広島県三原市には看板がカッコいい店
があった。前から気になっていた。
昨年春、友人誘って夜に行ってみたら、
カフェではなく、ちゃんねーのいる
カラオケ屋さんになっていた(笑)。
それはそれでいいんだけどね。
なんだかちょいとだけ残念だった。

ナイフの背でメタルファイアする事を推奨
しない理由はこれだ。
専用のストライカーがどんな事になって
いるか。

マグネシウムのスパッタが飛んで付着して

マグネシウムのスパッタが飛んで付着して
いる。


この火花は3,000℃にもなる。
これがナイフの刃に付着したら刃先は絶対
に溶ける。実験の結果、実際に溶けた。
また、刃先でなくとも、ブレードに火花を
飛ばすと、その部分は焼きが戻り硬度が
飛ばすと、その部分は焼きが戻り硬度が
落ちる。
ナイフの背でのメタル棒こすりが、
誤った認識、あるいは刃物の原理に
ついての無知によって広まらない事を
願う。
誤った認識、あるいは刃物の原理に
ついての無知によって広まらない事を
願う。
これがどんな危険な意味を持つかは、刃物
を扱う人ならば即断できる事だろう。



刃先は完全に溶けている。

これらはあくまで実験のためにやったが、
刃物でのメタルファイア棒をこすって
火花を飛ばす事は、私は推奨しない。
火花を飛ばす事は、私は推奨しない。
専用の金属板=ストライカーを使うよう
にしたほうが絶対に賢明だ。
「メタルファイア=ナイフこすり」という
誤った認識が広まらない事を願って
いる。
ナイフでのこすりは、あくまで、もう
それしか方法が無い場合の緊急用だ。
いる。
ナイフでのこすりは、あくまで、もう
それしか方法が無い場合の緊急用だ。

着火用具一式。
燃料を使わずにアウトドアで着火させる。
麻紐の火口があると容易に点火から着火
が可能だ。

麻紐はほぐせば一発で火が付く。

但し、点火→着火→燃焼に持って行くに
は、「火を育てる」技術が必要。
いきなり木片に火は付かない。

火口として一番簡易で即誰でも着火させ

火口として一番簡易で即誰でも着火させ
られるのはティッシュだ。

メタル棒の火花飛ばしの点火で簡単に一発

メタル棒の火花飛ばしの点火で簡単に一発
で着火させられる。


ただ、これもあくまで火口としての着火で


ただ、これもあくまで火口としての着火で
あるので、焚き付けの木材に火を移して
燃え盛るようにするには燃焼の理論通り
にやらないと火は育たない。

この火を育てる事を「火熾し(ひおこし)」
と呼ぶ。
木材に火が移ってからも、プレファイア
から本燃焼に移行させるには正確な知識
と技術が要る。
簡単に理解する現象としては、いきなり
薪などの丸太にいくら火花を飛ばそうが、
丸太の薪が燃える事は無い。それの意味
を考えるのだ。
薪は小割りにして「焚き付け」を作らない
と燃えない。
焚き付けはさらに「焚き付けと火口」を
持たないと燃えない。
その火口の役目をさせるのがフェザーで
あったり麻紐であったりティッシュ等で
あるのだ。チャコールコットンなどもそ
う。
それらに点火によって着火させて、いわ
ゆる「火種」を作るのだ。
火種への着火は誰でも簡単にできる。
問題は、薪を完全に燃やす本燃焼まで火を
育てる事が簡単ではない、ということだ。
点火→着火は簡単。
「燃焼」を得るのは難易。
これが定式としてあるので、フェザーに
のみいくら火花で火を付けても意味がな
い。
本燃焼の火を得ることが野外活動での目的
なので、その途中の一過程を目的と勘違い
すると、本当に得るべき目的を見失う。
バトニングでナイフ薪割りしたり、フェ
ザーを作ったり、それらは、あくまで、
薪の本燃焼を得る為の途中経過の「手段」
でしかない。
ここ、かなり大切。

