稽古なる人生

人生は稽古、そのひとり言的な空間

No.51(昭和62年2月1日)

2019年04月13日 | 長井長正範士の遺文


このように人間は人格の奥へ進みたい。
我々は本来の自己に立ち帰り、正真正銘の日本人にならねば駄目です。
昔から一子相伝というが、これはつまり本来の自己を練りあげることを相伝するのです。
相伝の内容は人格です。この人格が幾つもの卵を生んで一人息子が百人も出来、
千人も出来、日本国中ことごとく武道の極意の人にして貰いたいのです。

○お経の中に五武器という五つの武器を使い抜く達人がおった。
即ち槍、弓、棒、刀、薙刀のようなものだったでしょう。
この達人が諸国修行に廻った。この修行は無畏という修行です。

さて達人は山を登って峠を越えて他国へ行こうとしたところ、
麓の村の人達が「もしもしお侍さん、この山には恐ろしい化物がおります。
どんな者でも取って食って了います。この山越えは危険だからお止めなさい」といった。

五武器は「何んの俺は畏れのない修行をしているのだ。
一切のものを畏れないのだから心配しないでくれ」と言って、どんどん山へ登って行った。
山へ深く入ると果たせる哉。怪物が現はれた。

何という怪物か、漆と膠と鳥もちと、おまけにエレキ仕掛か何か知らんが
何しろ粘着力の強い、然も弾力性のある恐ろしい化物である。
五武器は先ずもって、矢をつがえて之を射た。
ある限りの矢を使い果たしたが、矢は怪物の体にペタリと貼りついただけだ。
今度は槍をしごいて向かっていった。然し槍も突き立たない。
槍もまた怪物にひっついてしまった。
今度は薙刀で行ったが、これもまた、ひっついてしまった。
刀もひっついてしまった。

仕方がない、五武器は体当りで行った。
体がひっついた。手で突いた。手がひっつく。足でんと蹴った。
足がひっついて了った。頭を打ちつけた。頭もひっついて了った。
五武器はまるで、とりもちにひっついた蝿のようになった。

怪物は五武器が自由を失ったのを見届けて、愈々(ゆうゆう)食う算段を始めた。
さてどこから食おうか、五武器をあっちこっち見まわす。
すると五武器はまるで赤ちゃんがお母さんに抱かれたような優しい顔をしてじーっとしている。
怪物はそれを見て、不思議に思った。一体これはどうしたのだろう。
今、食われようというのに、更に恐がる様子もなく、驚く様子もない。

そこで怪物は五武器に向い「コラ小僧、貴様は一体何という奴だ。
貴様のような不思議な奴は見たことがない。
大概名な奴は、あんあん泣きほざいて助けてくれの、人殺しだの、騒ぎ立てるのに、
貴様だけは何も言わないで、じーっとしているのはどういう訳だ。変な野郎だぞ貴様は」と
怪物になじられて五武器は底力のある声で答えた。

「おおそうさ、貴様は俺を食おうと思っているだろうが、
一体貴様という者が、俺以外にあると思うか、
又俺という者が貴様以外にあると思うか。俺達の本体は宇宙一杯なんだ。
この宇宙一杯の生命にくらぶれば、この肉体なんか、ほんの名刺みたいなもんだ。
貴様は俺の中のものだ。逆に俺は貴様の中にあると言ってもいいのだ。
貴様の外に俺なし、俺の外に貴様なしだ。そこのところをよく呑み込んで、
貴様もいい加減に悟るがいい。それでも食いたいならば、勝手に食え、
さあ何処からなりと食え、さあ食え」といって五武器は平気でいる。

怪物は五武器のいうことがよく判らぬが、何んだか気味悪くなり
「何、本体は宇宙一杯というのか、俺の外に貴様はない、貴様の外に俺はない。
変なことをいう奴だ。貴様みたいな野郎を食うことは止めにした。勝手にせい」
といって五武器を突き放して武器を戻して了った。(以下、続く)
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