渓流詩人の徒然日記

知恵の浅い僕らは僕らの所有でないところの時の中を迷う(パンセ) 渓流詩人の徒然日記 ~since May, 2003~

掘り出し物

2023年01月10日 | open


廉価に売られているハウスキュー。
さらに、それの中古を1本あたり
2,000円程度で入手。
侮れない。
びっしりと虎目の木目が出ている。


目が良いので、どうかなと思っ
て撞いてみると、かなり良い動
きを見せる。
こうした物が時々ある。
「む?これは・・・」と見抜け
時には、即買いがおすすめだ。
見逃したら二度と出会えないだ
ろう。
廉価な物の中にトレジャーを見
つけるのだから。


重さは軽すぎたので、改造して
19.5オンスにした。

難関大学出身の漫画家

2023年01月10日 | open







良い作品を描く漫画家に学歴も
出身大学も関係ない。
中卒だろうが人々を感動させる
漫画は描ける。
要は人物がどうか、だけだ。
高学歴や難関大学出身者が漫画家
にいるのも、たまたま良い才能を
持つ漫画家がたまたまそうした大
学を出ていた、というだけの事だ。
高畑勲は東大だからあのような作
品が作れたのではない。

そこのところを間違えると大きく
取り違える。
記事の記述は「神様」手塚を筆頭
に記し、その後合格難易度順に記
しているのが笑える。
学力偏重主義の桎梏を打破できて
はいない。
結局、だから何?という文章になっ
ている。
論としては骨がない。

大学ごとの色はある。
それは、そうした似たような連中
が色分けしたその大学を選ぶから
だ。当然、そうした同族の集合に
より、建学の精神とは別にそのよ
うな特化質性の者たちが集まる。
早稲田などは破天荒自由奔放の
無頼の徒が多いが、慶應義塾など
は、私の同時代には義塾の連中に
はミニコミ誌の『脳細胞爆裂マガ
ジン 突然変異』を編集出版して
いた奴らがいた。
天才集団だと思った。
ボロボロになるまで熟読した。
東大全共闘は勘違いして自分ら
が知性の代弁者であるかのよう
に「知性の叛乱」と自称して
日大全共闘から失笑を買った。
だが、慶應の連中の『突然変異』
こそは真の知性の叛乱ではない
かと思えた。
塾生が出版した『脳細胞爆裂マ
ガジン 突然変異』を読まずして、
真のカウンターカルチャーとし
てのサブカル論は語れない。

ちょい飲み

2023年01月10日 | open


赤玉スパークリング。
イマイチ(笑
強炭酸で割るだけだが、気の抜け
た葡萄ジュースみたいだ。

つまみは鷄さん。
これはうまし!
味付けてフライパンで焼いただけ。


トマト酒にしただな。
味はタバスコで調整した。
そこそこ。


スキッド(横滑り)の対処方法

2023年01月10日 | open


(私が多用する撞点)

スキッドはスロウで対処する。
もしくは強めの撞き。
そこにトビの補正の見越しが
加味される。
スキッド対処はストロークに
よっても可能だ。
ソロリとしたトン突きの転がし
玉はスキッド発生を増幅させる
ので絶対にダメ。
スキッドは地球上では絶対に発
生する。
手を放すとリンゴは落ちますよ、
というのと同じく絶対に発生す
る。空気があるから摩擦がある
ので、どうしても発生する。
玉は濡らすとスロウは極度に減
殺されるが、乾き玉でスキッド
は確実にある条件下で発生する。
軌道は厚くずれる。
どうやってそれに対処して行く
かが大切。
スキッドは物理現象なので必ず
発生するので回避は不能だ。
どう対処するかが重要になる。
そろりトン突きの玉転がしはそ
の対処の要件を全く満たしてい
ない。尚更発生させ易くする
突っつき方だ。
なので、ビリヤードにおいては、
そろりチョン突き転がし玉は全
面的に駄なのである。物理的
にダメ。
玉はクン!とある程度の勢いを
以って「撞く」。
突くのと撞くのでは雲泥の差だ。



