ケン坊のこんな感じ。
キーボーディスト、川村ケンのブログです。




一昨日、大学の帰りに、電車の中で見たニュースです。

 

「画面には戦車に踏みにじられた子どもの死体が映っていた」

http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20141023-00059294-diamond-soci&p=1

パレスチナ問題(イスラエルのアラブへの攻撃)、ナチスのホロコースト、そして、アラブの男たち。

6ページありますが、難しい文章ではありませんので、よろしかったら。

僕も、一気に読みました。

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 行きたい国というよりも、今のこの時期だからこそ見たい国だ。なぜこれほどに無慈悲なことができるのか。なぜこれほどに自己中心的に振る舞えるのか。なぜこれほどに残忍なのか。いったいどんな人たちが暮らす国なのか。

 でも、もしも行ったとしたら、肩透かしのような感覚を持つことはわかっている。暮らしているのは普通の人たちだ。無慈悲でもなければ自己中心的でもな く、もちろん残忍でもない。何人かは友だちになるだろう。敬虔なユダヤ教徒たち。優しくて穏やかな人たちだ。他人への気遣いも当たり前。

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 僕はイラストを凝視し続ける。施設内を歩きながらずっと燻っていた違和感が、ようやく形になりかけていた。これは違う。殺される側のユダヤ人には、SSの 将校は悪魔のように見えて当然だ。でもそれは普遍化できない。当時のナチスの軍人たちが皆、血に飢えた残虐な男たちだったわけではない。

 その多くは家に帰 れば、良き夫であり良き息子だったはずだ。アウシュビッツ強制収容所の所長を務めていたルドルフ・ヘスは、子煩悩で妻思いの男だった。本国ドイツから家族 を呼び寄せて、収容所内の家で仲睦まじく暮らしていた。でもそこから徒歩で数分の場所にはガス室があって、多くのユダヤ人が毎日悶えながら死んでいた。

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「仕事はなかなか見つからない。だから仕方がないとは思うけれど、マッハムートが米軍のために働くことに、俺たち兄弟は賛成していない」と片言の英語で言った。

 「……でもな、米軍も一人ひとりはいい奴なんだよ」
 少しだけ間をおいてから、マッハムートがぼそぼそと小声で言う。
「それはわかっている。でもそれとこれは話が別だ」」

イスラエルの戦車隊で破壊されるガザ地区の街並み。銃撃される子どもたち。地面に転がる家族の焼死体。そんな凄惨な光景が、すべてモザイクなしで放送されていた。

 「日本人はパレスチナ問題に関心を持っているのか」
 デザートのアイスクリームを手にしながら、マッハムートが訊ねてくる。
「……正直に言えば、関心を持つ人はあまり多くないと思う。もちろん、イスラエルのやり方に違和感を持つ人もいるけれど」
「日本政府は? 」
「複雑だよ。簡単には言えない」
「みんなそう言う」
 そう言ってファラースは、しょんぼりと俯いた。
「メディアが何よりも重要だ。でも西側のメディアは、なかなか事実を伝えてくれない」

 画面にはイスラエルの戦車に踏みにじられたパレスチナの子どもの死体。立ち尽くす男たち。泣き叫ぶ母親たち。

 「……味方をしてくれと言うつもりはない。でも現実を知ってほしい」

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国はバカだ。でもおれたちは国じゃない。おれたちは一人ひとりだ。

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コメント欄も、

「読んでよかった」「良い記事だと思う」

といった、ネット特有のまぜっかえしの無い言葉が並んでいます。

 

今、アラブの国は、イスラム国という問題で、また大きく揺れていますよね。

詳細はわからなくとも、この日本にいても、異様な空気は感じますよね。

本当に、直接的にできることなど何も見当たらないですけれど、

考えることはできます。

そして何よりも嫌だな、と思うのは、

武器を持たない、無関係な子どもや、女性たちが犠牲になることです。

 

人間が”本能”を持つ動物である以上、

長期的な、完全な平和は、やって来ないかもしれませんが、

最低限のモラルといいますか、ルールは守りたいですよね。

もっとも、やはり”今戦争をしている場所”に行って、これを言うのはナンセンスなのでしょうか・・・

 

少しでも、よき、明日でありますよう。

 

ではー。



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