【羊の原種に特徴的な巻き角の羊が正倉院の屏風や平城京出土の硯に!】
奈良県立橿原考古学研究所付属博物館(橿原市)で今年の干支にちなんで、ヒツジを表現した出土品や文物などを展示する「十二支の考古学 ―未(ひつじ)」展が開かれている。奈良時代の羊形硯や正倉院宝物に描かれたヒツジは角の形がカールしていることなどから、古代の日本で一般に知られていたヒツジは現在のヒツジの原種に近い姿だったとみられる。会期は25日まで。
「魏志倭人伝」には当時の日本列島にはヒツジがいないと記されている。ただ青谷上寺地遺跡(鳥取市)から出土した木製琴には巻き角のヒツジのような絵が描かれており、弥生時代にヒツジがいた可能性も浮上している。日本最古のヒツジに関する記録は日本書紀の推古朝599年。奈良時代に入ると明らかにヒツジをかたどった様々な文物が作られた。
平城京からはヒツジをモチーフにした陶器の硯が2点出土している。いずれも巻き角で、そのうち1点(上の写真㊧)は左京四条四坊にあった太安万侶の居住地近くから見つかった。もしかしたら古事記を編纂した安万侶自身が愛用していた品かもしれない。同展には中国・西晋時代(3~6世紀)の羊形青磁容器(写真㊨)も展示されているが、そのヒツジも硯と同じような巻き角になっている。
正倉院にはヒツジを描いた「臈纈(ろうけち)屏風」(写真㊧=部分、羊木屏風とも)がある。絁(あしぎぬ)という日本製の絹織物を使って日本で制作された屏風で、このヒツジも羊形硯によく似た巻き角。世界には約3000種ものヒツジがいるといわれるが、この巻き角はムフロン種やアルガリ種というヒツジの原種の特徴という。正倉院に収められた薬物を記した『種々薬帳』には「新羅羊脂」の記述がある(写真㊨)。ヒツジの脂を使った塗り薬とみられ、奈良時代に交流が盛んだった新羅産だった可能性が指摘されている。