ぜんざい

2023年01月10日 | open


きのう家で食べたぜんざいが
うまかった。
ただ、あれだなぁ。
餅は切り餅でちょいと焼いた
ほうがいいなぁ。やっぱ。

ヘルメット

2023年01月10日 | open
幼稚園から小3まで一緒だった
幼馴染の女性と数十年ぶりに
40代の頃再会して、同級生の
仲間たちと痛飲した時に訊か
れた。
なんで私は幼稚園から小学校の
時に、遊ぶ時いつもヘルメット
を被っていたのか、と。

そりゃおめえ、これよ。
本当は大元はエスパーだけどさ。



全学連の兄さんたちがヘルメット
被る前からこちとら被ってたい(笑
ただ、カスタムで、私はヘルメッ
トだけでなく、でかい風呂敷を
マントとして首に巻いて後ろに
垂らしてた。あれが何かは自分
でもよく分からない。
被ってたのは、我らがブントが赤
ヘル被る前から真っ赤なヘルメッ
トだ。ドカヘルじゃないけど。
大友克洋の「ハイウェイ・スター」
に出て来るような反帝学評や中核
のメットを被ってライダーベルト
を締めてるようなクソガキと同類
だったのだろう。(あの大友作品
のガキのヘルメットは実物であり、
そこらのデモの激戦の後に道に
転がっていたのを拾ったと思わ
れる。羽田か王子か飯田橋か神
田あたりのガキだろう。あるい
は佐世保)

ちなみにマグマのガムの原作は
これ。

テレビのマグマ大使のガムのメット
は三派全学連の三派の色合わせだ
ね(笑
白い部分が多いのは何とも気に入ら
ねぇが、今となってはどうでもいい。
赤は例によって分離分裂してるし
よー(笑



カスタム・キュー・ラインナップ

2023年01月10日 | open

リチャード・ブラック(存命)

TADコハラ(物故)


アメリカン・カスタム・キュー
は、基本的に一本物であり、
同じデザインは無いとされて
いる。
しかし、実相は異なる。
考えてもみてほしい。
年に数作しか作らない寡作者は
除いて、一般的な作者でも年間
60〜100作前後。
10年続けたら千本だ。
30年で3,000本だ。
どれ一つ同じデザインのキュー
が無いと断言できるだろうか。
そして、多くのカスタム・キュー・
メーカー=ビルダーは定番のデ
ザインを持っている。
その定番スタンダードのライン
ナップは、1980年代にはカタロ
グ化されて代理店が表示してい
た。
本来カスタムとは一点物の注文
打ちの日本刀と同じであるので、
吊るしの作などは該当しない。
だが、あまりに需要が多すぎた
空前絶後の第二次ビリヤードブ
ームの時には注文が殺到したの
で、ディーラーが仕切った、と
いう歴史がある。
また、今の時代とは全く違い、
ビルダーに直に頼むなどはごく
一部のコネを持つ人しかできな
かった。すべては代理店が取り
仕切った。
私が購入したリチャード・ブラ
ック・ブシュカ(上掲画像の⑨)
などは、輸入業者の提示定価は
1988年で57万円だった。
米国内で直に依頼すると$1,800
程だった。1988年は1ドル128円
なので1,800ドルは23万400円。
シッピング等を含めても、日本
の業者は1本あたり34万円の利
鞘を抜いていた事になる。
それでも飛ぶように売れた。
私は並行輸入で30万円で正真
リチャード・ブラックのブ
シュカを入手したが、国内正
規代理店で買ったら57万円だ
っただろう。
当時、アメリカン・カスタムは
値引きは無しだ。それが相場。
まだ、ワシントン条約規制も
あるにはあっても緩かったの
で、日本国内に象牙を使った
製品も象牙本体も持ち込み可
能で、税関でも跳ねられたり
はしなかった。
アフリカ象の象牙の大きな一
本が三千万円程で国内では取
引されていた。
むしろ、ブラジリアン・ロー
ウッドは全く入って来なか
った。

