あたしゃガキンチョの頃から
革ジャン着てた。
で、だ。
実はレザーウエアは1960年代
には今みたいに高級品ではな
かった。これ、ほんと。
当時出始めの人工皮革のほう
が本革よりも高かったという
現実が歴史の中ではあった。
今では真逆だが。
これもホント。
当時の某アメリカ映画でも、
家具屋に勤める主人公が、客
に対し「これは出たばかりの
人工レザーでとても高価な物
です。ほら、このように飲み
物をこぼしてもふき取るだけ
でまったく傷みません」とい
う台詞のシーンがあった。
ガキンチョの時に革ジャン着
ていたからと、高級品を身に
まとっていたのではない。
革製品は廉価だったし、あり
ふれていたのが1960年代の日
本だった。
紳士服のスーツはくっそ高か
った。
私が革ジャンを着ていたのは
防寒着というよりも防護着の
意味合いが大きかった。
屋外アイススケートやローラ
ーやる時のスッテンコロリン
対策で。
案外ゴツいがしなやかな革で、
防護着にはもってこいだった。
バイク乗りと同じ意味で革ジ
ャンを着ていた。
私も結構アイスは滑れるほう
だったが、私よりも遥かに上
手い奴が同学年にいた。
そいつも革ジャン着てた(笑
ムーミンみたいな顔したH君。
そいつも全く転ばないけど。
氷上で革ジャン?とか思うか
も知れないが、当時は気の利
いた防護服などは本格的なア
イスホッケー選手用しかなく、
さしあたっての防護は路上も
氷上も革ジャンというのは結
構多く見られた。
私の靴はホッケー、そいつも
ホッケーだった。
横浜ドリームランドの屋外リ
ンクは逆走不可だったが、存
分に楽しめた。ハーフスピー
ドはOKだが、スピードは禁止
だったリンク。ホッケーやフィ
ギュアはごく普通にOK。
毎週行ってたし、冬休みなど
はほぼ毎日ランドのリンクで
滑ってた。
生まれて初めて滑ったのは5
才の時で、親父の会社の後輩
の元国体選手に位置から教え
てもらった。
人生初滑りは品川のスケート
リンクだった。