【大輪靖宏著、祥伝社発行】
著者大輪氏は上智大学名誉教授・文学博士で、日本伝統俳句協会副会長や国際俳句交流協会常務理事などを務める。著書に『芭蕉俳句の試み』『俳句に生かす至言』『俳句の基本とその応用』『大輪靖宏句集』など。本書には「日本人なら身につけたい教養としての俳句講義」という副題が付けられている。
〝俳聖〟松尾芭蕉(1644~94)が没してから約320年。近代俳句の礎を築いた高浜虚子は著書『俳句はかく解しかく味う』の中で「多少の盛衰もあり多少の変化もあるにしたところで、要するに俳句は即ち芭蕉の文学である」と書いた。著者も「はじめに」の中で、「芭蕉への道程と芭蕉の試み、および芭蕉精神の継承ということを十分に理解することが、俳句そのものを理解するということなのである」と指摘する。
「芭蕉までの一五〇年の歩み」「芭蕉句 その試みと達成まで」「芭蕉以降の俳句と俳人」の3章構成。芭蕉の時代には「俳句」という言葉はなく俳諧の発句から単に「発句」といった。「だから、芭蕉など古典作者の句は発句と呼ぶのが正しい」。本書中に引用した発句は芭蕉と弟子の宝井其角、服部嵐雪、向井去来ら〝蕉門十哲〟の代表作を中心に約450句に上る。
「春や来し年や行きけん小晦日(こつごもり)」。芭蕉が最初に作ったのは19歳のときのこの句とみられる。以来、20代で松永貞徳らによる「貞門派(ていもんは)」の俳諧に触れ、30代になると西山宗因、井原西鶴らによる「談林派」の影響を受ける。40代に入ると『野ざらし紀行』を皮切りに『笈の小文』『更科紀行』『おくのほそ道』と旅に出て、「蕉風」と呼ばれる独自の作風を確立する。
「蛇食ふと聞けばおそろし雉子(きじ)の声」「鶯や餅に糞する縁の先」――。芭蕉は自由で意外性のある句も多く残した。著者は「破壊のための破壊はせずに伝統を守りつつ新味を出しているのだ。この新味が『日比工夫の処』なのだろう」とみる。ただ「数日腸(はらわた)をしぼった」と告白するなど苦心の末に生み出した作品も多い。どちらの句がいいか迷って弟子たちにたずねることもよくあったそうだ。人間味にあふれる芭蕉の一面がうかがわれる。
芭蕉は卓越した指導者でもあった。「芭蕉は弟子の個性を生かし、伸ばしてやることができた。そして、弟子もまた存分に自己を発揮した」。著者は「おわりに」でこう結ぶ。「俳句は生き物である……芭蕉の中でも俳句は成長を続けるのであり、その試行錯誤から生じるさまざまな形態もそのまま俳句の巾として認識できるのだ。そして、最終的に芭蕉が到達したところにこそ、俳句の気品の高さと意味の広がりの大きさが発揮されるのである」。