激高の1980年代のアメリカン・
カスタムだったが、1990年代
〜2000年代初頭はかなり価
が適正価格になっていた時期
があった。
これは、私はある輸入販売業者
の功績が大きいと踏んでいる。
直接、アメリカン・キュー作者
たちと強力な信頼関係とコネを
作り、個人的に大量に発注をす
る事により、適正価格=従来よ
りもかなり安い価格=にて販売
していたのだ。端的に言うと、
有名どこでも30万円台。
多分だが、同業他社からかなり
嫌がらせや圧力を受けたのでは
なかろうか。安く売るな、と。
だが、アメリカで20万円の仕入
れの物を日本で30万円で売るの
は暴利貪りの商売ではない。
極めて良心的だ。
また、特定の作者の代理店と
なっている業者で、極めて適
正な価値で販売している業者
が一社ある事も知っている。
それは現実としてそうである
のだから、動かしがたい。
その人の作は並行輸入で扱う
別業者は驚く高値で販売して
いる。
並行輸入のほうが高い。
何だろうそれは、の世界だ。

適正価格で購入希望者に提供し
ていた良心的な業者がアメリカ
ン・カスタムを輸入販売する事
をメイン事業とするのをやめて
から、一気にアメリカン・カス
タム全体の価格が爆発的に高騰
した。
単なるコレクターの買い占めに
よる価格高騰ではない背景が
存在する。
今やTADも170万円からだ。
それ以前は高くても80万円辺り
だった。ファンシーでも70万円
の価格帯が多かった。
今はジナ約300万円〜、バリー・
ザンボは約700万円〜だ。
1988年頃、ガス・ザンボでも
大台の100万円超えか、という
程度だった。バラブシュカでも
100万円程度。
今や、ガス・ザンボとバラブシ
ュカは1,500万円以下では買え
ない。

何かが決定的におかしい。
誰が買って使うというのか。
世の中全員トランプ元大統領や
麻生君鳩山君たちフリーメイソ
ンのメンバーらのような富豪で
はないんだよね。
スポーツ道具の価格には程度と
いうものがある。
日本刀でも、一千万円の歴史的
日本刀を試斬になどは使わない。
私とて、申請すれば重要刀剣認
定確実の三原の古刀を試斬にな
ど使わない。
また、安物であっても、家伝の
刀を試斬になどは使わない。

(家伝小太刀)

TADコハラ作。
日本刀に通じる魂を持つ作が
TADキューだ。
国籍はアメリカ合衆国だが、
日本人であるコハラタダチ氏
が作るキューには日本刀と通
じるものを強く感じる。


カスタム・キューは量産品とは
違って、製作者の魂の結晶であ
るともいえる。

ただ、最近私は、カスタム・キ
ューではないがカスタム・ライ
ンのように作られたキューを
メインで使っている。
非常に良い。とてもよく切れる。
それも日本刀と同じで、無名の
作者の作、無銘の作でも、傑出
作というのはある。
私が今好んで使うキューは、中
古で1,900円で手に入れた物だ。
私の持ちキューの中でトップクラ
スの能力を有している。
時々、ごくまれにこういう物に
出会う。
日本刀でも、最近友人は凄い作
と出会った。無銘ながら明らか
に末古刀の名作者の作。
うちに送られて来たので、今
つぶさに拝見している。
その刀について、電話で2時間
程話した。刀工来歴や作域の所
見についても。多分堀川と合作
した頃の作だろう。見事だ。
上研ぎと新作白鞘、時代金具を
あしらった新作拵入り。センス
よくまとめている。
武用であろうと差料には新物
(あらもの)などは心得ある者は
使わない。本物を使う。アラは
鎺(はばき)のみだ。これは刀身
保持のためにきっちりした新作
が良いが、白鞘鑑賞では時代物
のままのほうが良い。

