【講師は浮世絵研究の第一人者、浅野秀剛館長】
奈良市学園南にある美術館大和文華館で「広重―風土と旅情を描く」と題した連続講座が始まった。講師は同館館長で、あべのハルカス美術館(大阪市)の館長も兼務する浅野秀剛(しゅうごう)氏。江戸時代の浮世絵研究の第一人者として知られ、国際浮世絵学会の会長も務める。主な著書に『葛飾北斎・春画の世界』『浮世絵は語る』など。連続講座は歌川広重(1797~1858)に焦点を絞って来年3月まで計5回にわたって開かれる。
第1回は「生涯と画業(前編)~東海道五拾三次へ至る道」の演題で3月7日に開かれた。会場の同館講堂はコロナ下にもかかわらず約150人の熱心な美術愛好家などで埋め尽くされた。浅野氏は広重研究に欠かせない〝2大基本書〟として内田実著『広重』(1930年岩波書店)と鈴木重三著『広重』(1970年日本経済新聞社)の二つを挙げる。講演ではまず広重の生い立ちをたどり、二代広重と三代広重にも触れた後、スライドで作品を年代順に紹介しながら分かりやすく解説を加えた。
最初の作品は「琉球人来貢図巻」。琉球からやって来た一行の行列を10歳の頃描いたもので、幼い頃から優れた絵心を持っていたことを表す。ただ文化期(1804~18)の作品は他には狂歌絵本「紫の巻」ぐらいしか残っていないという。文政期(1818~30)に入ると、合巻の表紙や挿絵、摺物を手掛け、当時流行していた美人画や役者絵、武者絵などにも取り組んだ。浮世絵の美人画といえば「見返り美人図」の菱川師宣や喜多川歌麿が有名だが、風景画家広重にも「美人風俗画合 京島原」「外と内姿八景」「今様弁天尽し」など気品漂う美人画があることを初めて知った。「この頃の作品はほとんど残っていない」という貴重品とのことだ。
だが広重にとっては長く泣かず飛ばずの時期が続いた。そして浅野氏は文政末~天保4年(1834年)の「東海道五拾三次」以前を〝名所絵開眼〟の時期と時代区分する。「最初のヒット商品」として挙げるのが「一幽斎がき 東都名所(10図)」。一幽斎は広重が使っていた号の一つで、この作品で風景絵師としての新境地を切り開いた。そして続いて「東海道五拾三次」を発表、これが爆発的な人気を集め「富岳三十六景」の葛飾北斎と並ぶ絵師としての地位を不動のものにした。浅野氏の講演を聴講して、改めて広重の多彩ぶりと浮世絵の奥深さの一端を垣間見ることができた。