く~にゃん雑記帳

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<天理参考館> 企画展「台湾平埔族のものがたり」

2014年11月29日 | メモ

【「漢民族化」の中で失われた文化遺産の数々】

 天理大学付属天理参考館(天理市)で企画展「台湾平埔族のものがたり―歴史の流れと生活文化の記憶」が開かれている。平埔族(へいほぞく)は漢民族が中国大陸から大挙移住してくる前に、台湾西部で暮らしていた先住民。この企画展では同館が過去に収集した先住民の生活用具や民族衣装、古文書などを展示するとともに、先住民の現状をパネル写真などで紹介している。12月8日まで。

  

 台湾の先住民は東側の山地で暮らしていた先住民も含めると30ほどのグループがあり、そのうち西部の平野部で暮らしていた平埔族は約5万人と推定されている。オランダ撤退後、清朝の時代になって1700年頃から大陸から漢民族が押し寄せてきた。19世紀の記録ではその数、200万~300万人といわれる。「漢民族化」の中で言葉は中国語に変わり、独自の文化や習慣もほとんどが失われてしまった。

 企画展では平埔族のうち台湾中部で暮らすパゼッヘ族と南部のシラヤ族のものを中心に紹介している。祭壇に安置されていた17世紀頃の壷をはじめ、祭祀用や女子礼装用の前掛け(上の写真)、首飾り、口琴(下の写真㊧)、かご類、財布、パイプ、臼(うす)、矢……。2人で仲良くお酒を飲み干すための酒器「連杯」やベッドに吊るす飾りの「剣帯」、新年を祝うかけっこの競走で入賞者に渡す「冠軍旗」なども展示されている。

   

 台湾でも先住民を「原住民族」として法律で保護する制度が作られているという。ただ、平埔族のほとんどは漢民族化がほとんど進まなかった山地の先住民と違って、独自の言語、文化が残っていない。このため、先住民として認めてもらうため、言葉の伝承や儀礼・お祭りの復活、衣装の復元などに取り組んでいるそうだ。パネル写真の中には「熟番は原住民族である」と訴えるものもあった(写真㊨)。「熟番(じゅくばん)」は平埔族を指すかつての呼び名。

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