昭和16年12月16日~昭和20年8月15日の大東亜戦争下、小学生の爺、立派な軍人になってお国のために尽くしなさいと教育を受けた一人だが。
爺の過ごした、旧H国民学校、当時のW校長、軍国主義者だったのか、軍部に忠実な真面目人間だったのか、周辺の学校では聞くこともなかった徹底した軍事教育を推進したご仁、内容は学校単位で極端に異なっていたこを後になって知る。
高学年では、男子は剣道、柔道、女子は長刀に力点を置いた教育の徹底、遠足という名前は行軍に変わり、回数は覚えていないが、日の丸弁当の日が設定され、全校生徒が運動場で梅干しだけの弁当での昼食会、校長も壇上で一緒だが、朝礼後、上半身を裸になり手ぬぐいで体か赤くなるほど、こする乾布摩擦など。
運動会、対外試合では、先頭に立つラッパ手が吹く進軍ラッパに歩調を合わせながらの行進、昭和30年代(20歳代) W校長と意外なところで対面するも近寄りがたい雰囲気は当時と変わらず、声をかけることもなく。