渓流詩人の徒然日記

知恵の浅い僕らは僕らの所有でないところの時の中を迷う(パンセ) 渓流詩人の徒然日記 ~since May, 2003~

大刀帯刀の際の武士の下緒さばき

2021年04月26日 | open
この大刀の下緒の鞘掛けは江戸期方式
だが、端を袴紐に結束するのは昭和期の
特定連盟団体の昭和新方式。それはあく
までも現存団体規定の規則としての所作
事の範疇であり、江戸期の武家作法とは
合致しない。
 
純然たる江戸期の武士の帯刀様式。
大小二刀を帯に差し、大刀の下緒は鞘に
掛けて下に垂らす。大刀下緒の先端は袴
紐には結束しない。
この作法は江戸城内で「大刀の代わり」
という概念で設定された「小さ刀(短く
とも脇差という概念ではない。脇では
なく、本)」のみにおける下緒さばきでも
この様式が法度により踏襲された。
武家作法には格式ばった決まり事がある。
 
従五位下目見得以上の武家の千代田城へ
の登城平服。肩衣に長袴。家の格式と
行事により事細かく服装が決められてい
た。

刀の金具は赤銅限定、三所物は後藤家の
作等、細かい決め事があった。赤鞘、角鍔
使用などは武家は禁止だ。平侍に至るま
で、赤鞘、角鍔、髭面は元和以降一切禁
止。違反すると即取り締まられて、下手
すれば腹を切らされる。決まり事の幕法
を守らぬからだ。
武家には着装について、登城時、平時勤務
時でも、素材、色、刀の金具等の選択の
自由は一切認めれていない。
唯一の自由は、刀剣の作者選択の自由で
ある。(村正作以外)
差料は主として古刀が武家には好まれた。

『猫侍』(2013年)。
時代設定、寛政年間。
この時代に実在しない下緒さばきをして
いる。
 
まるでグルメドラマのような独白が
多い、なかなか面白いコメディ時代劇
『猫侍』。
主人公の元金沢藩剣術指南役はB型
おとめ座だ(笑)。
元々コメディなので、細かい事を言っ
ても始まらないが、最初の2013年の
作品では出鱈目な日本刀の下緒さばき
をして
いた。大藩の元剣術指南役が。

だが、2015年の「猫侍 2」からは、
コメディ
時代劇ながらきちんとした
着装の時代考証
に基づく大刀の下緒
さばきに転じて
いる。


大刀の下緒はきちんと鞘賭けしている。
端っこは袴紐には結束はせず、武士の
旅支度のように挟み込んでいる。


その後の『猫侍 南の島へ行く』(2015)
でも、鞘掛け下緒さばきにしている。
最近の時代劇は着装が出鱈目で、武士が
大刀の下緒を木枯らし紋次郎の長ドスの
下緒のように前垂らし右回しという着装で
登場する間違った描写が多く観られるが、
それは江戸期には武士の姿としては存在
しない。
必ず武士は大刀の下緒は巻かない伸ばし
た場合には鞘掛けをする。
それは、甲冑着用の際の緒さばき法から
の流れにあるからだ。だらんぶらんと
栗形から直に真下に前かけのように
下緒を垂らして右に回して端を袴紐や帯
締め込むなどという作法は武家には
存在しない。
現代様式でのそのような特殊な下緒の
さばき方は中山博道氏がそれまでの道統
とは別に個別に開始した。昭和10年の
写真では既に確認できる。大刀一刀
のみ
の刀法なので、その江戸期には
無かった
新規軸の方法を新規考案
たの
だろう。
大刀の下緒の前垂らし右回し袴紐結束は、
昭和時代に発生した新方式なのである。
なお、横引き納刀は中山氏の弟子が戦後
に発案した。古式の太刀さばき法を帯
す大刀でやってみる方式だ。師で
ある
中山氏にどうかとお伺いを立て
ている。
中山氏は、「稽古の為ならばよいだろう」
と答えた事が氏の口述録に残っている。
それが、いつの間にか、その刀身横寝かし
の横引き納刀法が中山系のスタンダード
デフォルトになってしまい、江戸期から
その納刀法があったかという誤認が国内
で広まった。
脇差を差しているので、二刀差しでは横
引き横寝かし納刀はできない。その納刀
は一刀用だ。新陰流も土佐藩流抜刀術も、
江戸期は武士は全て刃を上にした縦納刀
である。一般剣術流派もすべてそれ。
日本剣道形では、日本の剣道は幕末期の
一刀流の流れなので、真剣刃引を用いる
形演武では、縦納刀を行なう。それが
江戸
期の武士の刀法所作だったからだ。
(ただし、下緒は省略して鞘に装着させて
いない)

