渓流詩人の徒然日記

知恵の浅い僕らは僕らの所有でないところの時の中を迷う(パンセ) 渓流詩人の徒然日記 ~since May, 2003~

中秋の名月

2020年10月01日 | open



月はしっかとありにけり。
良い。

 満月に
 うつろうこころ
 さざなみの



三原港

2020年10月01日 | open


フェリー会社に問い合わせしてみた。
10月を目処に縮小、三原港からのフェリー
廃止との報道の件。
10月一杯は運行確実です、とのことだっ
た。
ヌカ喜びだけど、素直に喜びたい。
今月はフェリーに乗って、島に行こうと
決めた。
瀬戸内海からフェリー航路がどんどんと
消えて行くのが寂しい。




新幹線の駅から歩いて5分で三原港はある。
立地最高。
車を利用しないのならば、高速艇もある
ので軽快です。
ぜひ、お近くにいらした時には、フェリー
に乗っての島巡りなどいかがですか?




忘却

2020年10月01日 | open


この自作の草なぎ用具、どうしたん
だろう。
なんか完成させて誰かにあげたよう
な気もするけど、忘れた。
記憶力は人一倍あるとは思うのだが、
忘却力は人二倍あると自覚。

スクリムショウ

2020年10月01日 | open


ガーバー・シルバーナイト。

このスクリムショウという彫り物は、
なんだかすげーね。
元々は船員さんが長い航海の途中の手慰
みで鯨の骨などに針で彫ったのが始まり
という。

このナイフのスクリムショウは、ボーチ
ャーさんがアイボリーマイカルタのハン
ドルに彫った作品だ。
実に繊細。
繊細で細かいというだけでなく、絵が生
きてるんだよなあ。
日本の水墨画も味があるけど、このスク
リムショウというのは確立した独立ジャン
ルとしてもとても面白い。
でも、基本的に絵が描けない人は出来ない
でしょうね。
これは、日本刀の刀職にもいえる事だけ
ど、絵心無い人は刀も金具も作れません。
日本刀の刀装具なんて面白いよお。
江戸期の作品を見ていると、実に絵柄が
ユニークだし。彫り物の技法もさること
ながら、その絵だよなあ。
日本の職人さんの特徴的な事は、虎にし
ても猛禽類にしても、動物たちが何だか
ひょうきんに描かれているんですよ。
カクカクとげとげしていない。みんな線
も丸けりゃ図柄のキャラもまろみを帯び
ている。
あの日本芸術の特徴は、面白いもので
す。

素晴らしいナイフのスクリムショウには
欠点がある。
それは、芸術性が高すぎて「使えない」
ナイフになることだ。
これ、作家の手彫りの作品ですから。






雪見障子

2020年10月01日 | open


雪見障子を建具屋さんにお願いして久し
ぶりに張り替えた。
雪の降らない蜜柑の土地なのに何故雪見
障子?とは思うのだが、まあ、スライド
障子は採光の面でも便利ではある。
庭に枯山水がある訳ではないので、風情
には寄与しないんですけどね。

枯山水といえば、日本の庭は鹿威しとい
うのは、あれは奥が深いですね。
いわゆる添水(そうず)。
蹲(つくばい)も風情があるが、あの鹿威し
の音は、物によって全て音色が違ってい
てなかなか面白い。
コーンと高く響く物から、カコンと風流
な音を奏でる物もあるし、ガゴという鈍
い音の鹿威しもある。
それぞれ、持ち味があって、良いものだ。

虫の声を風情と感じるのは日本人独特の
感性らしく、欧米人にはノイジーとしか
感じないようだ。蜂の羽音みたいに思え
るのかな。
でも、どうなのかなあ。
野鳥の鳴き声とか欧米人は好きなんだよ
ね。
欧米人は虫を愛でる習慣がないから、虫の
声はノイズと感じるのかも。
友人のアメリカ人の奴なんて言ってたもん
なあ。トンボを日本人は好きよ、と言った
ら「とんでもない。あんな怖いもんない」
と。
そういえば、トンボの英語名はフライング
ドラゴンだった。
虫を捕食する虫だし、プレデターみたいな
印象持ってるのだろうなあ。
トンボは、日本では「勝ち虫」といって
武士がとりわけ好んだ。
障害をよけながらも前に進み続ける虫だか
らだそうだ。

そろそろ秋アカネが飛ぶ季節になって来
た。
赤トンボは、それこそ本当に日本人には
親しまれて来た。
それは今でも。

ドキウコ

2020年10月01日 | open


うちのクラブ「撞球会」において、以前、
スペイン語圏のメンバーが撞球会の事を
字で書いた時「ドキウコ」と書いた。
日本人たちのメンバーが「?」となって
いたら、「え?ちがうの?」と言う。
別なスペイン語圏の奴から「違うって!
ドキウコちゃうって(笑)」と日本語で
言われていた。
本人は「えー?!」なんて言ってた。

その時、そうかぁ、あいつの語感では撞
球会という言葉はカタカナにするとドキ
ウコに聴こえてたのかあ、という話にな
た。
それから、撞球会の中ではドキウコとい
言い回しが流行った。
連絡取り合い、「今夜、ドキウコ行く?」
てな感じで。
本人も「もうわかったから。やめろ
(笑)」と言いながらニヤニヤして身内
ネタ提供でまんざらでもなかった様子だ
た。

まあ、日本人の言う「ロバート」みたい
なもんすね。
ロバートなんて言ったら英米人には通じ
ない。
「ロボッ」に近い発音が原音のRobertに
近いのは知られていない。略すと訛って
愛称がボブになることは知っていても。
多くの日本人はRobertの本当の読み方、
言い方を知らない。Carlosがカルロスで
はなくカーロスのほうが原音に近い事も
知られていないように。
ドキウコもそれに似たようなものだろう。

