【復元作業が完了した陶棺5基と副葬品を公開】
奈良市埋蔵文化財調査センターで平成26年度夏季発掘調査速報展「赤田横穴墓(おうけつぼ)群の陶棺」が開かれている。赤田横穴墓群は奈良市西大寺赤田町で見つかった6世紀後半~7世紀中頃の墓群。これまでに16基が確認されており、1~9号墓の発掘調査で7つの横穴墓から素焼きの陶棺やその破片が出土した。同展では既に復元ずみだった1号墓の陶棺に加え、このほど復元作業が完了した3・5・7号墓の陶棺や副葬品を展示している。8月29日まで。
赤田横穴墓群は医療法人平和会吉田病院の敷地内の丘陵南斜面にあり、5・7号墓は未盗掘だった。陶棺は「土師(はじ)質亀甲形陶棺」と呼ばれる赤い焼き物で、丸みを帯びた「蓋」と「身」から成る。外側は「突帯(とったい)」と呼ばれる粘土紐で格子状や山形に装飾されたものが多く、身の下には円筒形の複数の脚が付いていた。この種類の陶棺は近畿地方中央部と岡山県東部でよく見つかっているという。
6世紀後半に造られたとみられる5号墓の陶棺2基(上段の写真㊧は出土時、上段㊨と下段㊧の2基は復元した陶棺)はいずれも長さ2.4m、幅0.7m、高さ1.2mという大きさ。一方、7世紀中頃の7号墓の2基は5号墓より小さく、墓室中央に納められていた初葬時の陶棺(下段㊨)は長さ1.8m、幅0.6m、高さ0.8mだった。
その隣に納められた追葬時の陶棺(下の写真㊧)はさらに小さく、長さ1.2m、幅0.6m、高さ0.7mで、突帯による装飾もなく簡素な造りだった。6世紀後半の3号墓の陶棺(下の写真㊨)は盗掘で大きく破壊されていたため、全体の半分の復元にとどまった。その大きさから子供用とみられ、陶棺の外側は赤と緑の顔料で彩色されていた。こうした陶棺の出土は珍しく奈良県内で2件目という。
陶棺内や墓室内から見つかった副葬品は大半が土器類で、中でも須恵器が多くを占めた。ただ、5号墓の陶棺からは土器のほか耳環(じかん)やガラス玉・管玉・臼玉といった装身具、鉄刀・鉄鏃などの武具も見つかった。また小型の7号墓の陶棺内からは長さ1.6cmほどの棗玉(なつめだま)が1つ出土した。両親が幼くして逝ってしまった亡き子を偲びながら、子どもが身に付けていたお気に入りを棺に納めたのだろうか。