渓流詩人の徒然日記

知恵の浅い僕らは僕らの所有でないところの時の中を迷う(パンセ) 渓流詩人の徒然日記 ~since May, 2003~

岩城滉一 バイクツーリング(東京~大阪)

2024年11月14日 | open

岩城滉一 バイクツーリング(東京~大阪)


50原付での東京から大阪まで
の走りなどは、構えて大げさ
にする程「大それた」事では
ないと思うけどね。

50原付の納車のその日に、
らしを終えるには川崎から

島まで走って帰ればいいや、

とバイク屋からその足で広島
まで1回走行で走ったような
奴がここにいるのだから。
まあ、芸能プロモーション企
画なので、「大きな事」とし
てのイベント的な企画で、そ
れはそれとして成功したのだ
ろう。岩城さんのイメージ
戦略として。興行化は成功だ
っただろう。
この映像を観て、当時バイク
に興味を持って乗り始めた人
たちもきっと多くいただろう。
それは番組企画として「成功」
だろう。

川崎から広島行きの50原付の
走行では、自動車専用道のバ
イパスは使えないので国道1号
国道2号のオール下道。西湘バ
イパスも使えない。
今、厳密に走ったルートを辿
って距離を計算し直したら、
ずっと800kmほどかと思って
いたが、計算上は約1,300km
程だった。
800kmオーバー程というのは
前年のRZ350で往復した時の
距離の勘違いだった。長年
勘違いしていた。
原付で国道1号・2号ひた走り
は、神奈川県川崎市木月から
広島県三原市まで計算上は寄
り道しないならば約1,300km
だ。
それを往復それぞれ走った。
思い出すに、だからハマに帰
って顔を出した川崎のバイク
屋の大将が「先々週新車納車
したのになんで3,000km超え
てるの?」と言ってた筈だ。
バイクで富士山に登頂した
記録を持つ人だった。遊び
に行くといつでも「いいよ、
ゆっくりしてけよ」と6時間
位長居させてくれる店だった。
飲み物や食い物まで出して
くれて。そこでいつもレース
のビデオや映画観てた。
今の時代、そんなバイク屋は
無い。
今は相模原に店舗を移した
KMCという店だ。大将いい人。
その大将もドカン走り人で、
気が向いたらサクッと青森ま
で走ったりする人だった。
1980年代初頭は野沢那智に
似ていた。

復路では友人(隣りの部屋の
KO日吉の学生。FX乗り)の実
家に呼ばれて1泊泊まったが、
片道往路は宿泊せずに一発
走行だ。
厳密にはあまりにも眠くなっ
て往路では福山市に入った
ところでの公園休憩でうとう
として、多少公園のベンチで
休息睡眠を取ったが、すぐに
覚醒して福山グリーンライン
を走った。
なので往路の距離は1,300km
よりももっと長かった筈だ。
その真夏のグリーンラインで
は、黒いホンダVT250二人乗
りのカップルを悪いけど左コ
ーナー手前の下り直線部分で
パーンと抜かせてもらった。
ナラシはその時点では完全に
終了していた。実は静岡過ぎ
からはほぼ全線全速全開だ。
よくネズミに一度も引っかか
らなかったと思う。走りの距
離は深夜で稼ぐに限る。所用
時間は往路1,300km超を23時
間。京都で夕陽を見た。地図
無しなので標識頼りでの走行。


行ったからには帰って来る。
当然、陸路で。
強がりでもいきがりでも何で
もなく、本当にサクッと行っ
て帰る感覚だ。疲れようがど
うだろうが。

一番つらいのは走りながら眠
くなる事だけだ。
あとは、トイレと飯以外はひ
たすらぶっぱしる。延々と。
ただそれだけ。
ただそれだけの事だ。
大仰に構えて「走破を目指す」
とかの類ではない。
マラソンランナーはマラソン

を走る事を大それた事だとは
感じないだろう。身を引き締
めたとしても、ごく自然体で
臨む事だろう。走る事そのも

のは大仰な事ではない。大切
なのはもっと別な事だ。
そこ、心得違いすると、かな
り本質がずれてくる。
二輪乗りにとって走るのは本
意であり本位であるのだ。
距離を走る事に別物の何か
特別な「偉業」とか「偉い」
とかの価値観があるかのよう
に装飾するのは極めてダサい。
ただ走る。
それだけであり、それ以上の
ものもそれ以下のものも無い。
二輪走行者は走り人(びと)で
あるがゆえに、走る事そのも
のは当たり前の事で、それよ
りも
その向こうに真実の価値
があ
る。走り人としての。
これは走る人以外には絶対に
理解はできない。
二輪走行者は走る事が当たり