2016年の日記から。
自作アルコールバーナー使って、やってる
ねえ〜。
ブッシュクラフトという単語を使い始めて
既に4年目の頃。
よく「〜歴」という言い回しがあるが、
そんなのは意味のない事だ。
キャンプ歴、などと言うのなら、私など
はキャンプ歴53年になってしまうし、
幼稚園時代にも行ってたキャンプまで
入れると今年で歴56年になってしまう。
一応、自分一人で薪を割ったのが1968年
8月であるので(その夜、富士山のふもと
でUFOを集団で観た。大騒ぎになった)、
そこを自分のキャンプ開始年度とすると
歴53年になる。
しかし、歴何年とかはどんなジャンルでも
意味がない。
出来る奴は初年度からぶっちぎるし、出来
ない奴は何年やっても冴えない。
しかし、楽しむ事を主体に置いたものは、
「歴何年」という概念でベテラン的に括る
のは適切な判断とは言えない。
バイクなどが良い例で、何年乗ってようが
下手は下手なままだ。
しかし、楽しみながらやるのであれば、そ
れは下手だろうが何だろうが関係ない。
怪我なく、末長く楽しめればそれで良い。
ただし、火の扱いというのは、やればやる
程慣れて来る。
それは自然と熟練してくるからだ。
これは誰がやってもそうなる。
長くやっている者が火の扱い方がこなれて
いる。
そういうのを見ていると、人類なんだな
あ、と感じる。

ニット帽は暖かい。
画像の私のこれは軍帽だが、ニット帽は
ゆるすぎてもいけないし、きつすぎても
血流の関係からよくない。
冬場はニット帽が快適だ。
これも被り方ひとつでいろいろな事ができ
るので楽しめる。






伝説となっていたヤッキー復活は嬉しい。
実際に食べるもさらに美味くなったと思
う。
あとスパチキとチキチーもいけるぜ。
それと、シャカチキね。
エグチは名前がトレンディーだが(笑)、
私がおばさんになっても食べられるか。
こちらはまだ試していない。
とにかく、ヤッキーがおすすめよ。
ネーミングの印象は食えたもんじゃない
けど、ヤッキーはヤッキー。こら美味い。
復活したヤッキー。
期間限定、お早めに。
「小腹、別腹、いろんな腹に」との
ことです。
詰め腹、追い腹、陰腹とか、いろんな
のあるよね(笑)。
腹腹時計というのもあったけど、禁句
だ。
「小腹、別腹、いろんな腹に」との
ことです。
詰め腹、追い腹、陰腹とか、いろんな
のあるよね(笑)。
腹腹時計というのもあったけど、禁句
だ。

『ノウイング』(2009)
人類は太陽フレアにより、あっという間
に全滅する。
多分、人類絶滅の瞬間はこんな感じだろ
う。
この作品では、二名の地球人の子どものみ
が宇宙人に救出されて別な惑星に降ろされ
る。
しかし、幼い男女だけで、食料確保とか
どうするのだろう?(笑)
彼らが新人類のアダムとイブらしいのだ
が、こりゃ生存無理だっぺよー(笑)。
映像効果はとても美しい。
ニコラス・ケイジの演技もいい。

次のは史上最低レベルでしどい映画。
『インディペンデンスデイ 2016』


アメリカ人は独立が好きらしく、毎年この
「インディペンデンスデイ」という冠を付
けた映画が作られる。
毎年独立してたら世話ねえや、とも思う
が、この「2016」は取り分けひどい。
シナリオもひどけりゃ撮影も映像もひど
い。
こんな超絶Z級は久しぶりに観た。
これ、あかんやつ。

大西部大アメリカの夢。
それはルート66に代表される。

ルート66は、単なる「道」の意味を超えて

ルート66は、単なる「道」の意味を超えて
アメリカ人に親しまれている。

ちなみに、日本の国道66号は?
それは無い。
日本は59から100までは国道番号が付与
されていない。国道66号というのは存在
しない。
しかし、この大西部のルート66。
走ってて飽きないのかなあ。

あー。飽きない、飽きない(笑)。
こりゃ66ポーズか?
ちゃんねーたち、楽しんでるなー。


ベガスからロスまで。

270マイルだ。かなり近い。
州間高速インターステート15をズドンで
ドカンだ。




ちなみに日本で国道15号というとイチコク
のことだ。日本一短い国道(笑)。
俺ら京浜地帯野郎には馴染み深い。
隣りの国道1号線のことはニ国と呼ぶ。
カッ飛びならイチコクよりニコクだ。
「夜霧の第二国道」ね。ルート1の東海道。
横浜鶴見から東京杉並新高円寺まで17分
で着いた事がある。急ぎはニコク。
イチコクは混んでる。
但し、高速度走行は12点一発加点もある
ので。累積あれば一発取り消しとなる。