時代物映像表現作品におけるこうした事
は、時代劇では、たとえコメディであろう
とも史実に正確に即してやったほうがよ
い。
暴れん坊将軍のバックに江戸城天守が
そびえている、とかいうのが茶の間では
ウケるようだが、ファンタジーだろうと、
天守ではなく東京タワーが後ろにあった
おかしいのと同じことをやらかして
いる。
だが、存外作り手も視聴者も頓着しない。
しかし、江戸初期の武士がブーツをはいて
いたり、芸者がピンヒールのハイヒールを
はいていたら、やはりおかしいのだ。
しかも、暴れん坊のバックは江戸城
では
なくて姫路城だし(笑
大雑把にやり過ぎだろう。
『猫侍』については、シーズン1および
第一作映画から次のシーズンの2年の
間に、下緒さばきについての錯誤が
正規に修正される何らかの改革的で前向
きな内部のアクションが製作スタッフに
あったのだろう。
時代劇製作にあっては、良い傾向だと
思う。

『猫侍 南の島へ行く』(2015年)

ヤング ストマック

2021年04月25日 | open




若い人って、食うねえ〜。
しこたまインドカレーだってさ。
それで全然デブチンではないのだから
なあ。

どでかナンもおかわりだそうな。


デザートはシシ鍋だって。
どういう胃袋なんだか。

こちらはホントのデザートだそうです。
うちらのお約束ポーズ。


山陰の海と山

2021年04月25日 | open


西の走り仲間たちはこの土日、山陰エリア
を満喫して来たとのことだ。
なんか、すげーとこ。

これまた、壮観。元乃隅稲荷神社ですね。
長門市の西方。
アメリカCNNが選んだ「世界でもっとも
美しい場所31選」の中に入っているらし
い。



山穏やかにして空碧し。
いいね〜。



街の風景

2021年04月25日 | open


なんとなく、街っぽい。

2021年04月25日 | open


兎の姿がよく見える月の明るい夕暮れ
である。

ハンバーガー

2021年04月25日 | open


山降りて美味い店にハンバーガーを食べ
に行く。
このバーガー、直径15センチくらいある。


ど晴れ

2021年04月25日 | open


夜明けまで映画観ていて、昼前に目覚め
たら、ど晴れだった。

映画『時をかける少女』(1997年)

2021年04月24日 | open


『時をかける少女』(1997年)
監督:角川春樹

とてつもないキャストを要して
角川グループとは一切関係なく
角川春樹が製作した「時かけ」だ。
全編モノクロ。
最近ではカラー以外の映画を観る
ことができない、辛いとかいう人
が増えているようだが、それは
映画を観たいのではなく、単に娯楽
映像を見たいからだろう。
過去の名作映画はすべてモノクロで
あるし、またカラー時代にあっても
あえてモノクロで撮った名作は数
知れず存在する。
きっと、モノクロを観る事ができ
ない人たちは、映画作品の名作は
一切観ない人たちなのだろう。

オープニングのナレーションが非常に
巧い。誰だ?と思ったら原田知世が
主人公の回想シーンでナレーションを
していた。
そして、舞台設定は1965年4月だ。
これは原作忠実踏襲かと期待した。

撮影ロケは長野県の進学校の県立深志
高校だ。本郷の安田講堂のような建築
デザインの校舎の入り口。歴史が古い
学舎にはこの手の建築が多い。
うちの高校の学園女子高もこのような
校舎の入り口だったが、今はどうかは
よく知らない。




