【壮絶な戦闘をかいくぐって負傷兵を次々に救助】
コロナ禍による巣籠もり状態の中、うちでDVDを見る頻度が以前より高まった。数えてみたら昨年は4月下旬以降年末までに邦画・洋画合わせて149本。今年に入ってややペースが落ちたが、それでも3月19日までに35本。ほぼ2日に1本近くだ。最近見た洋画ではメル・ギブソン監督の戦争映画「ハクソー・リッジ」が印象に残った。沖縄戦に従軍し多くの人命を救った一人の衛生兵の実話物語だ。その英雄的な活躍はまさに感動ものだが、一方で血みどろの戦闘シーンには目をそむけたくなる凄惨な場面も多く、見る者を壮絶な沖縄戦の渦中に引き込んでしまう迫力に満ちていた。
映画の舞台となったのは日本軍の守備隊が置かれていた沖縄・浦添城跡そばの前田高地。米軍は立ちはだかる急峻な崖地をハクソー・リッジ(弓鋸尾根)と呼んだ。実際のロケはギブソン監督の出身地で、よく似た地形のオーストラリアで行われた。浦添での戦闘は大戦末期の1945年4月下旬に始まり、日本軍が撤退する5月6日まで続いた。地元の民間人は映画の中に一切描かれていない。ただ当時の浦添村では住民の半分近い約4100人が死亡したといわれており、戦闘の激しさを物語っている。
主人公の衛生兵のモデルは敬虔なクリスチャンだったデズモンド・ドスさん(1919~2006)。日本軍の真珠湾攻撃に衝撃を受けて志願し兵役に就く。ただ“良心的兵役拒否者”として銃に触ることを拒否し続け、軍法会議にも掛けられる。結局、衛生兵として従軍しグアムや沖縄などで多くの負傷兵の命を救った。沖縄で救出した米兵は映画の中では75人だが、実際にはもっと多かったという証言もあるようだ。「もう1人」「もう1人」。そう神に祈りながら負傷兵を次々に抱えてはロープで崖から下ろす救出シーンが印象的。米兵だけでなく敵の日本兵を手当てする場面も描かれている。最後は自らも負傷し崖の上から担架に横たわったまま吊り下ろされる。
ドスさんは戦後、良心的兵役拒否者としては初めて大統領から名誉勲章を贈られた。映画のエピローグではそのときの映像やドスさんの生前のインタビュー映像なども流される。兵役中銃を持つよう厳しく指導した上官の1人はインタビューにこう答えていた。「彼こそ最も勇敢な男だった。彼に命を救われたんだから、人生は皮肉だね」。この映画は2016年秋に米国とオーストラリアで公開されたが、日本での封切りは翌17年の6月24日だった。この日は沖縄戦の戦没者を悼む「沖縄慰霊の日」の翌日に当たる。沖縄にとって最も大切な日6月23日を考慮しての日本公開だったのだろう。