く~にゃん雑記帳

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<平城京歴史館> 復原遣唐使船の内部公開

2015年01月28日 | メモ

【「スペシャルウィンター2015」開催に合わせ】

 奈良駅に向かう近鉄電車が平城京跡に差し掛かると、右手に遣唐使船と朱雀門が見えてくる。遣唐使船は2010年の平城遷都1300年祭に合わせ「平城京歴史館」前に復原された。その歴史館で27日「スペシャルウィンター2015 遣唐使の旅~その出航までの足跡」がスタート、3月1日まで復原遣唐使船の甲板船室の公開や天平衣装の体験、歴史教室の開催などが行われる。

 遣唐使船は絵巻物の「吉備大臣入唐絵詞(えことば)」や鑑真和上の渡航の様子が描かれた「東征絵伝」などの資料を基に復原された。規模は全長30m、幅9.6mで、排水量300トン、積載荷重150トン。2本の帆柱には竹や葦を薄く削って平らに編んだ網代帆を掲げた。乗船人数は約600人を4隻で派遣したといった記録から1隻当たり100~150人と推定している。

 

 甲板には3つの屋形が並ぶ。船尾側から遣唐大使部屋、賄い部屋、雑居部屋。いずれもこぢんまりとした造り。大使部屋の屋上に太鼓が描かれた絵図があった。櫓を漕ぐ水夫たちに合図として太鼓を叩いたのではないかという。船の右舷左舷には櫓を漕ぐための櫓棚が設けられ、その下の船側には竹束が結えられていた。船の横転を防ぐ浮きの役割を果たしたとみられる。

 遣唐使船は難波津から瀬戸内海を経て博多津へ。そこから中国に向けて海を渡った。航海が順調なら、ほぼ1週間で東シナ海を横断したという。ただ鑑真が来日したのは挑戦6回目。若くして唐に留学した阿倍仲麻呂はベトナムに漂着し帰国がかなわなかった。奈良時代に九州を出航した遣唐使船18隻のうち無事帰国できたのは14隻という。確率は8割弱。この数字を高いとみるか、低いとみるか。遣唐使1人1人にとってはやはり一大覚悟を要する船出だったに違いない。 

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