作品開始後、ほんの数分で、「この
作品あかんやつかも」と思った。
主人公の芳山君の後ろの男子生徒が
マジソンバッグを持っている。


マジソンバッグの地球上での誕生は
1968年、日本への渡来は1970年代に
入ってからである。主として1973年
中半以降に日本の大学生・高校生・
中学生の間で大流行した。
昭和40年-1965年にこのマジソン
バッグを登場させる時点で、時代
考証まる無視のファンタジーである
ことが初っ端から露見してしまって
いる。
それとなく昔流行した物を出せば
昔風だろう、という出鱈目な安直
な姿勢が露呈している。
ということは原作のニュアンスを
大幅に無視した作品である可能性が
高い。

この間違いは『時をかける少女 2010』
でもやらかしている。
1974年当時に間違ってタイムスリップ
してしまうのだが、そこで仲里依紗が
観た自分の母親の高校生はマフラーを
輪っかに入れる通称「サブちゃん巻き」
をしていたのだ。
これは、東京地方で『前略おふくろ様』
(1975~)で萩原健一さん演じる板前
サブが常にやっていたから流行った。
1974年時点ではそのマフラーの巻き方
は登場していない。
戦時中に「まちこ巻き」があったら
おかしいでしょう?というのと同じ。
南北戦争時代にコルトSAAが出て来た
らおかしいでしょう?
戦国時代に出刃包丁や菜切り包丁が
登場する漫画はマンガでしかないで
しょうよ、というファンタジーの類。
畳表切りは、中村泰三郎氏の弟子で
日本刀小林康宏の試刀家だった小幡
利城氏が昭和時代に考案したもので
あり、江戸期に畳表巻き切りが出て
きたり、イグサの畳表のことを巻き藁
とか呼んだりするのは、とてつもなく
珍妙なことでしょう?という類。

映像作品や小説、コミック等で時代物
を描く人たちは、時代設定は極めて
厳密にやらないとならない。
特に、描く時代に存在しない物を
描いてしまうと、それはSFになって
しまう。
源平合戦の頃の武将の隊列に火縄銃が
出てきてドンパチやらかす描写を描い
たとしたら、それはさてどうですか?
という話なのである。
うっかり八兵衛が言いそうな「ご隠居、
チャンスです」じゃないんだから。
演劇や映像作品や時代小説等では、
過去の時代劇であっても言葉遣いは
現代言葉で台詞を構成するが、その
際にも、現代人の流行り言葉は使う
事はやってはならない。
「バッチグー!こいつぁホームラン
だぜい!」なんてのを日本の時代劇
でやったり、1960年代の高校生が
「イケメン」とか「w」とか「草」
とか使う描写があってはならないの
だ。
作品を書いたり描いたり撮ったりする
人のそれは義務だ。

この角川春樹監督版、『時をかける
少女』(1997)は、開始早々一気に
全編を観る気力が萎えた。
そのうち気が向いたら継続して観る
ことにする。オープニングは大いに
期待させた。ほんの数分は。
だが、史上最悪にくそつまらな過ぎて
(描写が出鱈目過ぎて)観るのを途中
で停止したのは北野武の『座頭市』
以来だ。
本作は、気力充実させてから観ようと

思う。
そういう映画の観方って、どうかとは
思うが。




映画『暴走パニック 大激突』(1976年)

2021年04月24日 | open


『暴走パニック 大激突』(1976)
監督:深作欣二

銀行強盗の犯人の情婦のホステス役の
杉本美樹さんが薄幸の情婦役をとても
よい演技で演じている。
杉本さんは『温泉すっぽん芸者』
(1972)でもバイクに乗る芸者を好演
していた。
『赫い髪の女』(1979年/神代辰巳監督)
の宮下順子さんのような役どころ。

一方、『新・ハレンチ学園』(1971年)
で主役の柳生十兵衛みつ子を児島美ゆき
に代わって二代目十兵衛として演じた
渡辺やよいさん(当時18才)も本作では
婦人警官役で味のある演技をしている。

日本で女性で初めてコンドームのCMに
19才で
出演した革命的女優さん。


当時の女優さんは、作品の中で乳を見せ
ることもいとわない。
『暴走パニック 大激突』では、杉本さん
ももろ肌脱いでの熱演をしている。
彼女の演技が迫真なので、観ていて辛く
なるほどだ。