今、私のメインキューはこれ。
入手金額は実費1,900円だ。












キューも刀も金額ではない。
価格というのは、儲けを出す為
にアキンドたちが設定した額面
の事だからだ。物の真の価値と
は別次元のファクターが働いた
ものなのである。
良い物、大切な物に金額の多寡
は本質的に一切関係が無い。
無関係。
物に値段を付けるのは、別な要
素から来る事に依る。
それが人間社会の真実であるの
で、物の価値を金額面からしか
捉えられない人間は、世の物事
の真(まこと)の実=真実が見え
ていない人間であるといえる。

時代劇の時代考証のいい加減さ

2023年01月10日 | open


(『首斬り朝』小池一夫作、
小島剛夕画)

時代劇は映画やドラマだけでなく、
劇画や小説でも時代考証がかなり
いい加減な事が多い。
この『首斬り朝』では、蚊取り
線香とそれを入れて吊るすブタ
さんが出て来る。
あり得ない。
どちらも江戸時代には存在しな
かったからだ。
蚊取り線香は明治23年に世界で
初めて発売された。発明は日本。

同じ小池一夫・小島剛夕のコンビ
の名作劇画に『子連れ狼』があ
る。冥府魔道に生きる元公儀介錯
人の拝一刀と一子大五郎の復讐
物語だ。
幕閣を牛耳らんとする柳生によ
って拝家は赤子の大五郎のみを
残して全員自宅襲撃により暗殺
された。正確には、父一刀と大
五郎と一刀のお供で登城してい
た従者のみが生き残った。

『子連れ狼』は創作劇であるの
で、登場人物や時代も架空だ。
だが、概ねは将軍綱吉の時代で
あり、最後の江戸の河原の対決
は元禄15年(1702年)となって
いる。赤穂浪士討ち入りの年だ。
その拝一刀は、一殺五百両(約
1500万円)での暗殺を請け負っ
て資金を貯めていた。南蛮渡来
の爆薬「投擲雷」を購入する為
だ。それには何万両という軍資
金が必要だった。
投擲雷購入の目的は、大五郎に
与えて、迫り来る柳生の暗殺者
たちを一斉に爆死させる為だっ
た。幼児は剣は使えずとも、
手榴弾で大人を倒す事はできる
から、との理由だ。

その拝一刀が、劇中、刺客とし
て幕府勘定奉行が関八州見回り
で籠に乗った時に襲撃して、
一突きで刺殺したシーンがあっ
た。私の知り合いの先祖の奉行
で名前ももろにそのものが出て
来た。家の流儀は代々新陰流だ。
幕臣旗本だからだろう。
だが、劇画のその描写は二重三
重におかしい。
あまりに関八州の治安が悪いの
で関八州取締出役という役職を
幕府が設置したは、1800年代
に入ってからの事だ。拝一刀の
時代の百年後である。
そして、総取締は勘定奉行が兼
任したが、取締出役はもっと
遥かに下っ端が任じられ、勘定
奉行自らが関八州を見回りする
事などは一切無い。
江戸市内の取締に町奉行や寺社
奉行が自ら出向く事など無いの
と同じだ。
今でも、警察庁長官や法務大臣
が殺人現場を視察するような事
が無いのと同じだ。

だが、勘定奉行はギャーー!と
いう断末魔と共に拝一刀に刺し
殺された。
無いですから。それ。
いくら創作劇でも、時代をごっち
ゃにしたり、あり得ない設定とい
うのはキテレツ過ぎて駄目なのだ。
裏柳生というのも実在しない。
それはまだいい。忍者物みたい
なものだから。(忍者という言葉
は昭和の創作)

