北に倣っ
て行なわれることがある。
80年代、私は一度某所の芋煮会に呼ばれて
行った。めちゃくちゃ美味しかった。
 
九州熊本のダゴ汁(団子汁)、東京の根深
汁、讃岐のどじょう汁等、季節の風物詩
のような郷土料理は心を和ませる。
讃岐のどじょう汁は讃岐うどんのどじょう
入りなのだが、これは各家庭で味が異なる
もので、かなり奥が深い。
 
東京の根深汁は私は味噌汁の中で私は
一番好きだ。御御御付けというより味噌
汁。ただの味噌汁。だが、味噌汁といった
ら私は根深汁を思い浮かべる。シンプル
にして東京ならではの味噌汁だ。これは
冬の味噌汁だ。大仁田などの白ネギを
使う。まことに
ウマい。
 
東京の美味しい郷土料理としては、エンコ
(浅草)あたりで食べられる深川めしがあ
る。あさりご飯なのだが、これまた実に
江戸風味でうまい。
広島県三原では「たこめし」という地物の
タコの炊き込みご飯がある。
これ、格別にウマい。奈良の柿の葉寿司
に並ぶ程にウマい。
食材としては、ガンスというフライや地
鷄、名産のタコやタイ、ワサビ漬けや牡蠣
などが広島県にはあるが、料理としては
なんといっても「たこめし」がおすすめ
だ。まじうまし。県内の和食店で食べる
ことができる。
深川めしとたこめし、どちらか食べたい
ほうを選べと言われたら、私は両方とも
二人前頂きたい。
 
こういう、その地元でしか食べられない
料理というのは、いいなあと思う。
それも、メーカーやお店が商品化してい
ないものにいいのがある。人々が作る物。
例えば広島県三原はタコとタイが特産だ
が、タコの天ぷらはお店の物よりも、家庭
で作るタコ天のほうが美味しかったりす
る。タコのぬめりを塩で取るところから
仕込む。
 
これまでの人生で一番感銘を受けた郷土
料理は讃岐のどじょう汁だ。
取引先の社長が手ずから私に作ってくれ
た。初めて知った。
あまりの美味しさに驚いて、後日、どじょ
う汁が食べられる店で食したが味が違う。
他の場所でも食べたが味が違う。
あの社長のどじょう汁が一番だった。
その社長は残念ながら、数年前に若くし
て病気で亡くなられた。
 
広島でも河原で芋煮会とかあればいいの
になあ。
岡山では、かつて遊び仲間が「誰か東北
の芋煮会をリサーチしてノウハウを身に
付けて岡山でもやってくれ!」と言って
いた。
関東では、場所により芋煮会に参加でき
るのだが、西日本ではそうした風習が存在
しない。
芋煮会って、日本のトラディショナルな
バーベキューのように思える。
日本のバーベキューというのは誤訳だけど
ね。
本当はバーベキューというのは、最大な
大集団肉料理会の事をいう。牛の蒸し焼き
とか薫製とかでの。
日本で日本人が呼んでいるバーベキューは
欧米では「グリル」という。
バーベキューは、牛1頭丸焼き蒸し焼き大
宴会のようなものを指す。
 
西日本でも芋煮会やりたいなあ。河原で。
讃岐のどじょう汁も、芋煮会に似ていて、
元々は農作業の慰労会でみんなで集まって
各家のどじょう汁で振る舞ったりしたのが
ルーツと聞く。
そういう共同炊飯がいいのよ。
俺は、ソロキャンよりもそっち派だなあ。
キャンプもキャンツーも単独行よりも、
気心知れた気の置けない奴らと一緒に楽
しんだほうがおいらはいいや。
特にバイクの遠乗りなんてのは、カウボー
イのキャトルドライブみたいなイメージ
が私にはあるので、単独行よりも仲間と
共走りのほうが面白く感じている。
一人でふらりと風任せもいいけどね。
飯なんてのは、特に人と共に食するのが
やっぱ楽しいよ。
一人でいると、笑みはあっても笑顔には
ならないでしょう?腹の底から爆笑した
り。幸せな明るい笑顔というのは一人で
はあまり生まれない。
笑顔のある生活のほうがいいだよ、おら
は。明るい笑いで大笑いできるような。
仲間と馬鹿言い合いながらさあ。
 

城下町三原の不思議

2020年10月02日 | open

(三原市内西国海道=旧山陽道)