自分が慕う銀行強盗渡瀬恒彦が自分を
捨てて海外に逃亡すると知って、自殺
未遂を計った女。
それを瀕死の場面で助ける主人公。
渡瀬恒彦さんの演技がまたすごくいい。
この映画、まるで原作が中上健次の
小説のように心をえぐるタッチの作品
となっている。



物語は、スナックに努めるバーテンダー
の渡瀬恒彦と工員の小林稔二の二人組
が全国で銀行強盗を続けるところから
始まる。
撮影は1975年だが、当時は実在の銀行
の名称がそのまま使用され、撮影もその
銀行で行なわれていた。
何度も成功し、ブラジルへの高飛びを
計画していた二人だが、第一勧銀を
襲撃して逃げる際、主人公の相棒の
小林稔二がバイクに跳ねられ、直後に
トラックに轢かれて即死してしまう。
それから、小林稔二の兄の極道に渡瀬
恒彦はつきまとわれて狙われる。理由
は、強奪した金をよこせ、というもの
だった。拳銃を突き付けられて。
渡瀬は、逃亡するが、かつて客に絡ま
れた時に助けた身持ちの悪いホステス
に慕われ、その女も主人公から離れ
ない。海外へ高飛びの前に立ち寄った
故郷(高知か)にまで女を連れて行っ

た。
やがて、逃走劇は、一度主人公を取り
逃がした好色な平警官の川谷拓三を
巻きこんでの車での追走劇となる。
それを
発見した死んだ弟の兄の極道
(室田
日出夫)もレッカー車で追跡
する。

途中、殺人事件を犯して逃亡していた
自動車整備工の若者が、殺した資産家
から盗んだ車に激突させた室田に驚き、
激怒しながら追跡に加わる。
4台での暴走チェイスの際に、警官
川谷は目の前に飛び出した殺人犯の
若者を跳ね飛ばして即死させる。
それを目撃した市民の主婦ややくざ
が「警察が人はねよった!」と警官
川谷の暴走パトカーを追跡しはじめる。
「あんなん許したらあかん。警察
から金取ったる」と言いながら。
二輪の暴走族がマスコミMHKの取材
を路上で受けていたが、警官川谷は
さらにバイクの若者一人をバイクごと
跳ね飛ばして
また即死させる。
しかし、追走をやめない。

「おんどれぁ!どきさらせ!ゴルァ!」
と叫びながら警官川谷は銀行強盗を
追う。

二輪暴走族も即座にパトカーを追い
始める。
追走者たちが増え、とんでもない数の
車両が全員ぶつかり合いながら「どけ!
なにさらすんじゃ!ボケ!」と罵り
ながら大阪を爆走する状態になった。
必死に渡瀬たちは臨海沿岸部まで逃げて
来たが、機動隊が
阻止線を張っていた。
それも激突突破して逃げる銀行強盗。
やがて埋め立て地では機動隊までもが
追走に加わり、暴走パニックの大激突
状態になる。
車両は何台も衝突し、横転し、爆発
し、死傷者が多発した。
追う警官川谷の車も乗り上げてストップ
するが、駆け付けた応援部隊のパトカー
を暴力で奪って追走を再開する。
すでに警官川谷は二人を即死させている。
取材中止命令を受けた温厚なアナウンサー
も取材中止にぶち切れて、取材バスを
乗っ取り、パトカーなどにぶつけながら
「どけ、どかんかい!」と激怒しながら
追走に加わっている。
埋め立て地は最後は消防車と救急車まで
追走に加わる極限大パニックとなった。
追走参加者は、逃げるは主人公と愛人の
二人、追うは拳銃を乱射した室田、人を
二人跳ね殺した警官川谷、一般警官

パトカー数台、市民の車数台、ヤクザ

の車、消防車、救急車、マスコミ車、
駆け足の機動隊、駆け足の制服警官隊。
警官たちもが参加するまでの暴動状態
となった。
さて、主人公と愛人の二人は逃げられる
のだろうか。
という物語。


