く~にゃん雑記帳

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<柳沢文庫> 企画展「柳澤家伝来の史料と水木コレクションの世界」

2014年11月15日 | メモ

【郡山藩の藩祖吉保の没後300年を記念、綱吉の書付や公用日記など展示】

 今年は郡山藩主・柳澤吉保(1656~1714)の没後300年に当たる。その節目を記念した企画展「柳澤家伝来の史料と水木コレクションの世界」が柳沢文庫(大和郡山市城内町、写真㊨)で開かれている。徳川5代将軍綱吉が吉保に領地を与えることを明記した書付や綱吉筆の「鷹図」、県指定文化財に新しく登録された吉保の公用日記「楽只堂(らくしどう)年録」などが展示されている。

     

 吉保は綱吉に重用され、小姓から側用人、さらには15万石余の城持ち大名と異例の出世を遂げた。初公開の「御秩禄(おんちつろく)御拝領之記」は綱吉が吉保に与えた書付を後年、軸装に仕立て直したものとみられる。書付2枚のうち1枚には甲州と駿州、もう1枚には武州羽生、和州、江州、作州の国名とそれぞれの領高が記されている。

 将軍が大名に所領を与える場合、通常は「領地宛行(あてがい)朱印状」を交付する。ただ、吉保の日記「楽只堂年録」によると、これらの書付は朱印状発給以前に、将軍が自ら袂から取り出して吉保に渡したという。しかも甲斐国と甲府城を徳川一門以外に与えるのは初めて。書付は側用人としての務めを全うする吉保への綱吉の信頼の厚さを物語る。

 吉保が将軍に献上した時服(四季に応じて着る服)への答礼の手紙「徳川綱吉御内書」2枚も展示中。その1枚には「為端午之祝儀 帷子単物数三 到来歓思召候……」と記され、5月3日の日付の下に綱吉の大きな黒印が押されていた。綱吉筆の「鷹図」は太い枝を両足でしっかとつかみ、眼光鋭く左方向を見据える構図。綱吉は水墨画が得意だったという。吉保筆の書「忠信」もその絵の隣に並ぶ。

 この企画展では大和郡山市の市制施行60周年に合わせ、同市ゆかりの文人、水木要太郎(雅号=十五堂、1865~1938)が収集した江戸時代の古文書など「水木コレクション」も同時に展示している。その1つ「南都大仏修復勧進帳」(1685年)は郡山観音寺町での勧進で寄付をした人々の名前を列挙したもの。江戸時代の奈良の観光地図「和州南都之図」(1778年)、「南都町中記」(1837年)なども展示されている。

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