横浜鶴見のニ国ルート1の上の響橋。
地元では眼鏡橋と呼ばれている。
この上の高台に住んでいた。
近所には映画『陽のあたる坂道』のロケ地
もあった。


「ほんと芦毛が好きよねえ」
妻と競馬を観ていると言われる。
芦毛の馬が好きである。
それは、芦毛が私には鋼色に見えるから。
そして、歳と共にだんだん白くなって行く
のも好きだ。
白毛は生まれた時から白いが、芦毛は重ね
た歳と共に色が変わるのが見ていて楽し
い。
私が芦毛を決定的に好きになったのは、
オグリキャップからだ。
本当はヤエノムテキやメジロライアンが
好きだった。というか推していた。
だが、心奪われたのはオグリキャップだ
った。
特に1990年の有馬記念ではまじで泣いた。
オグリはもうだめだとか世間で見捨てられ
つつある中、第35回有馬記念でのオグリ
の不死鳥のような復活は、本当に涙した。
この武豊のウルトラ前傾姿勢の気合いの
入れよう。
もう、前見ていないのではという程の前傾
フォームだ。

オグリキャップこそは、競馬を単なる
バクチから「お馬さんの競争」として
日本国内に知らしめた歴史的な馬だ。
それはシンザンでもハイセイコーでも
ない。
オグリキャップと武豊こそが、日本人の
多くの人たちに「競馬」を広めた功労者
だった。街の若い女の子でさえオグリ
キャップと武豊の名前を知るようになっ
た。あと、二代目貴乃花(笑)。若貴が
大相撲を観る女性を日本で生み出した。
オグリキャップは、多くの人たちが一生
心の中から消えない史上最高の「記憶に
残る馬」で間違いないと思う。
涙無くしては語れないテンポイントの悲劇
のような事にはならなくて良かったと、私
は思っている。

「汚れた英雄」北野晶夫のような走りを
見せる1990年度最終戦第35回有馬記念
でのオグリキャップ。

根岸競馬場跡地。現根岸森林公園。
かつて横浜競馬場と呼ばれた。
幕末の1866年に外国人向け遊興地として
根岸競馬場が開かれた。

一周2400mの本格的コースだ。

江戸時代の1866年から1942年に戦争に

一周2400mの本格的コースだ。

江戸時代の1866年から1942年に戦争に
より閉鎖されるまで競馬場として機能し
た。一等馬見所の建造物が威風を示す。

戦後は米軍に接収され、何度も返還交渉

戦後は米軍に接収され、何度も返還交渉
をしてようやく日本に戻った。

そして、一等馬見所の建造物は政府指定

そして、一等馬見所の建造物は政府指定
の遺跡となったが、一切修復工事はされ
ず、野ざらしの手付かずのまま廃虚のよう
に朽ち果てて行っている。
日本政府はこの貴重な遺産をパルテノン
神殿のようにしようと思っているのだろ
うか。


横浜住まいの時はちょくちょく行ってた
が、最後に競馬場跡地に行ったのは2005
年だった。弁当持って行ってみんべと行っ
てホゲホゲとただ飯食って寝っ転がって
た。
ちょい乗りバイク外出場所としてもおすす
め。山手の高台にある。
あの山手の高台は、路地裏に亘るまで私
は全て走った。全網羅。横浜らしい地形と
雰囲気で面白いエリアだ。

横浜いこいのスポット。ここはおすすめ。

似たように廃止された競馬場に、私の生
まれた場所のほんのそばに「目黒競馬場」
があった。
こちらは1907年に開始され、1933年まで
存続した競馬場だ。

一周1600mのマイルコース。

何といっても、1932年4月24日に第一回
日本ダービーが開催された事が歴史的だ。

ここの跡地はもう学生時代から社会人に
なってからも嫌という程通った。目黒通り
ぞいだからだ。やたらめったら通った。
最後に通ったのは2018年だが、馴染みの
の東急バスはここを通る。
かつては碑文谷に碑文谷デニーズがあって
よく行ったが、いつの間にか無くなってし
まった。
目黒通りの環七付近は、その頃は中央分離
ガードレールが設置されていなかった。
目の前で起きた女の子のバイク乗りの即死
事故以降、分離ガードレールが設置され
た。急にUターンした同一車線の車に激突
して、死んでしまった悲惨な事故だった。
一緒にいたバイク乗りの弁護士と目の前
で目撃した。救急車をすぐ目の前のヒモ
デニからうちらが呼んだが、残念ながら
女性は亡くなった。
その場所は、今でも通るたびに思いが浮
かぶ。