中半からは『俺たちに明日はない』と
『明日に向かって撃て』を合わせた
ような劇調になっている。
ただ、この映画、特徴がある。
かなりシリアスな描写で撮られている
のだが、人が人を殺したりすることを
何事もないように描いている。
これは深作監督が太平洋戦争で経験した
事による。
ごく普通の人間である仲間が人殺しを
し、そしてどんどん死んで行く。その
現場にいた。深作監督の心の中にある
のは、人の死の日常を映画で描き、
人の狂気と心の真実を生涯描き切る事
だった。
綺麗事の平和や博愛ではない、人の
真の姿を描く事に深作監督は生き残っ
てしまった自分の残りの生涯を捧げた。

この作品、かなり観応えがある。


がんすバーガー

2021年04月24日 | open


広島限定。
がんすバーガー。
うまし!
魚肉ハムカツみたいなもんなんですけど
ね。



サムシングNOW 〜クリームソーダ〜

2021年04月24日 | open

BLACK CATS
80's 
TV サムシングNOW
CREAM SODA


こんなの出てきた
う〜ん。40年前(笑


サムシングNOW - Wikipedia

ブラックキャッツの曲ではこの曲が
めちゃくちゃいい。楽曲としても名曲
なのでは。

作曲担当は伝説のNOBODYだ。
抱きしめてクレイジーナイト
ー BLACK CATS ー



謎大き備後安芸の国境

2021年04月24日 | open


律令時代の古代山陽道の現在の三原市内
エリアには謎が多い。
まず、決められた区間内になければなら
ない駅家(うまや)が記紀の記載から外さ
れている事。
そのエリアは古代製鉄と密接な関係があっ
ただろう遺跡や地名に満ちている事。(国内
最古の製鉄遺跡あり)
その名称不明の駅家から一つ下った駅家の
「真良(しんら)」地区は、古代製鉄の材料
である赤土が豊富である事。
真良から南は古墳群である事。(王権ある
所、鐵あり)
真良地区南部には「カナホリ」と呼ばれた
地区があり、その山は古い露天掘り遺構が
点在している事。

三原の古代山陽道沿線は謎だらけ。
そして古墳群隣接の山はソブだらけ。




三原紀行 〜近世山陽道を西に行く〜

2021年04月23日 | open


江戸期の近世山陽道=西国海道を
三原城下から西進する。
江戸期、現在の三原市街地西部の
住宅街(宮浦、皆実、宮沖)は
浅瀬の海のデルタ地帯だったので
道はない。
古代山陽道は山の中だが、近世
五街道の山陽道は三原城下を抜け
て、海に沿う山すそぞいの小さな
峠を抜けて本郷高山城方面に向かい、
真良(しんら)集落で古代山陽道
と合流してから南進する。

三原城下付農村部である現在の
三原市西野の坂を登って行くと
井屋峠という峠にさしかかる。
三原城下から西に進むと最初に
つきあたる山中の峠だ。
三原城=JR三原駅のある場所は、
三原城築城までは東北西を山に
囲まれた海に面した寒村であり、
殆ど人は住んではいなかった。
谷津である狭い谷沿いにはいく
つかの村民家があったが、数える
ほどだった。ウルトラ僻地で
人が住むような地形の場所では
なかった。
しかし、水軍を引き込むための
海上要塞都市としては最適の地形
であり、そのために毛利一門の
小早川隆景は水軍運用城として
海上に三原城という城郭都市を
戦国時代末期に建設した。
東の尾道からも、北の出雲方面
からも、西の西国方面からも
三原城へ到達するには道なき道
を通って山越えをしなければなら
ない。非常に攻めにくい城だった
事だろう。
三原城が出来た時、まだ広島城
は出現しておらず、現在の広島市
の前身の場所も、いくつもの川
にできた無数の中州の広い島が
点在しているだけのデルタ地帯
だった。人口も三原地方よりも
すこしまし、という程度だった。
日本は、武士が建設した城により
そこに城下町が出来て、人が各地
から集まり、町として人口が増加
して発展した。都以外はそうである。
その方式を日本で初めて実行した
のは織田信長だった。
21世紀の現在、各都道府県の庁舎
所在地は、ほぼすべて等しく地方
自治体の旧国の城下町となっている。
(埼玉県などのような例外もあり)
江戸期幕末でさえ日本人の人口は
3,000万人しかおらず、これは平安
時代からさして変わっていなかった。
日本の人口が爆発的に増えたのは
明治以降のことだ。
日本は城ありて町ができ、人が
集まってきて各地で都市となった
歴史がある。
米を生産する農村地帯が都市とは
ならない。

