渓流詩人の徒然日記

知恵の浅い僕らは僕らの所有でないところの時の中を迷う(パンセ) 渓流詩人の徒然日記 ~since May, 2003~

三原城の最西端の城門

2024年02月14日 | open
 

三原城の最先端の西惣門跡。
 

ここは旧山陽道(西国海道)。
城郭都市なので中心部と街
入る地点はクランク状に
なっている。攻め手を停滞
させる城の定だ。城下町
は軍都である。
この石碑の左の道を鍵形に
曲がっていた。
この直線は平成時代に作ら
れたものだ。
建物は新しい(といっても
70年以上)が、道割りや建物
の場所は江戸時代のままだ。
武家地は悉く全く変わった
が、街道沿いの町屋は江戸
代そのまま。
地方の田舎の古い町という
のはこんな感じ。
 
よく歴史を知らないのか、三
原市内の人間も勘違いという
か間違えている事がある。
それは三原を「港町」と言う
のだ。
明らかな誤謬であり誤認の認
識間違い。
三原は城下町である。


戦国末期から明治まで武士の
軍都であり、町人(工人や商人)
たちも住む栄えた城下町であ
ったのが三原だ。
城下周辺には漁港も田畑もあ
った。
だが、三原は農村地帯でも漁撈
地帯でもなく、城の町であっ
のだ。
明治以降は沿岸部を中心とす
る地方工業都市。かつては帝人
と三菱と某造船の町だった。
工場労働者のものすごい数が
三原中心部に集団居住してい
た。それが100年近く続いた。
そういう町。
 
今は大企業の撤退が相次ぎ、
町は死にかけている。
企業、大資本産業誘致型の
都市が零落するのは三原だ
けではない。
古くは炭鉱町にも見られた。
それが歴史の轍だ。
企業誘致型の都市計画は、
資本という私的法人の方針
次第でいつでも潰れてゴー
ストタウンのようになる。
そのような都市計画は百年
の計を持たず、未来は見えて
いる。
 
「公園はみんなのものです。
犬を連れて入らないでくだ
さい。三原市」
という所から我が身の在り
方を考え直したらどうだろ
うか。

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