きちんとやろうよ、作家たち。
特に時代劇の時代考証は。
居酒屋にテーブルと椅子とか、
将軍吉宗の背景に江戸城天守と
か、駄目だって、そういうのは。

キュー出し

2023年01月10日 | open


キューはしっかり出してフォロー
スルーを取ったほうがいいですよ。



迷いクジラ、一夜明けてもまだ大阪湾に

2023年01月10日 | open





海へお帰り、とは思うが、大阪湾
淀川河口も海は海。
そのあたりに出て来るのが珍しい
から、やはり迷い込んだのだろう。
餌となる魚の流れに何か変化が
あったのかも知れない。

瀬戸内海の三原沖などは、クジラ
がよく泳いでいる。
それはイルカのようなスナメリだ
けでなくマッコウも。
一度、父と船を出して釣りをして
いたら、ある時からまったくアタ
リが途絶えた。
潮加減からしておかしいなぁと
思っていたら、水中からゆらゆら
とどでかい灰色の布団みたいなの
が浮いて来た。船のすぐそばだ。
それは、海面に浮上したマッコウ
だった。
そして、ブシャーと潮を吹いて呼
吸した。
この世のものとは思えない程に
臭かった。
なんというか、臓物を腐らせた
バケツをぶちまけたような。そ
んなの嗅いだ事は無いが。
とにかく、とてつもない臭気が
辺りに漂った。
父と二人で同時に「くっせー」と
言った。
「あれが出たんじゃ魚は逃げる
よな。よし、移動しよう」
と父は言って船を走らせた。

瀬戸内海、クジラさんはよく見る。
海を走ると岩礁かと思っていたら
クジラだったりする事も多く、
尾道の玉撞き仲間の私より丁度
10上の人が地元方言でその様子
を表す言葉を教えてくれた。
その言葉が何だったか、どうして
も思い出せない。ザゴンではない
が何かそんな言葉。
尾道でも古い人間しか知らない
漁師言葉だと言っていた。
特定の固有言葉になる程、瀬戸内
海の多島エリアにはクジラが出る。
クジラとしてはスナメリが可愛い。
瀬戸内海に船を走らせると群れで
船について来る。
まるで映画の『タイタニック』の
ワンシーンのように。
スナメリクジラは顔もQ太郎の弟
のO次郎のようでとても可愛い。
イルカより小さいクジラくん。







江戸弁

2023年01月10日 | open
 
 
早朝、散歩から帰ってきて、
足と体を洗った犬が私にすり
寄って来て、背中をくっつけ
て寝転んで寛ぎ出した。
その時、パソコンのイヤホン
を踏んずけていたので言葉を
かけてそれを引っ張り出した。
その時言った。
「ちょいとごめんよ」
言ってからはっと気づく。
あら、江戸弁だ、と。
私の日常語だ。

この「ちょいと」は標準語の
「ちょっと」とほぼ同義の江
戸言葉だ。大小の小を表すだけ
ではない独特のニュアンスが
ある。口語では「ほら」とか
「まあ」というのと同じ意味
を持つ。
そして、「ごめんよ」は別に
謝っているのではない。エク
スキューズミーの意味である。
「ちょっと間違えた」とか言う

と、中国地方では「ちょっと
じゃなかろう」と怒ったりする。
これは感覚としてそう捉える
ようだ。


こうした江戸東京言葉は、関東
以外、とりわけ中国地方では
正確に理解されにくい。
「ちょっと」は数量での小・少
にしか捉えられないのだ。
「ちょっと待って」という話し
言葉は「ほんの少しだけ待って」
としか捉えられないのが中国
四国地方の特徴だ。

「ちょいとごめんよ」というの
は、人混みをかき分ける時にも
「ちょいとごめんなさいよ」と
いうように江戸言葉では言った
りする。別段少し謝っているの
でも本当に謝罪しているのでも
何でもない。直訳するとまさに
エクスキューズミーなのだ。

