昭和52年~55年、冬季はチェーン着用することの多い豪雪地勤務で見た のどかな風景を四コマほど。
道路の真ん中を占有した小型の耕運機同士、乗ったままで煙草を吸いながらの長話、交通量が少ないとはいえ、静かに一言、注意しても、「もともと俺の土地だった」と言われ、何故か腹も立たないが次の言葉もなし。
歩行者を保護するためのガードロープは、物干し場として、歩道はムシロを敷いて、農作業や年寄り達のお茶会の場として有効利用している風景が所々に、気にかける人もなし。
勤務地には小さな食堂が2軒、田植え、稲刈りなど農繁期は臨時休業、車で40分ほど離れた町のパン屋がやってくるが、あんパン、ジャムパン、クリームパン程度の物だったが良く売れてた。
治安は誠に良く犯罪もない静かな町で事件もなく警察も御暇だったのであろう、交通安全週間には耕運機の免許証不携帯、5キロオーバーした車のスピード違反まで、警告書を戴いた実話も。