渓流詩人の徒然日記

知恵の浅い僕らは僕らの所有でないところの時の中を迷う(パンセ) 渓流詩人の徒然日記 ~since May, 2003~

うさぎ年

2023年01月01日 | open


卯年である。

刀匠藤安将平作。
私の為に打ってくださった。






藤安刀匠支援の方が、私への為
打ちで藤安先生に依頼し、私に
進呈して下さった一作。
藤安先生も、私の為だからと乗
り気で張り切っていた、と教え
られた。
また、別件では藤安刀匠から直
筆長文の手紙も頂いた。
北の斬鉄剣の作者。真の刀鍛冶。
刀鍛冶は刀を打つ。
鋼のオブジェは作らない。
切らなくとも切れる魂を打つ。
日本人の本当の心の在りかが
そこにある。

精魂込めて作られた一刀を目の
前にする時、観る側も心が引き
締まり、そして透明になる。
一切の邪気は消滅する。
刀は良い。
人の心に光を灯す。
しかも、清冽に澄んだ心を映し
出す。
日本刀は良い。

新年の御挨拶

2023年01月01日 | open



紋服着て正座して「母上、今年も
御機嫌麗しゅう存じ上げ奉り候」
などとはやらないが、親にはきち
んと畏まって新年の挨拶はする。
親族一同高齢の為、年々集まらな
くなって来たが、それも時代の流
れだ。
かつては毎年親族30名程が本家に
集まり、新年を祝った。家は旅館
のようになっていた。女性陣が
大活躍なのが旧来の姿だった。
毎年、家では膳を以っての大宴
会だ。江戸時代の祝言の席みた
いなやつ。
また、バブルの頃には、観光バス
を仕立てて親族集団で新年旅行
に行ったり、スキー旅行に行っ
たり、クルージング旅を楽しん
りしていた。
観光ホテルで叔父と撞くビリヤード
(四ツ球)などは、静かで優雅な時
間が流れ、至高であった。
昨今のささやかな正月は、それは
それで慎み深くてなかなか良いと
も感じる。


巨大イチゴがうまかった。


元旦は、まるで安息日のように
何もしない。
日本の風習では元日は風呂には
入らないとはいうが、おら、風呂
さ毎日入るだよ。
正月一日だろうと。

歴史上、世界初の日本人チャンピオン

2023年01月01日 | open




ありとあらゆるスポーツ史の中で、
世界初の日本人チャンピオンは、
ビリヤード選手の山田浩二さん
(1887-1941)ではなかろうか。
1912年、1913年にビリヤード・
ボークラインの世界選手権で優
勝し、世界チャンピオンになっ
ている。

日本のスポーツ競技としての歴史
は1858年、江戸幕末に幕府講武
所で行なわれた水泳大会かと思わ
れる。
それまでも、三十三間堂の通し矢
などは、レコードを競う命懸けの
対決として取り組まれたが、あま
りに壮絶なので幕府により禁止さ
れた。(負けたら切腹)
それ以外も、日本では競馬も行な
われていたが、日本の純粋スポー
ツの歴史は、幕末の幕府による
水泳大会からであろう。

あらゆるスポーツ記録を見ても、
日本人が世界チャンピオンになっ
た初めての出来事は、1912年の
ビリヤードが最初ではなかろうか。
今から111年前の事である。
他に記録が無く、これが事実だと
したら、世界初の日本人のスポー
ツ世界王者の歴史は、ビリヤード
によって切り拓かれた事になる。
かなり歴史的な金字塔だ。
明治以降、世界的に撞球王国であ
った日本の名に恥じない。

日本って何?と外国人に訊かれた
ら、日本刀とモーターサイクルと
ビリヤード。
これだ。
日本の撞球の歴史は古く、日本に
ビリヤードが入って来たのは安土
桃山期であり、幕末には長崎の
出島にビリヤードテーブルがあっ
た。
本格的な競技参加は明治以降で、
鹿鳴館には撞球室があり、6台の
ビリヤード競技テーブルが置かれ
ていた。
皇室はじめ明治の元勲の邸宅にも
ビリヤード台があり、ビリヤード
は華族の嗜みであると同時に、
庶民も市井の撞球台でビリヤード
に親しんだ。
その浸透度は、帝都東京の銀座な
どは辻ごとにビリヤード台のある
店舗だらけだった。
日本人は、文明開花と同時に撞球
と溶け込む程にビリヤードが好き
だったのだ。
違和感なく、日本人にしっくりと
くる競技だったのかも知れない。
街では、まるで江戸期のハマ矢の
ように遊ばれたし、また本格的な
国際スポーツとしても取り組まれ
た。
日本とビリヤード。
これは、現在ではあまり知られて
いないが、かなり深い繋がりがあ
る。

謹賀新年

2023年01月01日 | open