この「ちょいとごめんよ」につ
いて、読み書きはできないが
日本語(大阪弁限定)の会話が
ペラペラの外国人の知り合いは
「その言葉は何か嫌な感じが
する」と言う。
何故かと問うと「自分が悪く
ないのに謝っているようだ」
との事。
なるほど、と思った。
江戸東京言葉に馴染みが無いと
そう捉えるのか、と。
つまり、西日本の人たちと似て
いる感覚なのだろうな、と。

つい先日、店内でドアを開けて

別室に入ろうとしたら同時に他
のお客さんとノブに手が掛かり
そうになった。
私のほうが早かったので「ごめん
なさいよ」と言って先に入ろう
としたら、向こうが言下に頭を
下げて「ごめんなさい」と言った。
私が謝ったからと受け取って自分
も謝るという言動
だったのだろう。
「ごめんなさいよ」を謝罪と捉え
たのだろう。
頭を下げられたので多少こちら
が面食らった。
この場合の私の言う「ごめんな

さいよ」は「失礼、お先に」の
意味だ。謝罪ではない。
言葉の捉え方が異なる事が如実

に現れた現実シーンだった。
「失礼」と標準語を使ったほう

がよかったな、と感じた。
訪問時の御挨拶の「ごめんくだ

さい」や退出時の「ごめんなさい
ませ」も通じないかもしれない。

「ごめん」は「御免」から来た
言葉で、通行手形のような意味
であり、何かの謝罪で許しを請
う意味ではない。謝りでも使う
が、元来は意味が違う。
去る時も、武士が「さらば御免」
と言うのも、町人や渡世人が
「それじゃあ御免なすって」と
言うのも、別段謝罪している訳
ではない。土佐弁でいうところ
の「ほいたら」と同義である。
スペイン語のアディオスのよう
なものだ。
「さようなら」も武士言葉の
「左様なら」から来ている。
それも「そのようなら」では
なく、「では」という意味だ。
庄内の武士言葉の「しぇば」と
同じだ。
それが転じて江戸の口語では
「じゃあね」になった。
古い広島弁では「へーじゃーの」
だ。

古い方言はその地方でも若者
たちは使わないし通じない。
「はよーこけーきてへたりん
ひゃあ」(早くここに来て
お座りなさいな)という備後
弁などは今の広島県東部の人
たちは使わない。
私も居住地は広島県だが、言語
形成過程が広島圏域ではないの
で「けえ」という方言が「来い」
という命令形であった事はつい
3年ほど前に初めて知った。
「持ってけえ!」と言ってる
言葉が「持って行け」かと理解
してしまいシチュエーションの
中で意味不明だった。広島弁
の「けえ」は、「そうじゃけえ」
の「けえ」で「~だよ」という
時のみの言葉かと思っていた
からだ。
そうではなく、「(お前から取

り上げるから=かつあげの強奪
をするから)持って来い」の
意味だったのだ。

標準語でないと異国の人間には
通じない。
私は広島県においては異邦人だ。
これは永遠に。エトランゼである。
生まれ育ちは東京なのだからこの

歴史的事実は覆しようがない。
異国の地に今たまたま住んでいる

だけの事だし、事実そうした扱い
をあらゆるシーンで受けている。
広島をなんとか良い方向にと私
が思って言っても「そがーに広島
を悪う言うんなら、あんた広島か
ら出て行きんさいや」とつい先週
も言われたし、SNSでも「横浜へ
帰れ!」とか叩かれていた。
自分が住む町や県を良くしようと
不正行為や悪しき習慣を是正せん
と指摘したら「出て行け」となる
のだ。国へ帰れ、と。
つまり、異邦人なのである。
住民票を広島県に置こうが、広島
県人とはみなされない。
カープを応援せんといけんじゃろう、
なのだ。公共放送のCMでやって
いるように。批判は受け付けない。
自己切開、自省はそこには存在
ない。ある一方方向に同調しな