一郎にしても、本当はイチロウであるの
だが、イチローとしたところにイチロー
の二重の意味での新機軸があった。あれ
は先駆的だった。
その後の真似したサブローとか何とかー
とかの名前をプレーネームにしたのは、
二匹目ドジョウでちびっとカッチョコ悪
い。
選手としての戦績だけでなく、名前として
もイチロー程のインパクトは無く、根付か
ないし人々の記憶にも残らなかった。

イチロー系の名前で衝撃的なのはさかな
クンだ。
日本の歴史上初めて脱帽せずに国会で発言
することが許された人。
魚好きが高じて、今や国立海洋大(旧東京
水産大)のセンセだ。
そして、さかなクンは上皇陛下から「さか
なクンさん」と呼ばれた。
この呼ばれ方は物議を醸し出したが、
「クン」までが固有名詞であるとして決着
をみたようだ。
海洋大では「さかなクン先生」と学生たち
は呼んでいるのだろうか。

完成度の高さ

2020年10月01日 | open


細かい部分までどう見ても実物なのだが、
これは実物ではない。模型。
なんだか凄い。

この完成度の高さ。





日本のビルダーって凄えなあ。
オタクのタランティーノ監督が来日する
たびに日本のフィギュアを買い漁る筈だ。
「仮面ライダー」は1971年4月から73年
2月まで放送された。
私が小5、小6の時だ。
衝撃的だった。クラスに男子25人いたら
25人がファンだった。いや、まじで。
来年で半世紀、50年経ってしまう(笑)。
このリアルな造形美とサイクロン号の時代
着け技法に驚く。

1960年は1950年代のラスト年なので、私
はフィフティーズ生まれということにな
る。0年は年代のラスト年だ。
1970年代は1980年までで、80年代は81
年から始まる。
私の学年は、日本の学制では50'sと60's
生まれに分かれる。日本では「早生まれ」
という3月までの生まれは前年の学年に
編入される。

しかし、3月生まれと4月生まれはひと月
しか違わない。
幼稚園や小学校低学年では、1年違うと
脳の発達はかなり違うし身体の成長も違
うので、早生まれの人たちはいろいろと
年齢的ハンデを負ったのではないかなあ。
ちなみに、昔は4月1日生まれは前年学年
に編入されたが、今はどうなのだろう。
それこそ、1日違いで前学年か今学年かと
いうのはなんなのかしらね。しかたない
ことだけど。
4月生まれの子と3月生まれの子だと、3月
生まれが学年上で先輩になっちゃう。
まあ、今の時代、先輩も後輩もないんで
すけどね。
早生まれは、年若くして早く学校生活や
社会生活に入れるから時間的にお得感は
あるかも。
定年も年齢来る期までなので、フル満期
働ける。それだけ、収入も保障される。
あれ?早生まれって、いいかも。

鉄板

2020年10月01日 | open



フライパンはフライパンで必要不可欠な
器具なのだが、この四角い鉄板というの
は、かなり使い勝手が良い。


フェザーの末路

2020年10月01日 | open


我が家では、フェザーを使ってテーブル
の上に置いておくと、翌朝には無残な事
になる運命のようだ。






昭和アイドル帽子が似合う

2020年10月01日 | open







かーいーなー。
(80年代遊人作品登場台詞調)


キッチンジロー、コロナ禍で大幅閉店

2020年10月01日 | open








無茶苦茶寂しい。
西新橋勤め時代は昼食でキッチンジロー
新橋店によく行った。
昭和から平成にかけての時代、勤め人は
勝手に一人で食事をすることは少なく、
「お、昼だ。飯行こうぜ」と部下や同僚
を誘って外に食べに行っていた。
このあたりは、映画『釣りバカ日誌』に
もよく出てくる。
東京の勤め人は、昼には数名で連れ立っ
外食する。仕事帰りには連れ立って、
一緒に駅のそばで一杯飲んでから帰る。
一杯とは沢山ではなく一献という意味だ。
そして、翌朝、また満員電車に揺られて
出勤して働く。
東京人は明治時代からずっとそれだ。
通勤ラッシュなどは明治からあった。
大正昭和初期の時代には、サラリーマン
はカンカン帽にスーツという姿で電車で
通勤していた。

キッチンジローは、職場の事務局長が好
で、「ジロー行こうぜ」と時々誘われ
た。
事務局長と行くと、絶対に私には払わせ
ず毎回おごってくれるので申し訳ないの
だが、いつも独身時代には食わしてくれ
た。所帯持ったら「自分で出せよー」と
笑いながら言ってた。この人からは多く
の大切な事も教わった。
キッチンジローでは、事務局長が薦める
メニューに「スタミナ」というのがあっ
た。サイドメニュートッピングなのだが、
これが美味い。単なるタマネギ肉炒めな
のだけど。ちょい生姜焼き風の。
上掲の報道記事にもあるスタミナメンチ
は定番で私もよく頼んでいた。美味い。
品川駅前のツバメグリルもかなりのもん
だが、キッチンジローは、もっと親しみ
易い「町の洋食屋さん」だった。
いつも満席。
人気店でいつも満席だっただけに、外食
激減現象にならざるを得なかったのこの
災禍は深刻な事態だったのだろう。
店舗閉店はとても残念だが、せめて東京
と大阪に残った2店舗は閉店にならない
事を祈る。
いや、マジで美味しいんだってば。キッ
チンジローさんは。