三原城下を行くと不思議なことに気づく。
それは病院が異様に多い事だ。数軒ごと
に個人病院がある。それと薬局。
医者と薬剤師だらけなのだ。
これは何故だろう。
多分、幕藩体制時代以後、明治以降の事
だろうが、やたらめったらベラボーに医院
が多い。

これが江戸期には海だった現在の住宅街
である現三原市宮浦、皆実に行くと一変
する。
このエリアは、城下の医院のように数軒
ごとにこちらは理髪店と理容店が並んで
いるのだ。
あちこち床屋さんだらけ。
これまた不思議。城下にも理髪店は多い
が、郊外は滅法散髪屋が多い。
ここらのエリアは戦後の昭和50年=1975
年以降に一大農地が住宅地に開発された。
私が子ども時分の1960年代に三原に遊び
に来た頃は、見渡す限り田んぼと畑しか
なかった。
それが、1970年代初期に新幹線が通り、
さらに国鉄山陽本線が高架線となり直線
路に敷設再開発、JR時代に呉線が高架化
によって宮浦、皆実地区から田んぼは消滅
した。
1980年代に入ってからはパッ!と一気に
広い住宅街が湧くように登場したのが市内
西部の城下より外の西の地区だ。
その頃はまだ現在の三原市内本郷地区は
広島県豊田郡本郷町であり、市ではなか
った。本郷が三原市に編入されたのは、
平成大合併の時だ。元々は本郷こそが古墳
時代から人が集住した地区なのだが、三原
の海を戦国時代末期に埋め立てて天正8年
(1580)に三原城が完成して以降は、城付近
が町となった。
しかし、市街地というのは、本当に江戸期
の城内と城下エリアだけで、その外は広く
農村部だったのだ。今の住宅街はつい30
数年前まて広大な田園地帯だった。
私が大学の頃に三原に立ち寄った時もその
ような風景だったし、まだ田んぼもわずか
ながら宮浦には残っていた記憶がある。
やはり、東京再開発と同じく、80年代の
末期のバブルの頃に一気に土地開発が進
んだ。戦後から変わらない風景だった東京
の街が一気に変貌したのはバブル期だ。
東京はまるで未来都市のような街の風景
になってしまった。
大学のキャンパスでさえそうで、明治初期
に創立された古い大学群も、東大安田講堂
や早稲田大隈講堂のように残された施設は
希で、ほとんど大学は宇宙局のような建物
になってしまった。駿河台の明治、中央が
まるで別物になってしまったことに、多く
の関係者は驚きを隠せなかった事だろう。
早稲田にしても、その後、西早稲田再開発
に着手して、大学なのか不動産デベロッ
パーなのか分からないような最高学府に
なってしまった。嗚呼、嘆かわしや。

閑話休題。
一方、これまた江戸期には海だった三原市
円一あたりは古い街であるので、小規模
商店が軒を並べる。港町と城町もそうだ。
館町、本町の一部、城町は旧武家地であ
り、東町は旧あきんど町、西町は職人町
だった。
現在の町名は全て新しいもので、江戸期や
昭和戦後までの昔は別町名がついてい
た。御作事町や堀川町、かじ新町などが
それにあたる。
城内は町家ではないので町名はない。
本丸御殿、三の丸、西之築出(にしのつき
だし)等だ。
西之築出は明治に御作事町となり、後に
港町となった。
三原の旧お城はJR駅と駅周辺であり、今
は駅前市街地になっている。
ちなみに現在の三原市役所の場所は明治
までは海である。

三原市中心部は、町ごとに特徴があって、
道を行くとなかなか面白い。
ただ、城下町であるので、基本的に道路
は狭くクランク箇所もいくつかあり、
の住宅は京都のようにウナギの寝床だ。
庭は無い。
そして、城そばのほぼ全戸がビルトイン
ガレージ(笑)。
まあ、しかたないだろうなあ。
建物は隣りとの隙間さえもない。隣り
家がひっついてる。
これ、全国的に城下町の特徴かと。
昔の都市って、そうよね。
それはそれで、私個人は、古い都市、古い
街の様子なので好きだ。
ウナギの寝床でも、敷地が奥深い家では、
奥に坪庭のような設えがある御宅も多い
ようだ。

あと、三原の特徴。
これは友人の業者から教えられて気づいた
のだが、三原は異様な程に中古車屋さんが
多い。街の規模からするとやたら多い。
これまた、街道沿いは数軒ごとに車屋だ。
これも不思議な現象だ。

