ケン坊のこんな感じ。
キーボーディスト、川村ケンのブログです。




自転車に乗れるようになっても、長らく自分の自転車は持っていませんでした。

母親の、今で言う「ママチャリ」というものを借りて遊びにいってたんですが、この自転車には、少々辛い特徴があったんです。

ああいうタイプの自転車って、カゴが付いてますよね。色々入れられて便利ですしね。カゴがあるのはいいんです。

でもね、うちの自転車には、「物凄く巨大なカゴ」が付いていたんです。横長のね。

元々ではありません。父が、「たくさん買い物したときに良いだろう。こういうのは大きい方がいいんだ。」と付け替えてしまったものだったんです。昔ですから、タイヤが今のママチャリとは違って(今は24とか26インチがメインだと思いますが)14インチなんていう小さなもの。カゴの幅は、ゆうにハンドルの幅を越えていました。

僕が乗っていると、よく知らない人に、「あら?新聞配達してるの?偉いわね。」なんて言われたものです。ほんとに、しょっちゅう言われました。

友達と遊びにいっても、僕一人だけ、カゴが走っているようなもの。正直、「嫌だなぁ。恥ずかしいなぁ。」と思っていました。それでも、随分長いこと乗ってましたよ。2年とか、乗ってたような。

6年生になったある日、とうとう父に「自分の自転車が欲しいんだよね。」と切り出すと、「いいよ」と。「おー、言ってみるもんだ」と思ったのも束の間、「じゃ、来学期の成績で、5(←一番いいやつ)が○個以上だったら、買ってやるよ」といった交換条件が出されました。「・・・やっぱし。まー、そう簡単にはいくわけないよな」と、思いつつも、欲しい自転車の為なら頑張るしかないですからね、頑張りましたよ。ただ、一学期って、長いですよね。それから、まだまだ白い巨大カゴ自転車で「新聞配達?」と訊かれ続ける日々が続くのです。

そしてどうにか、僕は初めての自分の自転車を手にすることができました。待った甲斐があって、僕が欲しかった、当時はまだ友達の誰も乗っていなかった、オイルサスペンション付きの自転車。今で言う、マウンテンバイクみたいな感じかな。当然、カゴは付いて無かったです。

エアーじゃなくてオイル式だったから、自転車自体はすっごく重たかったけど、でも、段差を乗り越える時とか、ショックが吸収されるのが面白くて、それまで避けてた段差ばっかりをわざと選んで走ってました。段差をものともせずに走れるのって、当時は、画期的。気持ち良かったなー。もう昼間だけじゃ物足りなくて、夕食の後とかにも「ちょっとその辺、走ってくる」、なんて言ってね。

当時の僕の家には自転車が置けるスペースがなかったので、すぐ隣のマンションの駐輪場を借りることになって、柱と前のタイヤに、赤いビニールの巻いてある数字式のチェーンを通して、後ろのタイヤには、よくある自転車用の鍵も付けて、場所を決めて置いていました(駐輪場といっても、車庫と一緒になってるので、自転車は5台くらいしかなかったんです)。

ある日の午後。

学校から帰って、「さて今日も」と思って、駐輪場に行くと、自転車が、・・・無い。

「あれっ?」

まっさきに思ったのが、どこかに乗っていったまま、置き忘れたか、ということでした。でも、その考えは、ほぼ瞬時に否定できました。「それはない。だって、昨日の夜乗ったし。ちゃんと繋いだし、鍵も掛けたよな。」これは確信がありました。でも、無い。

そのまま家に戻り、悶々と考えました。「そんなはずはない」と。

ちゃんと置いたかとか、鍵を掛けたか、ということではありません。

「僕の自転車が盗まれるなんて事が起こるはずが無い」ということでした。でも現実には、自転車がなくなっている。何度も、見に行きました。

よく覚えているんですが、親にも言えず、「次見たら、自転車、あるんじゃないか?」と、本当に一日に何度も、「何かの間違いであってくれ」と、祈るような気持ちで、駐輪場を見に行きました。

一週間くらい経ったある夜、たまたま駐輪場を通ったらしい父に「おい、自転車が無いけど、どうした」と言われて、やっとそこで、自分でも現実を認めざるをえなくなりました。警察にも届け、警察官の方が駐輪場まで見に来てくれましたが、「なるほど。なら夜中にチェーンを切って、そのままトラックか何かに積んでいったんでしょう。」ということでした。

あの時、自転車が無くなったことも勿論、すごく悲しかったけど、それよりも「・・・そんなことする人が、実際にいるんだ」っていう怖さと、なんだかガッカリする思いの方が、はるかに強かったのを覚えています。その後、大人になって自分で買うまで、自分の自転車は持ちませんでした。また「買って」、とも言えず。

 

今月、静岡県で、地元のサーファーの方が、海で亡くなった女性サーファーへの追悼の意を込めて植えたチューリップ120本が切り取られた、というニュースを見ました。地面には踏みつけられ蕾が散らばっていたそうです。

福岡県でも、やはり今月、ボランティアの方々が植えたチューリップ2000本が、クルマで踏みつけられていたそうですし(こちら)、昨日、埼玉県では、商店街の人が植えたパンジー200本が引き抜かれていたそうです(こちら)。他にもスイセンやアジサイなど、今月に入ってから日本各地で、花の被害が相次いでいるとか(こちら)。

山口でソメイヨシノも被害にあったそうですが、こちらは「売ろうと思った」とのこと。許せませんが、まだ理由が・・・わかる。対して、チューリップやパンジーは・・・。

自分より弱いもの、しかも、文句も言わず、悲鳴もあげない、花に対して暴力を振るうとは。

寒々しい思いであれこれ考えていたら、あの自転車を盗まれた時の、怒りというよりも、「うそだろ?」という、体から力の抜けていく感じを思い出しました。でもまだ自転車なら、その後売るなり、自分で乗るなりの利用価値があるでしょうけど、・・・花って。

病んでるとか、おかしい、とかを通り越して、(最後のリンク先のニュースのコメントでも書かれていますが)これは相当に、危機的状況なんじゃないでしょうか。そこまでストレスを溜めて、しかもそれを花を踏み潰すことをはけ口としてしまう人をつくり出している、この社会が。思春期のイキがった不良たちが、勢いにまかせてやったならまだしも(ダメだけど)、もしそうじゃかなったら・・・なんて、これは考えすぎですかね。

花は、じっと黙って咲いて、決して誰の命も奪わないのにね。

可哀想に。

育てた人も、花を殺した人も。

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ちなみに、大人になってから買った自転車は、カゴ付きのママチャリでした。やっぱり、カゴはあったほうが何かと便利です。程よい大きさならね。今も持っていますが、全然乗ってあげてないな。たまには掃除だけでもしてあげなきゃね。

ではー。



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