【記紀に登場する「御綱柏」はこの植物?】
チャセンシダ科チャセンシダ属(アスプレニウム属)の亜熱帯性の常緑植物。本州の紀伊半島南岸から南九州、南西諸島にかけて自生する。谷間のやや湿った岩場や樹幹に着生し、身を乗り出すように巨大な葉を広げる様がまるで谷を渡るように見えることから「オオタニワタリ」と命名された。単に「タニワタリ」と呼ばれることも。根元から放射状に伸びる葉は波打って光沢があり、長さは1mほどにもなる。葉の裏側には胞子嚢(ほうしのう)が線状にびっしり張り付く。
学名は「Asplenium antiquum(アスプレニウム・アンティクム)」。名付け親は牧野富太郎博士で、属名の語源は「a(接頭語)」+「splen(脾臓)」、種小名は「古代の」を意味する。よく似たシマオオタニワタリは奄美群島以南に多く自生する。一番の見分け方は胞子嚢群(ソーラス)の範囲。オオタニワタリは胞子嚢が主脈から左右の葉の縁近くまで伸びるのに対し、シマオオタニワタリは主脈と縁のほぼ中間辺りまでとやや短い。沖縄に多いシマオオタニワタリやヤエヤマオオタニワタリは山菜として新芽がてんぷらや炒め物など食用に。コリコリとした食感で歯ごたえがあるそうだ。
環境省のレッドリスト2020ではオオタニワタリは絶滅危惧Ⅱ類、シマオオタニワタリは準絶滅危惧種。三重県紀北町の沖合いにある無人島大島はオオタニワタリの北限といわれ、島全体が「大島暖地性植物群落」として国指定天然記念物になっている。かつては四国の徳島県や高知県でも自生が確認されていた。だが、今では両県とも野生種は既に絶滅したとみられている。オオタニワタリの仲間は観葉植物や花材として人気があり、シマオオタニワタリの小型園芸品種‘アビス’がよく栽培されている。
古代の歴史書記紀の仁徳天皇と皇后磐之媛(石之日売)にまつわる逸話の中に「ミツナガシワ」という植物が登場する。表記は古事記が「御綱柏」、日本書紀が「御綱葉」。オオタニワタリがその植物ではないかとする説がある。皇后が酒宴に使うミツナガシワを採集するため紀伊国に出かけた。その留守をいいことに天皇が異母妹の八田皇女を宮中に迎え入れる。それを知った嫉妬深い皇后は激怒しミツナガシワを海に投げ捨てた――。このミツナガシワにはオオタニワタリのほかカクレミノ(ウコギ科)とする説もある。牧野博士は学名にわざわざ「古代の」を表す言葉を入れた。なぜ? もしかしたら博士は記紀の伝承を熟知しており、ミツナガシワがオオタニワタリを指すという確信があったのかもしれない。