【ベニバナやバジル「乾燥状態で染織や薬用としてもたらされた」!】
桜井市纒向学研究センター(寺澤薫所長)主催の纒向学セミナーが24日、桜井市立図書館で開かれ、奈良教育大学教授の金原正明氏(環境考古学)が「花粉が語る纒向遺跡」と題して講演した。同遺跡の土壌から検出されたベニバナやバジル類の花粉について、金原氏は「(畑での)栽培としてもたらされたとするより、乾燥した植物体や花が染織や薬用としてもたらされたとみるのが妥当」などと話した。(写真㊨纒向遺跡全景)
纒向遺跡は三輪山北西麓に広がる弥生時代末期~古墳時代前期の大集落遺跡。遺跡内には最古の巨大前方後円墳といわれる箸墓古墳や纒向大塚古墳、ホケノ山古墳などがある。これまでに矢板で護岸された巨大水路や祭祀土坑、神殿跡とみられる多数の掘立柱建物、全国各地からの搬入土器などが出土しており、邪馬台国畿内説の有力候補地とみられている。
遺跡ほぼ中央部の李田地区の3世紀中頃の溝からは大量のベニバナや微量のバジル類の花粉が見つかった。ベニバナは古く中国から日本に伝わり、日本では藤ノ木古墳や上之宮遺跡の6世紀末の検出が最古とみられていた。纒向遺跡での発見はそれを350年も遡る。花粉の検出から周囲や上流部にベニバナ畑があったことも想定されたが、金原氏は「畑の分布ではなく染織や薬用に由来するもの」とみる。他地点から花粉が検出されていないこと、溝は寄生虫卵の検出から下水のようなものだったことなどによる。ベニバナもバジルも上流に染織などの工房があって、その廃液中に花粉が混ざっていたのだろうというわけだ。
李田地区東側の辻地区の土坑からは大量の果実や魚骨が見つかった。モモやウリの種は2000個を超えた。人に食べられ排泄して堆積された場合、寄生虫卵が検出されることが多い。だが、そこから寄生虫卵は検出されなかった。そのため、金原氏は「食べられずに投棄されたとみなされる。魚も同様。神殿跡とみられる掘立柱建物に隣接することから、供献されたものが祭祀を伴って土坑に埋められたのだろう」と推測する。
山側の巻野内家ツラ地区からは木製品を組み合わせた導水施設が出土した。その下層の堆積物からは多量の寄生虫卵が検出され、食用になる種実や花粉も多く検出されたことなどから「導水施設自体が水洗式便所としての機能を有していたとみなされる」。ただ古事記の「禊ぎによって汚穢を洗い流す」の記述などを踏まえ、金原氏は「単純に水洗式便所や水の祭祀遺構とみなすことはできず、汚穢を祓う禊ぎを行う場所とみるのが妥当と考えられる」としている。