と排除排斥対象なのだ。


そして、現実問題としては、その
異国言葉である方言
は、日本の
全国区の言葉ではない。

「ちょいとごめんなさいよ」と
私が言うと「あいつは謝っていた」
と吹聴する人たちが住む地域も
あるとしたら如何ともし難い。
実際に「そいつぁ勘弁してもら
おう」と言ったら「許してくれ
とあいつは謝っていた」という
意味でSNSで吹聴された事が
広島県ではあった。
まるで違う。
「そんなことは金輪際願い下げだ。
お断り申し上げる」という意味だ。
東京人は仲間内でもひやかしたり
すると「勘弁してくれよぉ~」と
かよく言う。
ピンクドラゴンの高橋誠一郎店長
は東京下町生まれの池袋育ちだ
が、私がひやかしではなくさすが
だなと思って絶賛する事があると

「勘弁してくださいよ~」と笑い
ながらよく言う。

これは「ごめんなさい、許して
ください」と謝っているのでは
ない。「よしとくれよ」だ。
だが、広島県などでは「勘弁して
くれろ」と東京人が言うと、それ
は詫びを入れて許しを請う事かと
勘違いされるようだ。
言葉の行き違いである。完全に
対話が成立していない事を示す。
やはり、地言葉は地元人にしか
通用しない。
これは東京江戸弁においても。
「ちょいとごめんよ」の掛け
言葉が謝罪の詫び入れかと思わ
れたらたまったもんじゃない。

地元言葉は地元だけにしか通じ
ない。
見知らぬ人はどこの出身育ちか
分からないのであるから、そう
したシチュエーションでは標準語
で会話するのが日本人として当然
の常識だろう。
日本人は小学校の時から学校で
母国語として標準語を習うので
あるから、共通語として標準語
を日本語として使用すべきで
あるのだ。

私は普段「わしがやっちゃるけえ」
などとは絶対に言わない。仲良い
間柄でも。
また「おいらがやりやすぜ」など
とも決して言わない。
「私がやります」だ。標準語を
使う。公的な仕事の場などでは
「わたくしがやります」だ。
気心知れた気の置けない東京人に
対しては東京ことばで「あたしが
やります」とは言うが。
口語としては「あたし」は使うが
「わし」は自分の言葉ではないの
で一切使わないし、公的な場では
「私」を使う。東京人が多用する
「うちら(俺らの丁寧な言い方)」
も公的には仕事の場面などでは使
わない。「わたくしども」である。
さらに畏まると「弊社」であり、
「御社」も使うが、これは商談で
は最高形式の場以外では使わない。
常用商談では裃を着用しての構え
た交渉のように捉えられるケース
が多いからだ。これは地方にもよ
るが。御社は使うこともあるが、
自社の事はあえてくだけて「わが
社」であり、相手の会社は会社名
を言って表す。適切な日本語では
ない「さん」を企業名の後につけ
て。これはイレギュラーな日本語
の用法だ。「TBSさん」などと言う。

東京は人に優しい。地方に比べて。

東京で暮らす一千数百万人は江戸
時代から東京地区に住していた人
の割合よりも地方から出てきた
人たちのほうが多い。
いろんな場所から来た人たちが
東京都民になっている。
いわばアメリカ合衆国のような
ものであり、それらが皆「同国人」
として肩を寄せ合う。排除はしない。
だが、地方においては、その土地
で生まれ育った者以外は「イテキ」
とみなす。そして排除する。表面
では友好を装いながらも徹底的に
根底では「異端」とみなす。
そうした現実は、21世紀の現代に
あっても日本は各地に残存してい
る。
これは現実だ。

おいらぁ正直なとこ言うと、江戸弁

という弁当を三食食っていてぇよ。
そいつぁおいらにとっちゃ松花堂
弁当より幕の内よりうめぇぜえ。