近世山陽道の三原から初めての西
の峠「井屋峠」は、かつてはつづら
折れの山道だったのだろう。

頂上からの下り西方面を見る。


この峠は、昭和2年(1927年)に
大改修されている。








現在拡幅工事中であるが、神奈川県の
鎌倉のような切通となっているエリア
だ。たぶん、昭和2年時は、切通を
作ったのではなかろうか。
鎌倉の場合は、鎌倉時代に多くの切
遠が作られた。


旧山陽道を西進すると、「沼田(ぬた)」
という集落の交差点に出る。
ここは江戸期から一つの道しるべと
なっている場所だ。




現在の三原市沼田は面白い区割りで、
四方を山に囲まれた狭い十文字の谷津
がその町名エリアになっている。
本谷川というぼさ川に沿って細長く
南北に伸びた区割りだ。


交差点から旧山陽道の西を見る。
この先、もう一つ峠を越えて下れば
古代山陽道の駅家(うまや)があった
真良(しんら)集落に出る。
そこらは古墳群エリアとなる。




交差点から山陽道を東に見る。
この先に井屋峠がある。


交差点から北を見る。数キロ先は車両通行
止めの林道になっている。
私は20年程前に、行けるところまで徒歩
で行ってみたが、コンパスと装備を持って
いなかったため6キロほど歩いてから引き
返した。向こうに見える山の天辺は超えて
いた。


交差点から本谷川沿いに南を見る。
「弘化五戊申春 祈谷中安全」と
掘られた灯篭がある。
道の灯台ともいうべき道標だろう。
弘化5年は西暦1848年にあたる。
幕末動乱時代にハタチ前後だった
人たちが生まれた頃。弘化の前は
天保、国内経済大混乱の時代だ。
弘化の後は嘉永。嘉永は黒船来航

の時代。そこから一気に20年程で
江戸期が終焉に向かう。



173年前の石灯籠。風雨に曝され
ながらも現存している。


東側側面。
「奉燈 金毘羅大権現」と彫られている。
金毘羅権現は修験道と山岳信仰が融合
した神仏習合の神の事。


石灯籠の横に三原市教育委員会による
この地方の奇祭についての歴史説明
看板がある。


教育委員会では「ちんこんかん」は
雨ごい祭りだとする説に拠っている。
しかし、なぜ鬼が出てきて金物を
打ち鳴らすのかについての言及は
無い。昭和34年(1959年)頃には、
古代製鉄研究は日本国内ではかなり
未発達だったし、民俗学も然りだった。
ひどいのは三角寛のサンカ論述発表で、
あのような捏造がまかり通っていた。
この「ちんこんかん」についても、
江戸期の史書などを根拠にするだけ
では何ら歴史の真実には迫れない。

ただ、「ちんこんかん」については、
三原市は江戸期の判断を踏襲して
いるだけであり、齟齬や誤謬とは
いえない。だが、ちんこんかんの発生
原因は何であるかについては、鬼と
の関係性を文献史学だけでなく民俗学
的見地からも説明できない限り、歴史
的な考察としては不十分であるといえ
る事は確かだろう。



旧山陽道を沼田交差点にて左折し、
本谷川に沿って南下する。
このエリアは、沼田荘の地区であり、
現在の沼田川の南に広がる田園地帯
の沼田東、沼田西とはかなり離れる。
沼田にはアキノクニノミヤツコとは
別にヌタノクニノミヤツコがいたと
する説もある。
そうでなくば、この近隣エリアの
古墳群形成を説明できない。
どこのだれだか皆目不明である
在地の豪族勢力、古代の地方の「王」
がいたことは確かであり、国造が
古墳造営主の末裔と密接不可分の
関係にあることを鑑みれば、吉備国
の外れから沼田・安芸の東端のこの
エリアには一体どの王族がいたのか、
という問題が浮上して来る。
ただ、明らかなのは、どこの誰だか
わからぬ勢力の古墳群が大量にこの
エリアに集中して存在していると
いうことが判っているのみなのだ。