俯瞰するに、明治以降は多分テイジン(帝国
人絹)と三菱重工の町だったので、こうした
医師の多さと理髪理容店の多さと自動車屋
の数になったのかと思う。
推測ですが。
しかし、企業誘致による町運営は、その
企業が撤退したら町は廃墟街のようになっ
て行く。これは東京都市部の過疎化シャッ
ター街の登場とは別な要因で。
町作りというのは、国家百年の計と同じ
位に、目先のことだけでなく、どっしり
とした地場隆盛の計画を練らないと、支柱
が消滅するとたちどころにゴーストタウン
のようになる。炭鉱町やニシン町が典型
だ。
町作りは難しい。

それと、三原城下にはやたらと寺がある。
「西の京都」と自称しているのは、地方
によくある手前味噌の自画自賛でちと恥
ずかしさを覚えるが、やたら寺が多いの
は確かだ。
ただ、歴史を紐解くと、広島市とは違い、
安芸門徒は意外と少なく、浄土真宗の寺
以外の寺院が目立つ。
これは、城下の古老の話を聞き取りする
と、その背景が薄らと見えて来る。
関ヶ原以降、つまり築城した小早川氏の
あとから福島正則が安芸備後二国の領主
として入封(にゅうほう)した。
三原城と広島城を完成させたのは福島正則
だ。
しかし、彼は浄土真宗を弾圧したらしく、
その後の浅野氏が紀州から入封して以降の
記録では、福島正則は地元民たちに頗る
人気が薄い。
安芸門徒を認容した浅野氏は「我らが領
主」というような民の感想が残されてい
る。
これは、浅野氏側の記録であるので、我田
引水を差し引く必要はあるが、それを裏付
けるような風習がつい先頃まで三原城下に
は残っていた。
それは、「鬼の豆頂戴」という子どもたち
の節分での街廻りの奇祭だ。
今は「鬼の豆頂戴」と言って各戸を廻るが
昭和戦後までは次のような歌を歌いながら
城下の子どもたちは家々を訪問した。
「おーにのまーめ、くーだーしゃー。
くーれんうちゃ、しんしゅう」
(鬼の豆をくださいな。くれない家は浄土
真宗と見なすぞ)
多分、三原城下周辺にのみ残る奇祭「鬼
の豆頂戴」は権謀術数の戦国武将福島正則
が仕立てた人民の踏み絵的な統制のための
仕掛けだったのではなかろうか。
多分、それが日本が「現代」に様変わりす
る昭和末期以前までは三原の城下市街地
では残っていたのだろう。
浄土真宗は一向一揆とも関連が深く、民衆
の団結力は強い。権力者は恐れる。
フランスではカルト規程されていて、浄土
真宗はオウム、創価学会と同列に置かれて
布教も存在も禁止されている。

価格設定の件

2020年10月02日 | open
 
 
ここに二つのスリップジョイントのナイフ
がある。
どちらも、フルタイム・カスタム・ナイフ
メーカーの作品だ。
 
上のナイフはかなり高い。
下のナイフは「うそ?!」と驚く程に安
い。しかも、下のナイフは有名ナイフ作家
の作品で、革製ケースまで付いている。
 
さて、どうしてこういう現象が起きるので
しょうか。
勿論、下のナイフにしても、プロの販売品
であるので損益分岐点は割っていない筈で
す。販売店に卸し売りしている。
その販売店は掛け値を掛けて販売して利益
を得る。
その末端価格が驚くほど安いということ
は、一体、このナイフはいくらで店に卸し
ているのか、という事。
中華製ではありません。れっきとした国
産、日本のカスタムナイフです。
 
なお、最終販売金額を決定するのは公取
ではありません。販売店です。
上述の高額現象が起きる原因は三つ推測
できます。
ケース1:卸値が高い→販価高額に
ケース2:販売店高利狙い→同上
ケース2:製造卸販売店とも高額設定→同上
 