前で、それは武士が刀を差し
ているのは当たり前と同じ事。
刀を差しているからどうだで
はなく、問題は人の心の中味
だ。

魂の在りかがどうかの問題。

神奈川⇔広島往復途中の名古
屋では東山公園の
一通周回路
を何周か周回した。RZ350の
セカンドバイクのこれで。

ナンバーは原付のハマナン。
胸には半人半馬のへの字。


この50原付で広島に行った
学生時代の夏、父の仕事の
手伝いで大分の竹田城に行
った。
道を高いとこから観てたら
パァーンと吹け切ったいい
音をさせてホンダの当時ク
ラス最速50原付スポーツ

走って来る。

「走ってんなぁ」とか思って
観てたら「あれ?」と。
どこかで見た事ある革ジャン
とメットといでたちと乗り方。
世の中似た人がいるもんだ、
と思った。
パーンと全開で走り過ぎて
行った。
横浜に帰ってから自由が丘に
住む当時のふたつ下の彼女に
その話をし
たら「え?」と言
う。

日時と道を照合したら、なん
と嘘みたいな話、彼女本人だ
った。俺の貸したダブルの革
ジャンを着て。

移動距離はとんでもないが、
東京からは船で宮崎港に行き、
そこから阿蘇越えで熊本まで
行ったのだそうだ。
ツーリング行くんだぁと言っ

てたので「気をつけてな~、
俺もハマから広島まで原付で
走るよ」とか言ってたのだが、
まさか、超遠隔地で本人を見
るなんてことあるの?と偶然
の不思議に二人であとで驚い
た。
人の事は言えないが「よく走
るね」と言ったら、「だって、
宮崎港から熊本まで片道たっ
た150km位
だよ」と不思議そ
うな顔で言う。

バイク乗りなんてそんなもん
だ。
それが今のかみさんだ。(今
も昔もかみさんは一人だが)
そして、俺は彼女がいつの間
にか自分一人の考えで自動二
輪免許を取りに行ったのも知
らなかった。
免許取得などはひけらかすも
のでもない。ごく普通だ。
二輪乗りなんてそんなもん。
大仰に構えて吹聴したりして
も意味はない。乗ってるバイ
ク自慢と同じで、それは詮無
き事だ。
免許区分を自慢する奴も、そ
れは正直言ってタコだ。
また、乗っている機種の排気
量なども関係ない。
どう乗るか、どうあるか、こ
そが重要で、ひけらかしを微
塵たりともやる奴はスカタン
なのではと今でも思っている。
なので、ここ20年程で登場し
た免許マウント、排気量マウ
ントの新種の種族の
精神性は
俺には全く解らない。

俺らの世代はそれらとは別種
の生き物だからだ。
そして、レーシングライダー
や真のバイク好きで50ccの
WGPチャンピオンだ
からと
排気量クラスで格下に
みたり
する馬鹿は存在しなか
った。
歴史上、日本人初のマン島を
制した伊藤選手は50ccクラス
での制覇だったが、それを
50だからとバカにする事が
いかに本馬鹿な発想と言動で
ある事
か。
その事を俺らの世代は知って
いる。
昨今の機種マウント、排気量
マウント、免許枠マウントを
する連中に本物の
バイク乗り、
本当の走りの実
力者はゼロだ
ろう。

バイクを利用して自分のちっ
ちゃい虚栄心に満足を得たい
だけの取るに足りない者たち
で確定ガチだろう。
つまらぬ存在だ。

まして、匿名ネットでグジ
グジと
人の事を免許や機種
をつついて誹謗中傷。

下劣過ぎて話にならない。
どうせ二輪など乗ってない
らだろう。
乗ってたとしたら尚更論外。
バイクに関与する奴らも、
クズもここまで来たれりと
いうものか。

暴走しようがドカン走りし
ようが大人しく走ろうが、
そんなカスはバイクに多く
の人が親しんだ従前に
はい
なかった。

いたかも知れないが、世の
中にでかい顔して出て来れ
なかった。
今でも出て来れないから、
匿名の陰に隠れて卑怯で下
劣な事して喜んでるのだろ
う。
アホらしゅうて話になりま
へんわー(棒読み)。


 
 

 
 


 
 






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