鴨が2羽水辺で餌をついばんでいる。
模様が先日別場所で見た2羽のように
見える。






何度も首を水中に突っ込んで何かを
食べている。水生昆虫だろう。


実にのどかで良いところだ。これは休憩の
穴場だ。


下流方面の沼田小学校に向けては、ぼさ
が増え、水量が極端に減っている。




数百メートル下って下流方面を見る。
伏流水にでもなったのかと思えるほど
に水が流れていない。


まるで枯れ川。
しかし、さらに下流に行くと水が現れて
沼田川に合流する。どうなっているのか。


沼田川合流手前の地区。ここまで来ると、
水が流れている。
右側下流、左側上流。
川の右岸は護岸されているが、左岸は
自然の岸辺のままだ。


新倉地区を抜けて国道2号線の側道を
東進すると、なにか一里塚のような
桜の植え込み土手の残存部を発見した。
全農三原支部燃料基地の前のS字コーナー
の地点にある。


これは何だろう。あきらかに土手。


上に登ってみる。
なにか旧道のようだ。
三原バイパスと国道2号線は大幅工事
により、このあたりの地形の造作が
昭和戦後の頃とはまるで異なるので、
この土手が何の土手かは今のところ
不明。
画像左手に見えるのが国道2号線三原
バイパスだ。


このポイントに謎の桜並木5本の土手が
ある。
これについても、後日古地図と照らし
合わせて調べてみたいと思う。
もしかすると、塩田の土手跡かも知れ
ない。

ドラマ『レイズド・バイ・ウルブス』

2021年04月23日 | open


『レイズド・バイ・ウルブス』(2020年)

リドリー・スコットだ。
超未来の地球と宇宙の物語。
地球は人類同士の殺し合いにより
消滅する。
消滅前に、わずかな人類と地球人の
良心を新世代で残そうとした男が
託した人間の受精卵と感情を持つ
アンドロイド2体が乗った一艇のみ
が地球を脱出した。
ミトラ教の地球人の乗る船は方舟と
呼ばれた宗教に精神が規定された種族
のみを地球外に運んだ。
一方アンドロイドは惑星ケプラー22b
に漂着し、人間の子を産み育てた。
アンドロイド「マザー」と「ファザー」
は、新たに生まれた人類の子を争いと
宗教の無い新人類として育てようと
していた。コロニーを作り、そこで
6人の子どもたちを育て、人間の代わり
にアンドロイドが母と父となり子ども
たちに新たな再生人類として人間教育
を施そうとしていた。
だが、そこに、かつて宗教戦争により
地球を消滅させた人類たちがやって
来た。
マザーは「殺人専用アンドロイド」で
あることに覚醒し、宗教人類の母船
に行き、来航人類を科学力の戦闘能力
で瞬時に細胞組織を破壊してせん滅する。
だが、ケプラー22bへの飛行艇での
帰還途中に、ケプラー22bに着陸して
生存していた子どもたちのグループを
発見する。
マザーは、事故で死亡した自分らの
子ども5人の代わりに、その子たちを
コロニーに連れて来て教育しようと
する。
だが、ミトラ教に精神が規定された
子どもたちは、マザーが育てた男の子
とは違い、無神論で人の共生と生存
を説くマザーとファザーに反発し、

なかなか馴染まない。
どうやらミトラ教は、人間の猜疑心と

嫉妬とに絡めとられ、悪魔の蛇の囁き
を素直に聞き、その囁きから来る邪心
を増幅させる宗教のようだ。言っている
ことは金科玉条の綺麗事だが。

ケプラー22bに生息していた凶暴な
動物の登場もあり、マザーのコロニー
の住人たちは危険に脅かされる。
マザーはファーザーと協力して、子ども
たちに自分たちが機能停止しても自活
できる生存の術を教育し始める。
そこに、マザーによる母船破壊から
免れた武装した宗教人類たちが忍び
寄って来た。