このことは、逆に低価格の廉価で最終の
販売価格を抑えられるカラクリも示し
います。
ナイフではなく日本刀でいえば、大層な
大仰な付加価値を付けて武用実用刀剣に
200万円も300万円もの販売金額をつける
ほうがどうかしている。
これと似たことはピンクドラゴンの故
山崎
眞行氏も言ってました。
「ブランド品としてバッグ1個に100万
とか
ね。よくそんなことするなあ、
と。恥ずか
しくないのかな、と」と。
日本刀の武用実用刀で200万、300万の
金額を付けて俺様流儀を自慢しても、
刀工
に支払われる金額は20万程度です。
工作費が40万としても、原価60万。
あとの
240万円はまるまる販売店の
利益。
どんなに儲けようと自由です。
でも、よくそんなことするなあ、と。
うちが小林康宏を廉価で提供できるのは、
私個人の利益ゼロでシステムを作ったから
です。販売店も利益を極度に圧縮してい
る。刀職の職方には実費を全額支払う。
廉価で多くの人に製品を手にしてもらう
ためには、販売店とプロデューサーの利益
を無くすしかないんです。
私は無償でも構わない。しかし、販売店は
それ一本での生活なので、利益は出しま
す。しかし、暴利は取らない。
それだから、半百の一括注文を実現できた
のだと思います。注文主様の熱意にも支え
られて。
妙な上から目線だったり不適格な方の依頼
はすべてお断りしました。
その数も三桁までは行きませんが、かなり
になりました。
変なことになるのも不本意ですので、どこ
の誰にでも売るのではなく、ご注文主様は
厳選させて頂きました。これは商法民法の
規程に基づく商取引として双方合意により
契約が成立するということを実行した遵法
行為であり、それについて文句やいちゃも
んをつける人も多かったのですが、それは
法云々よりご縁が無かったということで。
小林康宏作日本刀は売り先は選びます。

日立金属ATS-34と銀紙の謎

2020年10月02日 | open

鋼材上から440C、ATS-34、銀紙1号

かなりナイフに詳しい友人とのナイフ対談
において、二人とも日立金属の人間ではな
いので解けない問題がある。
それは、なぜ極めて優秀な刃物鋼材である
日立金属ATS-34と銀紙が製造取りやめに
なったのか、という案件だ。
特にATSに関しては、35年の永きに亘り
刃物業界に暁光をもたらした日本が世界に
誇る世界一の鋼材だった。
銀紙は包丁などに適している粘りあるステ
ンレスで、こちらも優秀な刃物鋼だった。

何が起きているのだろう。
何か驚くような内部的な事情があるぞ、
と我々は予想していた。
先月末、日立は日立金属を売却することを
発表した。
つまり、日本の鋼業を支えた日立金属は
無くなる。
旧靖国たたらを日刀保と共に再建して保存
運営に尽力したのは日立金属だ。
日立金属は民間企業だが、国の宝だ。
しかし、採算性が悪い企業はグループの
トップは切り捨てる。自社子会社を売り
飛ばすのだ。
実にアメリカ的。
企業は利益は愛しても、人や国や文化や
歴史などは愛さないし、ある局面におい
ては国家と国民と歴史と文化の破壊者に
回る。
要するに自由主義の資本主義は利益第一
であるので、人を踏みにじり国を滅ぼす
自由をも持ち得てしまうのだ。ゼニカネ
により。
故に私は昔から、ブルジョワジーこそが
売国奴だと言っているのだが、歴史的な
功績のある企業を売却とはただごとでは
ない。
しかし、日本国は自由主義的金融資本主
義の国だ。会社売り飛ばしなどは自由だ。
そこで働く勤労労働者の生活や生存権の
保障などは関係ない。
つくづく資本主義というのは、ゼニカネ
利益儲けのみを大切にする亡者量産体制
であり、非人道的であると思うよ。
自由って、好き勝手やるその自由だけで
はなく、博愛と結合しないととんでもない
暴虐を生むことになるのに。

ATSと銀紙の生産中止に踏み切った理由
が薄らと判ったような気がする。
これは上からの命令だ。
業務を縮小するように、と。
看板商品への稼働力を停止させよ、と。
数年かけた会社の売却準備だったのだろ
う。
そして今、日立グループのトップは日立
金属を売り飛ばす。
オーナーである筆頭株主が決めた事だろ
う。
目的はカネ。それしか無い。
また、これは、日立自体が不採算部門の
子会社を維持する体力が消滅している事
も表している。
例え不採算であろうと、歴史的功績や従
業員の生活を維持していくという大企業
としての余力的体力が不存在になったと
いうことだ。
これが日立金属がドル箱子会社ならば、
絶対に売却などはしない。
電車やバスや特装車を作っていた東急グ
ループの東急車両は日立金属と同じよう
に売却された。そして、新明和工業が購入
した。
内部事情的にはネットには書けないような
悲惨な事がその後の企業内で起きている。

企業は人は愛さない。
企業は利益のみを愛す。