『エイリアン』『ブレード・ランナー』
のリドリー・スコット作品である。
実に恐ろしく、そして、テーマが深い。
本作は私はネット配信されている
シーズン1を全て観た。
かなり深いテーマに引き込まれる。
善悪だけでは語れない人間の尊厳と
生と死。
リドリー・スコット監督が生涯描き
続けているテーマだ。

ドキューン!バキューン!ドテ、ポキ、
グシャ!
で「エイドリアーン!」と叫ぶ
のが映画
だとか、危機になったら騎兵隊
が駆け
つけて「悪い」インディアンを
皆殺しに
したり、悪い奴らは全員テロリ
ストだ、
とかがお好みの人たち以外の
人たち向け作品。
現在、動画配信ネットU-NEXTでシーズン

1を配信中。


古墳群

2021年04月23日 | open


広島県三原市には縄文弥生遺跡も多いが、
古墳群もかなりある。
私は古代史は専門外だが、身近に古墳群
が存在して、古代史を学ばない手はない
と思っている。
興味の焦眉は、古代産鉄と律令制度前史
との関係だ。
私個人は日本刀研究者の大村紀征先生とは
プライベートでは極めて昵懇ながら、古代
産鉄の件については材料輸入の舶載鉄主体
論には疑問がある。
ただ、日本の製鉄が6世紀以降からとする
日本の大本営発表には大いに疑義がある点
では大村先生と同見解を持つ。
現行歴史編纂者が創りたい鉄の歴史、それ
は白い鉄=砂鉄製鉄限定の皇国史観で
しょ?と。
古代前史の赤土から鐵を作る歴史を無視し
ようとする国家的見解は、大王一派が各地
の産鉄民を制圧して技術を簒奪して確立し
た砂鉄製鉄、つまり「白の神社」による
赤色褐鉄鉱、赤土からの製鉄という縄文
弥生時代から続く前古代時代の「赤の文化
=のちの赤の神社」を粉砕併合していった
この国の歴史を自己唯一主義で糊塗したい
ものだ、と。
これは日本の神社にはなぜ白と赤があり、
赤系はなぜヤマト中央と対立する勢力系
であったのかとも深く関わる。
そして、律令制以前の古代産鉄民の象徴
である鬼には、なぜ赤鬼と青鬼がいるの
かとも。鬼の日本史はまさに鉄の日本史
なんだよね。

三原の古墳群のエリアの山々は面白いよ。
そこら中、超古代製鉄の原料の赤土だらけ
なの。湧水は真っ赤なソブだらけ。
そして、あたり一体はカネクサだらけだ。
さらに、地元の古老からは、書籍には記
されていない「カナホリ」の小字のエリア
がある事を直に聞いた。
そこは、かなり古い露天掘りの遺構跡が
窪地となって点在している。
その古老の話では、掘っては移動、掘って
は移動したのだろう、そのような形状の
遺構だ、とのことだった。
現地調査はまだしていない。

広島大学あたりの学部生か院生が本格的
な現地調査に乗り出したならば、かなり
大きな学術的発見が眠る宝庫だと思うの
だけどなあ。三原市西部古墳群エリアは。
特に超古代製鉄と古墳との関連性に絞り
込んで。古代人民統制史研究者たちとタッ
グ組まないと古代産鉄の歴史は見えて来
ないよ。己の所属する学会の権威主義に
浸っていては、決して謎は解かれない。
民俗学的分野とのコラボも絶対に必要だ。
同地区のチンコンカンなんて恰好の題材
だ。鬼の歴史については超古代産鉄と
密接な関係にある事は、沢史生先生の
著作で明らかにされただけではない。
吉備岡山の奇祭や古代史を見れば、見え
てくるものがある。
鉄を知るには、鉄だけ調べてもダメなん
だよね。分野の垣根を越える事に一歩
大胆に踏み出さないと。

将来、三原古墳群と備後西部沼田エリア
の前古代期産鉄の歴史的解明について、
そのテーマがアカデミックな専門家チー
の研究の遡上に上がる事を期待してやまな
い。
ちなみに、兜山古墳は、私の先祖筋の
小学校の校長だった者が発見した。

私があと40才若かったら、超古代製鉄の
歴史研究の為に大学に入り直したいくらい
よ(笑